僕は僕の人生に「手を抜いている」

Twitterで今日の夜にnoteを書くと言ったからには書きます.タイトルは,今日飲んだ友人に言われたセリフの概略です.正直,これは見抜かれると思ってなかったし,それを包み隠さず言ってきた友人はなんてすごいんだろう,なんて思ってしまった.友人2人と飲んで,1人はnoteの存在を知っていたけれども「調べなくていいし,フォローしなくていい」と伝えた.それは本心だし,僕の心の底を知れるnoteは絶対にリアルの知り合いに読まれたくないから.


タイトルについて,もう少し掘り下げましょう.友人に言われたのは第1弾「もっと本心で話せよ」第2弾「昔のお前と見比べると,明らかに顔から欲というか"がめつさ"が無くなった.俺の知っているお前じゃない」第3弾「どれだけ傷ついているか俺には分からないけれど,自分のキャパシティに無理矢理上限をつけて,周りに同情してもらいたいって思ってるだろ」の3本立てです.それぞれタイムラグがあって言われたものだけれど,どれも僕の本心を突いていたし,ぎこちなく笑ってやり過ごすしかなかった.

そりゃそうだ.友人は3年ぶりに会ったのだから,言われると思ってもみなかった.身の上話をした後,それぞれの言葉を面と向かって伝えられた.僕にとっては良かったのかもしれない.いよいよ逃げ場も無くなった.トリックがバレた殺人犯みたいに,開き直るしか術がないと思ってしまった.

話が逸れるが,周りは僕に対して期待することが多い.学力ではなく,人間的に?なのか「こいつは上に行くタイプだ」みたいなことを言うことが多い.お世辞でも嬉しいけれども,そんな自分をぶっ壊したい衝動にいつも駆られている.母親は良い学校に行かせたくて勉強をさせたし,父親は就職先を鼻高々に会社の同僚に自慢したらしい.だから何なんだ.華やかに彩られたであろう人生から転落していって何が悪いというんだ.自身で決めたことだ.それだけなんだ.他人に理解されたとして何がうれしいというんだ.


明確に何が原因でうつ病になったのかもわからなくて,とにかく直近で起きた出来事と職場含む周囲への迷惑度合いを考えた苦肉の言い訳をうつ病の原因として自身で押し付けて強引に納得しようとした.多分,全部違う理由なんだと思う.本文のタイトルこそが病気になった理由なんだと思っている.僕は,僕の人生に手を抜いて,そこから逃げたくて鬱になったんじゃないかと.そう,思えてならない.

もちろん,離婚などの話もあったし,高圧的な人間&女性がものすごく怖い.恐怖症なのかもしれないことは自覚している.それ以上に,もう,人生でやりたいことがおそらく成し遂げられたんだろうな.だから,欲のない,がめつさのない顔になったんだろうな,と思っている.誰がなんと言おうが,これが事実であり真実なんだ.


これ以上自分語りはしたくなくなった.なんでか?それは上記で説明がつくでしょう.ダメ人間でもダメ男でも,屑でも,何とでも呼べばいい.それが、僕であり私であり俺なんだ.


***あとがき***

いつか,懺悔するように自身で読み返せるように,このnoteを遺すことにします.読んだ方が何も思わない/感じないことを願います.

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urara
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