「楽しかった」だけが残る人生
仕事を休職して2ヶ月。
今日さらに1ヶ月休職延長の診断書を受け取った。
こうなる事はなんとなくわかっていたから、落ち込まなかった。
睡眠に不安があることは自分でもわかっていた事だったし、先月に比べて休職期間の過ごし方や復職についての不安は格段に減っていたから。
「さて、これから1ヶ月どうやって過ごそうか」
前向きな気持ちである。
家に帰り、久しぶりに物置部屋の整理した。
この物置部屋には、これまでに読んだ本や生活には必要ないけれど捨てるのはなんだか気が引けるものを置いている。
わあ…懐かしい…!!
部屋の中で、旅行会社で働いていた前職時代の写真を見つけた!!
私が添乗員として同行した時の写真をお客様が現像してくださったものだ。
《新卒1年目》
初めての添乗で1番楽しんでる私(中央左)
《入社3年目》
最後の添乗。
乾杯のときにピッチャーを持つとウケてた時代
(業務中なのでお酒は飲めないけれど)
前職時代、ありがたいことに私はお客様にとても恵まれていた。
でもそのお客様を手放すほど、その頃の私は前職の仕事がしんどくて辛くて苦しかった。
退職を決めた時は、後悔や名残惜しいという気持ちはなかったし、送別会のときも清々しい気持ちだった。
前職時代を思い出して「あの頃は楽しかった」だなんて絶対思ってやるもんか、とも思っていた。
辛いと思っていた時期にも楽しかった私がいた。
それはきっと、長い時間をかけて辛い苦しい記憶の中から都合よく「楽しかった」だけを濾過しているんだと思う。
「楽しかった」だけ残していけば、私の人生は「(なんか辛いこともあったような気がするけど)楽しかった」の評価になるのだろう。
今の私は仕事を休職し、上手に眠れない日々を送る前代未聞の事態だ。
私年表の暗黒時代だ。(こうしてnoteに記しているから文字記録はある!)
でもなんだかんだ数年後には「休職して良かったな」って思えるくらいには、都合よく濾過されているんだろう。
無理に楽しいことをしなきゃと焦る必要はない。
勝手に濾過されて楽しかったことになるのだから。
「さて、これから1ヶ月どうやって過ごそうか」
前向きな気持ちである。