愛するということ
「愛するってことは ナイフを振り回すようなものだ」
ーーNeat's 「ナイト・イン・サイダー」
Neat'sはRYTHEMのYUIさんのこと。個人名義のアーティスト名だった(今は、新津由衣として活動)。
愛するってなんだろうって、考えた。世の中には愛とか恋とかの歌やドラマや物語に溢れている。
でも、愛とは恋とはとなると、正直よく分からない。
「あなたは愛されていますか?」「あなたは誰かを愛していますか?」
それは、大きな意味ではYesだし、Noでもある。あってほしい。
特定の誰かを思い浮かべて、「愛されています」「愛しています」ということはないけど、誰からも愛されていないとか、誰も愛していないとは、思いたくない。
その愛するということには、問題が付き物だ。Neat'sさんの歌詞にあるように、愛することはナイフに例えられる存在でもある。誰かを傷つける、暴力となることもある。それが、意識的にしろ、無意識的にしろ。
「大事に思っている(愛しているの意味だと思う)」と言って、自分の一方的で身勝手な気持ちや行動を正当化する人は確かにいる。
大事に思っていて、愛していたからって、その感情によってたつ行為が全て正しいことにはならない。親の愛情の空回りや行き違いは、過保護や毒親とか言われたりもするときもある。
愛することだけでなく、感情や行為はどれひとつとっても、必ず裏表があって、ポジティブにも、ネガティブにも働く。
愛情表現が偏ったり、一方的であれば、それは対象になったひとを傷つけることだってある。
誰かを傷つけてしまうかもしれないと思うと、自分の感情表現だって、実は怖くてできない。noteだって、怖い。
それでも、人が愛するとかの感情表現をして、自分を表していくのは、それ以上に大切にしたいものやことがあるからだろうと思う。
愛するということは、ナイフでもあり、冷えきった体を包む毛布にもなりうる。
愛すると言われて、誰も具体的なひとを思いつけない私は、ナイフも毛布も持たないのかというと、そうでもない気もする。
愛するとは、きっとどこにでもあるけど、具体的に手で掴めるようなものではないんだろうな。
そして、誰かを傷つけてしまうこともあるし、誰かを温めることもできるのだろうな。