『ヌシ』
タイトルに吸い寄せられて買ってしまった。
『ヌシ』と言えば、ウルシストはもとより漆に関わる人間にとっては紛うことなく、『塗師(ぬし)』である。だから最初に本屋でこの表紙を見たときには、『塗師』について書かれているのかと思って二度見してしまったのだが、この本で語られているのは『主(ぬし)』の方だった。
そりゃそうだ(笑)と思いつつパラパラとめくってみると、これがまたおもしろい。
帯に
とあるように、膨大な伝承、民話の調査研究を基に『ヌシ』とは何かを追求している。
『ヌシ』とは古くから語り継がれてきた川や沼に棲む謎の存在。神か、妖怪か、はたまた未確認生物か…。とてつもなく大きくて、いちど捉われると逃れることはできない。
この本でも取り上げられているように、日本の各地には 『椀貸し伝説』という民話がある。村の婚礼などで膳椀が足りないときに、水辺のヌシにお願いすると、翌日、必要な分の膳椀がぷっかり浮かんでいる。これはきちんと返さなくてはならなくて、万が一返さないとヌシは二度と貸してくれなくなる。
不思議なことに、この民話は東北から九州まで各地にその土地土地の物語として伝わっている。そしてその舞台はいつも水辺なのだ。淵のことが多いが川や井戸のこともある。水は、日々生きるために大切な無くてはならないものでありながら、ときに生命を脅かすこともある恐ろしい存在でもある。そのことが『ヌシ』を生んだのだろうか。
著者の意図とは異なると思うが、読んでいると、漆そのものにも『ヌシ』がいるような気がしてならない。「漆が淵」「うるしが淵」という地名や伝承があり、大蛇や河童が住んでいる。この場合、大蛇や河童がヌシ的な存在なのだが、漆そのものもヌシなのか?
ウルシの木から採れる樹液「漆」は人が生活するために必要な存在で、ひとは木を守り育て、その恵みを享受して生きる。そして採取するためには生きている木に傷をつけるというある種の残酷な行為を犯す。だからなのか、木から流れ出る樹液は何かを主張するかのように、触れるとかぶれるという性質を持つ。漆掻き職人たちはむやみに傷をつけているのではない。木と対話して、感謝しながら1滴1滴を採っている。
漆を塗る塗師たちもまた、微妙な湿度と温度で性質を変える漆に翻弄されながら、ときに肌をかぶれさせながら、漆との協創で深く美しい塗膜を生み出している。
現代風に言えば「自然との共生」なのかもしれない。ただどうもこの表現は安直というか、本質を捉えていないように思えてしまう。自然と対等に共生なぞできるわけがなくて、我々は自然を怖れ、敬う。『ヌシ』は私たちに「謙虚であれ」と教えてくれているのかもしれない。
本屋で衝動買いしたときは漆とは関係ない本だと思っていたが、内容はまさに漆そのものだった。
ちなみに「塗師」という言葉は、古文書を見ると「ヌンシ」と書かれていることがあるので、おそらく「ヌリシ」がなまったもので、この本の主役の『ヌシ(主)』とは語源が異なると思われる。でもときおり、『ヌシ』じゃないかと思う塗師さんに出会うことはある(笑)。
読んだ本:
伊藤龍平 『ヌシ 神か妖怪か』 笠間書院
(漆の図書館 準備中)