
ロボット・ドリームズって残酷で真摯 ※ネタバレ有り
映画「ロボット・ドリームズ」を観た。
観たので感想を書きます。
※重大なネタバレを含みます。鑑賞後に読むことを前提としています。
鑑賞後にまず思ったこと
最終的に誰も不幸になっていないのに、とても残酷だと感じた。
正直、スクラップにされた時点でもうロボット側に救いはないと思っていた。
新しい友達ロボを手に入れた犬との対比とか、もしくは犬も孤独なまま切なく終わるのかなと思っていたので、両者ともハッピーな生活を手に入れたのは素敵な終わりのはずだ。
なのに、どうしてもドラマチックな悲劇より残酷だと感じてしまう。
でも現実ってこうなのだ。
動物やロボや不思議な夢がたくさん現れる世界観だけど、そこで起きている人の感情の動きはまっったく物語的ではなかった。
運命の相手や感動の再会はない。悲劇になるほど唯一無二の固い友情もない。人には、今の自分を幸せにする強さがある。
現実においてそれは救いのはずだけど、どうして物語になると、ファンタジーみたいな劇的な友情を信じたくなるんだろう。
ドッグというキャラクター
ドッグのキャラクター造形はすごい。
良いやつなのに、何となく色々なことがうまくいかない。
要領はちょっと悪いが、ロボットや工具や専門書をパッと買ったりスキー旅行に行くお金はある。仕事で疲弊しているシーンもない。(というか仕事のシーン無かった……?)
しかし他人にはなんとなく常に軽んじられていて、初対面の相手にもなめられる。どうしても「負け犬」という単語がチラつく。
本人もそれを気にしているから、なんでも出来る雪だるまの友人の夢を見たり、クールなダックの友人ができても、うっすら自分と比べてしまったりする。その上、クールなダックの友人はふらりとどこかへ行ける芯があって、ドッグは一期一会の友人の一人でしかなかったりする。
……正直、身に覚えがありすぎてかなりしんどい。
でも、そんな中でもドッグが腐らずに本人なりに生きているのもずっとリアルだ。ここで腐りきって底まで堕落していたら、それも物語的なのだろうが、そうはならない。
なんとなくの劣等感や諦めを抱きつつ、まあまあの気持ちで日常を過ごしている。たまには新しいことに挑戦したり、1人で季節行事を楽しんだりもする。そうやって日常を淡々と進んでいく。
舞台は遠いマンハッタンだし、監督はスペインの人だけど、こういう気持ちってどこの国にもあるんだな、とも思った。
ロボットについて
ロボット視点もかなりすごい。
何度も幸せな展開になっては夢から覚めるという流れを繰り返しており、楽しい展開のたびに「もう残酷な夢を見させるのをやめてくれ……」と祈るような気持ちになってしまう。
小鳥たちとの交流だけは、現実だったんだよね……?
夢から覚めた描写がないから現実だったと思いたい。
が、彼らも巣立ってどこかへ飛び去ってしまった以上、このエピソードが夢でも現実でもあまり関係がないのかもしれない。小鳥たちもドッグとの思い出と同じく過去になってしまった。
そして気になるのは、この世界でのロボットの扱い。
そこまで高くない値段で買えるし、子供のお守り程度に雑に扱われたり、本人の意思をまったく無視して鉄クズとしか見ない人もいる。
現実でも、ペット向けロボットを家族同然で愛する人や機械としか思わない人はいる。ただ、このロボ達は思い出をもち、寂しさを感じ、不幸な境遇の中で幸せな夢を見る。
そこまで高度な自我を持った存在が登場したら、今後誕生するとしたら、人はどう接するのだろうか。
いま現在のChat GPTなんかは、過去の人間の言葉からパターンを学習して確率で出力してるにすぎないので、例えば悲しみのセリフを言わせてもそこに感情はない。出力結果を出してないときに、何も内心で思ったりしない。
でもこのロボットは、1人でいる間にも空想をするような連続した自我があるのだ。正直、Chat GPT式であったら全然救いがあったのに、と思う。
友人となるためにロボットだから、寂しさや空想を共有できるような存在でないと成立しないのかもしれない。が、そのために本物の寂しさを感じる存在を生み出すのって、なんだか怖いかもしれない。
生命の誕生や出産だって、本質的にはそうなのかもしれないけど……。
音楽について
それはそれとして、音楽がとても良かった。
引用されたSeptemberは象徴的だが、それ以外のBGMも素晴らしかった。
ピアノを中心としたシンプルめな編成で、ラテンだったりジャズだったりしてすごくオシャレだ。なんとなく日本人的に馴染みのないコードやリズムが多い気がして、耳に新しいのも楽しい。
基本的にセリフがないぶん、効果音やBGMとの同期も凝っていて良かった。
https://open.spotify.com/intl-ja/album/2wFuVYtcf2bsEMxwIlGS7o
Septemberと同じく引用された曲として、小鳥が歌う「Danny boy」がある。
この曲は戦争に行ってしまった人へのメッセージとも解釈されるが、なんにせよ単純に文の意味としては「旅立った愛する人へ、残った人が送る言葉」だ。
しかしこの場面において旅立つのは歌っている小鳥たちの方。
相対的に見ればどっちが移動しても別れは別れかもしれないけれど、なんとなく不思議な気はする。
もう一つのこの曲の定番として「葬儀で流す」があるけれど……。
「Danny boy」の文脈をそこまで詳しくは理解していないので、なんとなく理解しきれなくて、ここはもどかしい気持ちだ。
「September」については歌詞を知らなかったけれど、入場特典のカードの裏に訳詞がのっていた。
恋人(の片方)が素敵な愛の思い出を歌う歌詞で、すべて過去形で語られている。
どれだけ大切でも、もう「思い出」でしかない。
歌詞を見る限り、そういう歌らしい。

改めて全体を通して
最初に残酷だと書いたけれど、別にドッグもロボットもお互いを忘れたりはしていない。
ロボットはドッグを追いかけて声をかける夢を見るし、「September」がどこからか聴こえる街角でドッグはロボットの影を探す。
ただ、2人とも、この友情について、過去の素敵な思い出に留めることを選んだだけだ。
再会したらハッピーかもしれないが、もしかしたら思い出が苦い結末に変わる可能性だってある。再会によって今の相手との関係が壊れる事もあるかもしれない。
それならば思い出はきれいな思い出のままにしておいて、今の友人との楽しい日常を選ぶ。
ただそれだけなのだ。
誰も悪くないし、誰も不幸じゃない。
すごく真っ当。
現実に対して真摯だし、人が生きていくのってこうあるべきだ。自分でもきっとこうする。
でも、どうしても彼らの選択にほろ苦さを感じてしまうし、そんなドラマを願う自分を傲慢だと思う。
不思議な後味の映画だった。