ヨガをこよなく愛し、ヨガは人生そのもの。吉川めいさんにとってのヨガとマインドフルネス
マインドフルネスを体現している、心豊かな人生を送っている方からまなぶシリーズ第五弾。
今回はウェルネスメンターとして活動の幅を広げ、オンラインでヨガとウェルネスのコンテンツ配信を行うスタジオVeda Tokyoの経営者でもある吉川めいさん(以後、吉川さん)。
現在の吉川さんからは想像がつかないですが、20年前には、鬱・不眠症に苦しんでいた時期があって、そんな吉川さんをヨガが救ったといいます。吉川さんの人生を語る上で、ヨガはなくてはならないもの。
今回、なぜヨガをはじめたのか・不確実な時代の中でどうマインドフルネスが役に立つか、などお話を伺ってきました。
プロフィール
吉川 めい(よしかわ めい)
Veda Tokyo主宰、ウェルネスメンター。日本で生まれ育ちながら、幼少期より英語圏の文化にも精通する。ヨガ歴21年、日本人女性初のアシュタンガヨガ正式指導資格者であり『Yoga People Award 2016』ベスト・オブ・ヨギーニ受賞。adidasグローバル・ヨガアンバサダーもつとめる。
箕浦 はじめまして、本日楽しみにしておりました。よろしくお願い致します!
暗黒の学生時代からのはじまり
箕浦 現在はオンラインのヨガスタジオVeda Tokyoを経営されていますが、どのようなきっかけでヨガを始められたのでしょうか?
吉川さん 学生の時に人生を変えるような大きな出来事をいくつか経験したことが関係しています。
まず、14歳の時に両親が離婚しました。両親は27年間、結婚していましたが、急に別れることとなりました。
当時、思春期だった私にとっては精神的に大変なショックでした。
箕浦 当たり前だった日常がいきなり変わることを受け入れることは、子供だとなおさら難しいですよね。
吉川さん はい。当時はモデルの仕事もはじめていましたが、何を信じていいのか分からない状態になってしまい、2年間ほど深刻に悩んでしまいました。
そして、その後、少しずつ自分のペースを取り戻せてきたかと感じていたのですが、今度は母親に脳神経系の難病が見つかりました。
箕浦 大変つらいですね。
吉川さん とても珍しい病気だったので、そもそも正確な病名の診断がされるまでに、2年間ほど色々と病院を回りました。
そして、診断がされた時には、医者の方からは、治療をしても余命が長くて10年だと宣告されてしまいました。
まだ大学に行きはじめた19歳の時でした。
箕浦 周りが遊んでいる大学生の時に、そのような大変な出来事と向き合われていたのですね。
吉川さん 当時の日本では、ストレスという言葉もなく、メンタルヘルスやストレスケアへの意識が相当低かったですよね。
箕浦 現在でも、まだまだですからね。
吉川さん 当時の私は、ストレスで相当ダメージを受けているということに対して、そもそもどういうダメージを受けているのか、またどのように向き合えばいいのか、全く分かりませんでした。
外部にどう頼ればいいか分からず、一人で悩みを抱え、また深刻に悩んでしまうようになってしまいました。
箕浦 日本だと外部に頼るということに心理的なハードルもあって、一人で抱え込んでしまう方は多いですよね。
吉川さん 不眠、鬱、引きこもり、で最悪な状態でした。
健康状態も悪化していき、20歳の頃にはボロボロの状態でした。
周りの大学生が飲み会などで楽しそうにしている中、私だけは母の介護と金銭管理。これから先どうすればいいんだろうと悩んでいました。
箕浦 金銭管理までやられていたのですね。
吉川さん 不眠の影響が特にひどくて。
眠れなかったので日中は頭が働かずゾンビのようでした。また、見かけにも影響が出るようになって、モデルの仕事も休業せざるを得ませんでした。
すると、お給料がなくなるので、またお金のことで悩んでしまうと。悪循環でした。
吉川さんを救い出したヨガとの出会い
箕浦 どのように、その悪循環から抜け出すことができたのでしょうか?
吉川さん 母親とともに自分の人生もダメになってしまうなと思い、解決の方法を探しはじめました。
私はインターナショナルスクールに通っていたこともあり、英語ができるのですが、共通の友人を介して、あるオーストラリア人の女性の方と出会う機会がありました。
彼女がとても姿勢が美しかったので、絶対に何か特別なトレーニングをしていると思い、声をかけてみました。
箕浦 面白いですね、何をされていたのでしょうか?
吉川さん ”I do pilates three times a week(週に3回ピラティスをやっている)”との返事でした。
当時は、ピラティスは日本で全くやっている人がおらず、聞いたこともなかったです。
”何をするの?”と聞いたら、”体のコアを鍛える方法で、ヨガと似ているけど、マシーンとか道具を使うの”と教えてくれました。
箕浦 ヨガの前に、ピラティスと出会っていたのですね。
吉川さん それが、ピラティスをやりたいと思って、日本でできるところを探したのですが、当時は一つもありませんでした。
そこで、”ヨガと似ている”と言っていたのを覚えていたので、ヨガが出来るところはないか、今度は探してみました。
箕浦 ヨガだと、当時でもありますもんね。
吉川さん とはいっても、当時は2000年の頃で、東京全域でヨガスタジオが3つあった時代ですね。
当時は、とにかく健康状態を改善したい一心で、毎日通えるところでないとダメだと思っていました。ケンハラクマさんが経営していた荻窪にあるIYC(インターナショナル・ヨガ・センター)に通いはじめました。
箕浦 ケンハラクマさんに教えてもらっていたのですね。先日、インタビューさせて頂きました。
吉川さん ケンさんは、私にとっての最初の先生です。ケンさんとは21歳の時の出会いなので、それから私のことをよく知っています。
ICU(国際基督教大学)に通っていましたが、授業が終わるとスタジオに通うという生活をはじめました。
ヨガに魅せられたきっかけ
箕浦 ヨガのどういった部分に惹かれて行ったのでしょうか?
吉川さん 当時は、オウム真理教の事件などもあり、ヨガが風評被害を受けていた頃だったのですが、ケンさんのスタジオは、英語で海外から学んだヨガを教えていたり、国際色豊かで、とても馴染みやすく感じました。
箕浦 ヨガのクラスを最初に受けたときは、どのように感じられましたか?
吉川さん 最初のクラスで衝撃を受けました。動き自体は上手くできなかったのですが、クラスの最後にあったシャバーサナ(寝るポーズ)で寝そうになったんです。
ずっと眠れなくて不眠が続いてた自分が、はじめて行くヨガスタジオの床で寝そうになるということに、感銘を受けました。今までいくら改善しようと思っても、眠れなかったのに。第一印象が特に効くなと感じました。
箕浦 それ以降は、どのようにヨガを習得しましたか?
吉川さん それから、先生(ケンハラクマさん)の先生からも学んでみたいと思い、インドにも行くようになりました。南インドにあるアシュタンガヨガの総本山スクールに行って、毎朝、ヨガ・瞑想を行なったりしていました。
箕浦 ヨガをインドで深めてみようと考えられたのですね。
吉川さん 他にも、生活のすべてを見直しました。食生活でベジタリアンになったり、友達との付き合い方、働き方、住んでいる環境まで見直しました。
箕浦 習慣や環境もすべて変えたのですね。
吉川さん とにかく自分の健康を改善したいと必死でした。私は、練習したことを覚えるのは早くて、2004年にはインドに通い始めて、2006年には、ケンさんにつづいて日本人では二人目、女性でははじめてインドの総本山スクールから正式指導者資格を頂きました。
今のようにライフスタイルのヨガという感じではなく、とにかく必死で練習していました。
ヨガインストラクターとしての歩み
箕浦 ご自身のために当時はヨガをしていたわけですね。現在では、周りにもインストラクターとして教えていると思いますが、どうして教えはじめようと思ったのですか?
吉川さん 丁度その頃から、ヨガが少しずつ広まりはじめました。ハリウッドセレブもやっているとテレビ番組で紹介されはじめたり。
ビジネスマンの方もヨガスタジオを開いたりと、インストラクターが必要とされていました。ただ当時は、日本ではヨガは新しいもので指導できるくらいの練習歴があるという人は限られていました。ヨガインストラクターというのは、職業として存在していませんでした。
インストラクターがいないと、ヨガをやりたいと思う人がいても広がっていかないので、ケンさんが指導者を増やす取り組みをはじめました。
箕浦 それで、吉川さんにもお声が掛かったということですかね?
吉川さん はい、”めいちゃん(吉川さん)、教えてみない?”と誘っていただいたのをよく覚えています。
ただ、即答で”やります”とは返事できず、その時は返事を持ち帰らせてもらうことにしました。
歴史も伝統も深い、壮大なヨガの教えを、まだ練習歴の浅い自分がお金をもらって教えていいのかという葛藤。モデルの仕事をしていたので、両立をどうするかで、悩みました。
箕浦 それだけヨガの歴史とかすべてをリスペクトされていたのですね。
吉川さん ケンさんは、私が真面目に練習しているところを毎日見ていたので、あるタイミングで背中を優しく押してくれました。
”知らないことは教えなくていいから。他の人よりちょっと先にヨガを知っているめいちゃん(吉川さん)が、伝授するというより、先に知ったことを伝えるだけでいいから”と。
箕浦 素敵なお言葉ですね。
吉川さん ”これからヨガをする人が増えてくるから、これからはめいちゃん(吉川さん)が次の人達に教えてあげたらどう?”と。
それではじめて、”分かりました”と返事をさせていただきました。
箕浦 ケンハラクマさんから吉川さんがそう関わりがあって、次の世代にそうやって伝わっていくって、何かいいですね。
吉川さん それから、週に1回くらいのペースで教えるようになりました。
教える立場になって初めてよく分かりましたが、教えること自体が非常に勉強になりました。
60個くらいのポーズをどう連動させていくか、動きや呼吸の仕方、目線をどこに置くのか、頭に入れておく必要があるじゃないですか。さらにそれを人様に正確に伝えるという。さらにヨガを勉強するようになりました。
箕浦 最初はどういったところで教えられていましたか?
吉川さん 六本木にあるダンススタジオで教えはじめました。
ダンススタジオは夕方からなので、空き時間の、水曜日の朝10時半から毎週レッスンを担当するようになりました。
箕浦 どういった方がいらっしゃいましたか?
吉川さん 最初は人を集めるのが難しかったのですが、テレビ朝日が近くにあったというのもあり、不思議なご縁でアナウンサーの方が多くいらっしゃるようになりました。
朝の天気予報を読まれた後にいらっしゃるとか。仲良くなってコミュニティもできるようになりました。
レッスン後に一緒にランチをして、最近読んでる本とかヨガについてとか意見交換したり。
インドとの二拠点生活
箕浦 その後、ご自身のヨガスタジオをはじめられるまでは、どのように過ごされていましたか?
吉川さん 2004年から十数年間、インドに家を借りていた時期がありました。総本山スクールの近くに家を借りて、そこに荷物も置いて、日本とインドを行き来していました。
箕浦 どのくらいインドには行かれていたのですか?
吉川さん 大体、年に2回くらい、合わせて4ヶ月間くらい滞在していました。一年の三分の一くらいはインドにいたということになりますね。
インドに行っている間は、総本山スクールで練習に没頭していました。
箕浦 どのように練習に没頭されていたのですか?
吉川さん 私はマニアックな部分があるので、総本山には世界中のヨガの好きな人たちが集まっていますが、あまり交流ということもなく、ただただ自分の練習に取り組んでいました。
毎朝、3時くらいには起きます。それから、沐浴をして、総本山スクールに行って、2時間くらいアーサナの練習をして。家に帰ったらまた瞑想やチャンティングの練習をしてというような。
その間は誰とも話さない時間でした。ヨガとか瞑想をこよなく愛していて、ただ好きなんです。
箕浦 すごい生活ですね。
吉川さん インドでの経験は今の自分の形成に大きく影響を与えています。ヨガのコミュニティの他に、現地のお父さんお母さんのような存在の方もいたりします。
川の上流の方の水を飲めるという表現がいいでしょうか、本場の先生に学べるというのはとても有難い経験でした。
また、そこで正式指導資格をいただいたことで、教えることについても少しずつ自信をもってできるようになりました。
箕浦 そこからレッスンもより多くされていったということでしょうか?
吉川さん 未熟なところはまだまだありましたが、精一杯。東京はもちろん、全国でアシュタンガヨガを教えるようになりました。海外でもバンコクで教えたりと。
箕浦 最初は自分のためにはじめたヨガを、周りに教えるときはどのような気持ちで、教えられていますか?
吉川さん ヨガをはじめて自分の人生が変わったので、他にも必要とされている人にも伝えたいという一心で教えています。
ヨガスタジオをオープン、好きだから逆風も乗り越えられる
箕浦 その後、ご自身でヨガスタジオVeda Tokyoをオープンされたのは、どういったことがきっかけとなりますか?
吉川さん 端的に言うと、生徒さんたちも増えていって、スペースの確保はもちろん、レッスン後の交流もよりできればと思い、はじめようと思いました。
レンタルスペースだと、レッスン後に生徒の方たちと、色々とお話しさせていただくことが難しかったりするので。
箕浦 オープンされた時は、表参道にスタジオがありましたよね?
吉川さん はい、2011年に表参道にスタジオをオープンしました。ヨガが純粋に好きでオープンしたので、事業計画を立ててビジネスとしてはやっていませんでした。
今でも大切な考えとして、本気でヨガが好きで伝えたいという思いがあれば、そのエッセンス(本気さや純粋さ)は伝わると思うので、それさえあれば広まっていくと考えています。
箕浦 素敵ですね、どのようなレッスンを提供されていますか?
吉川さん 健康って、体だけではなくて、精神的な部分も含めて、包括的に考えることが非常に大事だと考えています。
ですので、食生活や、子育てなど、暮らしの中での生き方をテーマに、ヨガだけでなく幅広くレッスンを提供しています。
箕浦 素敵なコンセプトですね。
吉川さん ただ、オープンしたのが2011年3月3日なのですが、その1週間後には、東日本大震災が起きました。
色んな意味で厳しいスタートでした。そんな厳しい中でも、ヨガが好きだったから続けられたと思います。
私がしたかったのは、このような不確実な状況の中でこそ一番必要な、”呼吸をととのえて心を見つめ直すこと”を伝えること。少しでも役に立てるのであれば、続けようと思いました。
箕浦 それから、コロナの時に、表参道のスタジオを閉じてオンラインに切り替えられたようですが、その時も大変でしたか?
吉川さん そうですね、10年間続けた表参道のスタジオでしたが、コロナが流行しはじめたタイミングで、まずはプログラムのオンライン化をすぐに決めました。
健康・ウェルネスを伝える身でありながら、感染のリスクが3密であると言われている環境の中で、収益のためにスタジオでの物理的な空間で、クラスを続けるという決断は出来ませんでした。
箕浦 難しかったと思いますが、素早い決断ですね。
吉川さん そうですね。ただオンラインに切り替えることで、より多くの必要とされている方に届けられる、家からでもレッスンが提供できることでスタジオのインストラクターの雇用も守れる、とも思い、切り替えました。
当時は、ウェブサイトも対応してなかったので、Googleフォームで予約を受け付けて、Zoomのリンクも手動で皆さんに送るなど、ゴタゴタでしたが、とにかく皆さんに届けたいと必死の思いで続けました。
箕浦 Zoomなどのオンラインツールも、皆さんようやく使いはじめたというタイミングですもんね。
吉川さん そうですね。大変でしたが、嬉しかったのは、全国の皆さんに届けられるようになって、全国の方から多くの感謝のお便りをメールでいただけるようになりました。
”一番不安で眠れない時に、オンラインで繋いだら先生がいて、休めるきっかけになりました”、”どう安心していいか分からない中で、人生が変わりました”とか。
これが私がやりたかったことですし、大変でしたがものすごくやりがいを感じました。
箕浦 私も時々、そういったメッセージをいただいてそこにエネルギーをいただいて続けています。多くの方に届けられるというのが、オンラインの本当に良いところですよね。
吉川さん オンラインにしたことで、不動産をかかえる必要もないので、お客様に価格も以前より低価で多くの種類のレッスンを提供できますし。
オンラインにすることでよりライフスタイルに取り込んでもらいやすくなるので、20分など短い時間でのレッスンも意識的にはじめるようになりました。
ライフスタイルに取り込んでもらいやすく、というのはオンラインにしてから、マインドセットをかなり変えた部分であります。
箕浦 有難うございます、Upmindでも同様に意識しているところがあり、大変参考になります。
不確実な時代にどのように生きていくか
箕浦 最近では、AIなどテクノロジーの発展を中心に、時代の移り変わりも早く、予測ができない不確実な時代。不安を感じる方は、今後増えていくと考えています。最後に、不確実な時代の中でどのように生きていくのか、悩んでいる方々にアドバイスを頂いてもいいですか?
吉川さん まずは自分を知って欲しいなと心の底から思います。自分が本当に何を求めていて、どのように感じていたいのか。
そこを知らずに、社会に合わせて、会社に合わせてということをしてしまうと、時代が変わった時に、そもそも何をしていたんだろうと自分が分からなくなってしまうように感じます。
自分を知ることで、比較することもなくなり、自分の決断を心の底から信頼できて、もし失敗してもまた何かできると、立ち直ることができる。
自分を知ることは、とてつもなく素晴らしいことだと感じます。多くの方に、自分を知って欲しいなと思います。
箕浦 自分の価値観や軸で人生を生きる。自分の価値観や軸を知るために、呼吸や自身をととのえて自分と向き合う時間をつくる。そういったことがもっともっと広がっていくといいですね。
箕浦 色々と素敵なお話を有難うございました!
インタビューを終えて
今日のお話を聞いていて感じたことが二つありました。一つ目は、好きなことをやっていたら、その思いは周りに伝わり、広がっていくこと。吉川さんがヨガを本当に愛しているからこそ、吉川さんの周りにコミュニティが広がっているのかなと感じました。二つ目は、最後のお話にあった、自分を知ることの大切さ。中々、自分と向き合う時間を取るのが難しいかもしれませんが、一日に数分でもいいので、呼吸を整えて落ち着く時間を取ることで、自分の正直な気持ちとより向き合うことができるようになるのかなと感じます。これらの学びを大切に、今後、Upmindの活動も続けていけたらなと感じました。吉川さん、今後も活動、陰ながら応援しております!
代表取締役(箕浦 慶)プロフィール
オーストラリア・パース生まれ。2015年に東京大学工学部を卒業、チームラボに入社。2016年までスマートフォンアプリのエンジニアとして開発業務に従事。2017年に米Bain&Company(戦略コンサルティングファーム、東京支社)に転職し、経営戦略の立案に従事。2021年にUpmind株式会社を設立。瞑想歴はゴア(インド)で体験してから10年以上。
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