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介護者の自立。

先日、遅い昼の後お店を出て右に曲がって銀行へ行かないと!
と思い歩きはじめた所…
“おまわりさんの白い自転車“と“タクシー“と“バイク“が目に入ってきた。
「あっ事故か!」と思ってさらにその場所を通り過ぎようとした時に
驚いて“開いた口が塞がらない”

その事故はホントに直後であったようで、道路にはバイクが倒れヘルメット被ったままの男性は“ぴくり”とも動いていない。

えっ!どう言うこと???
頭の中が混乱が始まる。
でも、おまわりさんがいる。(1回目)
でも、おまわりさんは事故の当事者と思われる人に事情を聞いている様子。
“でも“でも“、ヘルメットを被った被害者になるのか?
“この“この“暑い道路にその間、何分なんだ?放置じゃねえか!
でも、おまわりさんがいる。(2回目)
そんな混乱の中、私も周りを何気に歩く“傍観者”の一人。
私の中では“おまわりさんがいる“と言う事で、行動を起こす事を躊躇してしまった。
縦割り?「おまわりさん」は救命救急ってやらないの?救急隊の役割なのか?その後、私は銀行の手続きを終え事故現場を覗いてみると、
未だ救急者は来ていない…。連日、熱中症で救急車の出動が多いと聞いていた、今日この頃のこれが現実なのか…。
もう1件の銀行に行き手続き中に、「ピーポーピーポー」やっと消防車がきた。と、なんとも無責任な傍観者の一人であった。
傍観者って一番無責任なように感じています。
何か行動を起こすことは勇気がいることですが、あの時に私は何をすることがベストだったのか。答えってあるのですか?
誰もが事故に出合う確率は低いと思う、なのでその対象方法は未知。
社会的なルールを「おまわりさんがいる」無視していたならば、
多分走って心臓マッサージをしたのかもしれない…その違和感なのか?
無意識に、“誰かがやるであろう“と言う事は日常当たり前になっているのだな‥。と感じた一コマ。
どうか被害者がご無事でありますように祈ります。

あくまでも私が目撃した時間中の話であり、おまわりさんも色々な対応中だった事も事実です。シンプルに何かできる事ってありますか?
と聞けば良かったのかもしれない。反省…。

私のふるさと風景見てください♪

さて、介護の“自立“?ってある?ない?では介護において
その後人生にも色々課題が残る事があります。
自立“と“自活“って違うんですよね。
親元を離れ一人暮らす事が出来、働き生活ができる事は“自活“であり、
一方、自立とは親から離れ親を客観的に見る判断能力があり、
親から与えられた以外の、生きる土台が出来ている事なのだと思います。
自立が出来ていないことは、親の状態が変化する事により自活までも
できなくなってしまう事もあります。
それは無意識や意識それぞれですが、親に依存をしている事です。

依存は悪いことではありません。この社会は依存しないと生きてもいけません。その依存をしている事を意識し、親との線引きしないと自立が出来ないのだと思います。
依存を意識しながら、親の人生を客観的に見れるような俯瞰的な事を意識
する事は特に介護には必要です。

介護者の人生は親亡き後も続きます。
介護に依存はよくある課題。俯瞰的な視点を知る得る事は必要なのです。

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家族の介護はする人もされる人も初心者です。100家族があったら100通りの介護があり、これが正解はありません。そんな正解のない介護の基本知…

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