[前編]”私たちはまだ弱さをうまく愛せないでいる”頑張りすぎなくていい居場所と作品づくりを。脚本家 板野侑衣子さん
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いま注目したい、多様な女性の生き様に女性執行役員 藤井が本音で迫ります!
今回は20代の若い女性脚本家、板野侑衣子(ゆいこ)さんにお話を伺いました。実は彼女、私の大学時代の後輩なんです。
板野さんは現在フリーランスとして映像業界で活躍中。学生時代に脚本家として目覚め、作品を生み出し、数々の賞を受賞しています。彼女には決断の歴史はもちろん、映像業界の抱える課題や、周りと違う働き方をすることについてお話を伺いました。この道を選んだ板野さんの生き様にフォーカス!
インタビューの内容は、前編と後編に分けてお送りします!今回は前編です。
後編はこちら
今回の案内人
2024/2/23の記事です。
脚本家とは?
演劇や映画のセリフ・動作などを書いた、上演のもととなる台本(シナリオ)を執筆するお仕事。映像作品や演劇では、この脚本をもとにして撮影やシーンの演出が行われていきます。まさに作品の根幹部分!脚本が面白くなければ作品は良いものにはなりません!脚本は作品づくりにおいてとって重要なものです。
7歳:本を読むこと、漫画を読むこと
ーーどんな環境で過ごしてきましたか?
板野:岡山育ちです。大学で関西に上京しました。関西にいる時には関西弁、岡山の人と喋ったら岡山弁を使い分けています。
ーー幼い頃はどんな子どもでしたか?
板野:小学校低学年の時は、本が好きだったんです。お腹空いたら食べるのではなく、じっと動かず本を読んでいるような子でした(笑)
きっかけは親に図書館に連れられ、ベルサイユのバラの分厚い漫画を渡されたことでした。家には単行本が300冊。ある時小学校の図書館にあった職業本から歴史の本など、漫画という漫画を全部読んじゃったんです。読むものがなくなり、ハリーポッターなど漫画以外の本も読むようになりました。
11歳:東日本大震災の衝撃
板野:高学年になると、外で遊ぶようになり本を読まなくなりました。
東日本大震災があったのは、私が小学校5年生の時。岡山にいたから被害はありませんでした。でもいまだに覚えていることが、その日はドラマ『ごくせん』のある金曜日だったこと。阪神淡路大震災も経験していなかったので、その映像は衝撃的でした。
13歳:映画「ヒミズ」に出会う
板野:ある時、園子温(ソノシオン)監督の『ヒミズ』に出会いました。東日本大震災のエッセンスが入っている作品になっていたのですが、ものに残す、形に残すという方法があるんだってふと思ったんですよね。
日々のなんてことない物事を映像や感情として、思い出されるものがあるといいなと思って。これをきっかけに、ものづくりが好きになったんですよね。
中学の頃からメモをする癖がありました。ブログが作れる『ライブドア』って分かります? 誰が見るわけでもないメモや散文を、ブログにメモしていました。ぱっと書くだけで、いつもは見返したりしないんですが。
19歳:新しい環境で、体からの危険信号
板野:大学1年生の夏に、パニック障害のような症状が出たんです。大学は行っていましたが、出不精で外に出ておらず、久しぶりの外出時に体調を悪くしちゃって。急に暗闇から明るみに出て人がわあっている中で、めまいがして、チカチカして、動機も激しいし、汗も出てくるし「あ、死ぬかもしれない」っていう衝動が起こりました。その前から片耳が急に聞こえなくなるストレスでの症状はありました。
「やばい。死ぬかもしれない」って思うぐらい動悸がすごくて。だから最初脳か心臓の重病に違いないと思い、病院に行きました。検査では心拍を測る機械をつけて1日過ごしたり…。診断の結果めっちゃ健康だったんですよ!「体は心身的なストレス的なところもあるから、もし気になるようだったら心の病院に行った方がいいかもしれないね」と言われて「心か…」って思いました。
ーー今も発症の前兆は感じますか?
板野:東京の人混みに行くという荒療治で治しました。余計パニックを起こしそうですが、逆に行けば治るんじゃないかと。今でも「起こりそうだ」と思う瞬間もありますが「大丈夫。不安に思う必要なんてないからね。」と自分自身に言ってあげています。
ーー同じように恐怖を感じている人達がいるということですよね。
板野:そうですね。岡山から京都に上京、一人暮らしを始め、初バイト、そして人間関係。慣れない環境下で新しいことの連続。自分の中での吸収量の許容範囲が超えて、心がいっぱいいっぱいになっていました。息を抜くことを知らなかったんだと思います。いろんな考え方をスポンジのように吸収してたんでしょうね。
人は健康そうに見えて心はそんなタフじゃないと気が付きました。体が不健康になることによって、心も病んでいくし、心が先に病むような感覚もあります。めちゃくちゃ健康的である必要はないんですけど、 自分の心が不健康になるまで体を落としめてはダメだと思います。それからはなるべく食事を取り、外に出るようにしています。
なるべく健康でいたいと思う理由は、
(1)病気になってジワジワと死ぬ感覚が嫌。
(2)お金もかかるしメリットが一つもない。
(3)私のことを嫌いな人よりハッピーに長生きして死にたい。
ということですね。
20歳 : 脚本に向き合う
板野:同志社女子大学には、写真と書くことが学びたくて入学をしました。その時、岡山から京都に上京しました。
大学2年生に受けたドラマ制作演習という授業で講師を務める武村さんに出会いました。ちょうどコロナ渦の授業で、課題はリモートでもできる「自撮りの3分ビデオレターメッセージ」の脚本をつくることでした。でも全然授業聞いてなくって、15分の脚本を送っちゃったんです。生まれて初めて書いた脚本でしたが、武村さんから「面白いからちゃんと撮ろう」と言ってもらって。これが『さめざめと、』ができたきっかけです。この作品では監督/脚本/主演を務めました。
自分のつくるという作業が、書くことになり、撮ることになり、脚本になり、映画になっています。自分の好きなことがちょっとずつ明確に、はっきりしてきている感覚です。
21歳:『魚の目』弱さを愛せないでいる
ますだあやこ・板野さんが同志社女子大学在学中に監督・脚本を兼任した青春群像劇。関西学生映画祭でグランプリ、京都国際学生映画祭では最終審査員賞を受賞し、インディーズ映画の登竜門である田辺・弁慶映画祭ではキネマイスター賞を受賞した。シアターセブン、テアトル新宿、シネリーブル梅田にて上映もされました。
板野:大学院生である、ますださんがプロットを書いていて「眠らせておくのも勿体ないので書いてみてくれへん?」と言われて、自分なりに解釈して脚本を書きました。
あの時はびっくりするぐらい書くことに本気で向き合いました。付箋を貼り、朝まで書いたり。
「大丈夫だよ」と言ってあげたくて、作品をつくっています
板野:高校生時代の国語の古典の授業の『山月記』はご存知でしょうか。授業で「どうして虎になってしまったのでしょうか」という問いの感想を書かされたんです。その時に魚の目のキャッチコピーにもなっている「私たちはまだ弱さをうまく愛せないでいる」とそのまま書いてたんですよ。それが先生にすごい褒められて。
板野:自分が持っている弱さに飲み込まれてしまう。外見、学歴…。自分が不安に思ってることに対して飲み込まれてしまってはもったいない。きっと自分に対してのマイナスな面だと思っているところは違う方面から見て、弱さを愛してみれば、生きやすくなるのかもしれないなという作品です。
22歳:『煙とウララ』ちょっと一息休憩を。
板野:6月に上映をして、新人の監督の登竜門の1つ田辺弁慶を受賞しました。それにより新宿テアトルでの上映ができるようになり、短編を撮ることになりました。
こちらは大学4年生の6月に制作しました。息を吐く、肩の力を抜く、何も考えないタバコ吸うみたいな時間を大事にしていいんだよっていう作品です。タバコ休憩ぐらいの時間で観られるようにしています。本当は考えてほしいけど、何も考えなくてもいいような作品がつくりたいと思い制作しました。
現在2作品はU-NEXTで配信、2024年1月10日からアメリカ、イギリスのAmazonプライムで『魚の目』が配信開始されました。
後半に続きます…