小説の作者は主人公の味方であるべき?
小説を書いていて、みなさんはどうなんだろうと思うことが時々ある。
私は、割と我が道をゆくタイプの人だけど、気になることはそれなりにある。
そのひとつが、「作者は、小説の主人公の最大の味方であるべきかどうか」。
私はずっと、違うと思ってきた。
小説を書く人のスタンスや、書く時の気持ちや、その時の作品によるのかもしれない。
私はどちらかというと、主人公に寄り添いすぎる語り手、作者の本は苦手で、どこか突き放したような、主人公がどうであれ、淡々とした視点を持った人物が物語の進行をしてくれる方が好きだ。
私のようでない人も、もちろんいることは承知している。主人公は作者の分身のように、痛みも喜びも分かち合う存在と考えて、物語を進める(?)のかな。
主人公が痛みを感じたり、理不尽を感じたときは、作者も主人公の痛みや理不尽を理解し、同調した気持ちでいる。というような。
私は、人物たちの怒り、悲しみ、理不尽、喜び、楽しい、そういう感情に振り回されない、私は私の目的(小説を書く)を貫くと思って小説を書こうと思っている。できているか、成功しているかは、作品ごとによるし、逆に人物たちに寄り添いたい気持ちを優先させる時もある。
でも基本、私は私だし、人物たちは人物たち。別人格であって、私は作品内では、どこか遠くのような近くのようなところで眺めている、ある種不思議な存在でいたいと思う。理想として。
苦しみもがく人物がかわいそうと思わないとか、喜ぶ姿によかったねと思わないということではなくて、私はその人物ではないから、その人物に100%共感もできないし、100%一緒に喜んだりもできない。時には、小説の人物の行動や感情に「それ違うんじゃないの」と思いながら、小説を書いたりもする。
そういう冷めたような視線を何とかしたいと、過去に思ったこともある。
もっとのめり込め。
もっと人物になりきれ。
もっと作品の世界に馴染め。
でも、最近小説書きを復活させて、私にはできないと、思った。
それがいいことなのか、私の欠点であり、私の限界なのかは分からない。
みなさんは、どうですか?
小説を書く時、作品の人物、主人公の最大の味方でいたいと思いますか?
【今日の英作文】
「包丁研ぎは簡単ではありませんが、手間をかける価値があります。」
"It isn't easy to sharpen knives, but it's worth the trouble.''
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