映画『ホリック xxxHOLiC』レビュー
【繰り返される4月1日のおかずに見る歓喜の鈍磨】
幸せな1日なら何度繰り返されたって嬉しいのかというと、人はだんだんとその幸せに慣れて飽いて爛れていくものらしい。
CLAMPの漫画作品を原作にした映画『ホリックxxxHOiC』の中、神木隆之介が演じる四月一日君尋が夢見心地の中で何度も繰り返す4月1日は、最初のうちこそ卵焼きに添えるおかずが毎日変わっていたものが、やがて肉じゃがばかりになっていく。君尋の表情も嬉々としていたものが、だんだんと張り付いた作り笑顔のようになっていく。
そんな演出をひとつの例にして、映画『ホリック HOLiC』には蜷川実花監督の感性が様々な形で折り込まれ、漫画が描いた世界の持っていた絢爛とした雰囲気から、揺れ動く心理から異界と触れあう覚悟まで、しっかりと感じさせつつ映画として独立して楽しめるものに仕上がっていたように思えた。
実を言うと漫画はあまり読んでおらず、アニメも観ていないため原作の雰囲気を熟知しているとは言いがたい。それでも、CLAMPの作品ならといったフォーマットに沿いつつも、コミカルさよりは耽美さに力点を置き、幽玄とした雰囲気をセットによって作り衣装によって作り空気感によって作り上げた実写版になっていたということは感じ取れた。
蜷川実花監督ならではの色彩的な美しさは当然として、細かくカットを割って1つのシーンの1人のセリフも何方向から撮って切り替え、内心の揺れてせり上がり沈んで浮かんで破裂する感情めいたものも感じさせる冴えがあって、目が飽きる暇がなかった。
そんな映像によって紡がれる世界では、四月一日君尋のあたふたとして巻き込まれ逃げようとして関わっていくようになる変化から、それを見守り引き入れ導き救う侑子さんの厳しいようで友愛に溢れた雰囲気をしっかりと描いていたように思う。そのように表現されていた映画のシーンが、漫画だったら、アニメだったらどのように描かれているのかを、遡って確かめたい気にかられた。
映画では松村北斗が演じて、スクリーンに乳首を焼き付けていた百目鬼静は四月一日とどこまで絡み合うのかとか、映画では吉岡里帆が谷間も露わに演じていた女郎蜘蛛はどこまで嫌らしいのかとかも。というか、多分原作ではそうした状況はあまりなく、女郎蜘蛛も壱原侑子さんと対決するライバルキャラといった感じでもないのだろう。
そこを映画では対立する存在とした上で、その間に人間だけれどアヤカシが見えてしまう四月一日を置いて右へ左へと振り回し、揺さぶった上で生きる道を選ばせる物語としてまとめ上げた。そこに母性という要素を入れたのも映画オリジナルの要素だとして、その状況すら陳腐というなら世の映画の多くは陳腐なフォーマットの上に構築された伽藍の塔になってしまう。
映画はそうしたドラマをどう見せるかという部分で、絢爛とした装飾であり衣装でありVFXを用いて時に色彩を操り時に抑えて銀灰色の世界に迷わせた。蜷川実花のすばらしい感性を、映画のプロフェッショナルたちが寄稿する専門誌の厳しいレビューを退けてでも指示したい。
願うなら神木隆之介があと10年若ければといった気持ちがない訳ではない。2010年放送のテレビドラマ『SPEC~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿~』でニノマエを演じていた神木隆之介の奔放にして深淵な感じは、決して失われてはいないものの12年の歳を重ねて漂う精気の違いは如何ともしがたい。
侑子さんを演じた柴咲コウも可能なら、あと10年若かった方が侑子さんらしかったかもしれない。蜷川実花監督が映画化を臨んだそのタイミングで、同じキャストで作れていたらと思わないでもないが、それはあくまで原作寄りとなった場合のこと。この映画で四月一日の過去の傷を癒やし導く存在とされたのなら、侑子さんの年上然とした雰囲気であり物理的な加齢も意味を持つ。
女郎蜘蛛の吉岡里帆は本当にいやらしくて良かったし、眷属のアカグモを演じた磯村勇斗はイカしててイカれて最高だった。見終わって不満のまるでないのは原作を深くは知らない身の特権かもしれないが、そういう人に作品への扉を開いた作品として原作ファンにも受け入れられると良い。
とりあえず改めて原作を読み直し、アニメを見直してまた見たい。吉岡里帆の胸に頭を埋もれさせる神木隆之介への罵声を心で浴びせかけるためにも。(タニグチリウイチ)