たんじょうび

「私,誕生日は人に言わないタイプですので」

今年も誕生日がやってくる.祝ってくれるのは身内だけ.むしろ祝ってくれなくていいんですけどね.今回はそんなお話.


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小さい頃は誕生日が待ち遠しくて仕方がなかった.母親は大好物の料理とケーキを作ってくれるし父親は早く帰ってくる.「本日の主役は私です」と言わんばかりにみんな祝ってくれる.学校でもそれは同じだった.それがたまらなく嬉しくて,誕生日は毎年嬉しいイベントだった.今思い返しても懐かしいし,何より楽しかった.


いつからだろう.それを毛嫌いするようになってしまったのは...一つ思い当たる節がある.大学時代のSNS,特にFacebookの存在がきっかけかな.


僕の中での『お祝いの価値』が下がってしまったんだと思ってる.


Facebookにとりあえず登録した個人情報.自動的に"友達の輪"に通知される誕生日.そしてそれを見てメッセンジャーやLINEで来る「おめでとう」の連絡とスタンプ.

"これをやっておけば,とりあえず祝ったことになるだろう"

そんな気がしてならなくて,される側としてはすごく嫌な気分になっていた.友達関係というのがこうも軽くみなされて,1年に1回の1日がこんなにも軽い一言で祝われてしまうなんて,,,という気持ちになった.


ある年,思い切って,誕生日が来る前にFacebookから情報を消した.何人が連絡してくるのだろうという実験的な好奇心と,やっぱり祝われたいという気持ちが交錯する中での誕生日情報の削除.

結果はもちろん,連絡者0人(家族は除く).

「やっぱりな」と小さく,そして哀しく笑った自分がいた.実は日付が変わるまでちょっとそわそわしていたのも事実.


だから,人の誕生日も覚えない.わざわざ会って祝う間柄は話が違うけれども,祝う気持ちがちゃんとあることを示して祝ってほしいというのが持論.その分,いや,それ以上にあなたのことも祝ってあげるよ.なんて思いながら,今年も冬と共に誕生日が近づく.


***あとがき***

書きたいネタが増えてきました.相も変わらず駄文です.

相互フォローしている方や読んでいただいた方からTwitterで詩の感想をいただきました.めちゃめちゃ嬉しかったです.コメントでも感想いただく方もいます.いつもありがとうございます.

noteで,文章を通して,色んなやり取りができたらいいな,なんて思った今日.

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urara
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