私と浦和レッズを結ぶ栄華噺 EP4
浦和レッズがJ2降格し、地獄から這い上がってきた頃だっただろうか。ストライカーの鑑と言っても過言ではない選手が大原に、駒場に、そして埼玉スタジアム2002に現れた。
ついた渾名は〝Wonder boy〟
田中達也 背番号11
当時、サッカー少年だった私にとって理想像と掲げていたのは得点を取る事、ボールを奪われないドリブラーである事、スピード重視の3点だった。多くを求めたが走る分のスピードが速くなかったのは事実。その点は半ば諦め、その代わりにドリブルテクニックで濁して補った。「ゴールネットを揺らすのは俺だ」という強い拘りがあった。美味しい所は「俺だ」と。ある意味、私の中では当たり前だった。
浦和レッズの試合を観ていると田中達也はドリブルスピードで劣る事もなく、ゴールを目指して一気にネットを揺らしスタジアムを沸かせた。まさに私にとって鑑だった。成人になってから気付いた事だが、小学生の頃はタイムカプセルに願い事を書いていたらしい。そういうのは七夕の短冊にでも願えば良いと思っていたが、満更でもなかった。「浦和レッズの背番号11になる!」という強い意思表示を紙に書いていた。数年後、タイムカプセルから見つかった。今覚えば更に多くを求めていただろう。理想と現実は違う。
入団2年目の2002年、まさに埼玉スタジアム2002が出来た年に彼はブレイクした。埼スタと共にである。コンスタントに出場していた覚えがある。浦和レッズのエースストライカーと言えばエメルソンだったかもしれないが「日本人選手だと?」と問われると福田さんの引退以降はしばらく答えが無かっただろう。だが、漸く答えが見つかった。浦和レッズのエースストライカーは田中達也と断言出来た。ワンダーボーイの誕生だ。永井が負傷した時、田中達也はスタメンレギュラーを勝ち取り、エメルソンと2トップを組んだ速攻は記憶に刻まれている。
2001年~2004年の田中達也はまさに鑑だった。故障をするまでは。私は瞬時の判断と瞬発力とボールタッチを売りにしたストライカーを目指した。当然、点を取る立場にでもなればボールを奪われ倒れてファウルになる。その頻度も増えた。膝や脛を何度も出血した。そうなる事は百も承知。只管と理想を求めてどのように点を取るか模索し続けた。「自分は自分」と思えば形成に苦労はしないだろう。けど、理想を追求すると気付けばより深く、樹形図のように細部まで拘ってしまう。「これではない。これでもない!」と何度も練習をした。ここまでを読んで頂いた皆様、お気付きだろうか。
多くを求めすぎていることを!
簡単に言えば俳優がドラマやラジオや執筆や歌手業とマルチな才能を持つようなものだ。と要約に例えたつもりだがそれでは規模が違うか。
どうしてここまで深くなってしまったかというと、小野伸二のような技術と田中達也のようなドリブル突破ストライカーの技術の両方を兼ね備えた選手になるのが理想だったからだ。レジェンドのお二方だと思うと重ね重ね多くを求めすぎだったのだろう。しかし、暗中模索をしていたわけではない。両方を兼ね備える事に時間を費やした。尚、小野伸二の件に関しましてはEP3に記載しています。そちらもご覧ください。
自分が追求してきた形に7割くらいがインプットされた。スピードこそ不充分だがボールを奪われない自信とボールタッチのアングルなどトリックプレーを交えた。「スピードは無くても良い。」というセオリーで完成した。勿論ストライカーとして。
数年経ち、故障明けの田中達也を見た。久々だった。だが、私の知っている田中達也という印象ではなくベストとは程遠かったのだろう。売りだったドリブルスピードが無かった。これに関しては「スピードが無くても良い。」とは思えなかった。何故なら自らのストロングポイントを失った時、残っているスキルをどのように活かすかが難しいからである。ある程度、覚悟はしていた。ただ、忘れないでほしいのが浦和レッズにはWonderなストライカーがいた事である。彼がこれまでどれほど貢献し何度ゴールネットを揺らしたことか。時代は違えど、今はまさにストライカーが不在の浦和レッズなのだ。今一度「彼だ」と断言出来るストライカーが誕生して、未来のJリーガーとなる子供達の憧れが浦和レッズに誕生してほしいところである。
田中達也がアルビレックス新潟に移籍してもう一花咲かせたことはとても嬉しかった。それも長くJリーガーとしてプレーした。引退試合にはアルビレックス新潟がご丁寧に引退グッズとして浦和verも発売して下さった。愛されている証拠だったのだろう。そう思うと内心「浦和でコーチとして帰ってきてほしい」という気持ちが何処かもどかしい(笑)
まだまだ熱く語りたい所ですが
今回はこの辺にしておきましょう。
We are Red’s!!
【あとがき】
文字数が2000を超えていた辺りは相当な熱量があったのだろう。本作は読んでいただき、誠にありがとうございました。この熱量を読者の皆様にも感謝の気持ちを伝えたいです。少しでも人生や視点に影響を与えることが出来ればと。今後も私は執筆に励み、読者の皆様に感動や発見を出来るよう努めて参ります。