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詩と呼んでいるだけかもしれない

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 詩についてはほぼ絶望している。というか、絶望からスタートしている。というより、絶望からスタートするよう、薫陶を受けてからこの世界に入った。
 僕が十代の頃、ちょっとした詩のブームがあった。それは朗読という行為を「ポエトリーリーディング」と呼び換えたもので、サブカル男子女子のあいだで少しだけ流行った。あれは、当時花盛りだったJポップの亜流として生まれた流れであったようにも思う。日本のCD出荷枚数が史上最高を記録したのは九八年。同じ時期、Jポップを意識したJ文学という言葉が生まれ、一四歳の少女詩人が本ではなくCDでメジャーデビューした。学生街のカフェに若き詩人たちが集い、自作の詩をステージにセットされたマイクで次々に披露する、いわゆるオープンマイクのムーブメントも広がっていった。
この流れを当時ティーンエイジャーだった僕がどう見ていたかというと、はっきり言って面白くなかった。何故面白くなかったかといえば、言葉は悪いが「素人が傷を舐め合っている」ように見えたからだ。
オープンマイクに演者と観客の敷居はない。その会場には「詩を聴きたい人」よりも「詩を読みたい人」のほうが多く集い、結果的には作品を発表する場というより、お互いの朗読を馴れ合いで聞くような「カラオケ」的な空気が生まれる。皆、ひとの詩に耳を傾けることよりも自分の詩を誰かに聞いてもらうことに偏ってしまうのではないか。演者であるならばそれで問題ないが、そこでは彼、彼女は観客でもあるのだ。
互いの詩を称え合い、お酒を飲んで交流し、「ポエムっていいよね」みたいな気持ちになって解散、みたいなムードが、当時表現で飯を食うことばかり考えていた僕にはぬるく感じられたし「その空気が詩をダメにしてるんだ」という気持ちにもなっていた。たまに付き合いで人の主催するポエトリーイベントに出てはその場にいる人たちと交流するも心からは打ち解けられず「自分はこの人たちとは違うんだ」というサブカル特有の選民意識を滾らせたまま、ふてくされて帰路についていた。
とはいえ当時は僕自身、表現で生活できていた訳ではない。それどころか、仕送りで生活している学生の身分、何者でもない若者の一人だったのだ。

 そんな僕が、当時の詩のムーブメントで唯一積極的に参加していったものがある。それが

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