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図らずも「発信」「表現」を考える時間になった、せやろがいおじさんのトークイベントの話

堅苦しくマジメな調子では、子どもに興味を持ってはもらえない。

勉強が勉強になる前に、いかに知的好奇心をくすぐる触れ方ができるかが、ハマるかどうかの鍵だよね……という話をした。

おもしろければ、子どもは食いつく。それが算数だって国語だって音楽だって体育だって。

ウィットに富んだ返し、が下手だ。ユーモアなことに触れるのは好きだけれど、ユーモアなことを発する点に関しては、てんでお話にならない。

マジメすぎてつまらないと言われたことがある。自覚もしている。割とふざけているタイプではあるのだけれど、ユーモアからは程遠い。頭がかたいんだろうなあ。かなしい。

だからということもあって、ユーモアのある人が好きだ。尊敬している。爆笑的な笑いも、皮肉った笑いも、わたしは本当に下手だから。

社会的なニュースやできごとを、巧みな比喩を使いながらおもしろく、かつわかりやすく伝える芸人さんがいる。せやろがいおじさんだ。

フォロワー数も多ければ、動画がバズることも多いから、何となく知っている人も多いのではないかと思う。

わたしも、一年ほど前に流れてきた誰かのリツイートで彼を知った。時事ネタに笑いを合わせる匙加減が、本当にいつも絶妙だと思いながら見ている。ものの例えも本当にうまい。(誰でも訓練次第でできるとイベントでおっしゃっていたけれど、なかなか難しいと思うのです)

そんな「せやろがいおじさん」が埼玉にトークイベントに来た。大宮の、それも貸会議室に。漂うセミナー感。撮影されるパワポ。だけど、要所要所に笑いが散りばめられていて、涙が出るほど笑った。結果、化粧が落ちた。どうしてくれよう。(なのに写真を撮ってもらった)

意見を表明することは、大切だけれど怖いことでもある。特に、相手の顔が見えないネット上では、本当に見ていられないやり取りが多く見られる。

意見じゃなくて、中傷でしかないことも多い。批判ではなくて、悪口でしかないことも多い。意見だったはずのものが、言葉選びによってただの罵詈雑言になっている……なんてことも、本当に本当に多い。

せやろがいおじさんは、「キャッチボールをしたいのに、ドッジボールをしてくる人がいるんですよね」と言っていた。まさにだなあ。

相手が受け取りやすいように投げるのではなく、豪速球でぶん投げている人は、本当に多い。脊髄反射的に投げているとしか思えない鋭いボールは、受けた相手の攻撃性を刺激する。結果、大喧嘩。炎上。よく見かける流れだ。

せやろがいおじさんは、「自信がないことがぼくの唯一の才能」だという。嘘だあ、と思いながらも、言いたいことはとてもよくわかった。

自信がないから、言葉を尽くす。怖いから、あちらにもこちらにも想像力を働かす。意図的に傷つけたくはないから、できうる限り考える。それは、わたしも同じだ。

言い切ることが是とされる風潮のなか、わたしは多くの場合で言い切れなくて、マジメな上にどっちつかずといったどーにこーにもな表現になってしまう。弱い弱い言葉になる。

せやろがいおじさんは、その動画のすべてで言い切りはしていないのだけれど、それでもすごいなあ、と思う。政治が絡むことって、せやろがいおじさんも言っていたけれど「腫れもの」だもの。政治に詳しくないから、余計に意見を表明できない、ともいえるけれど。

なお、言い切れない物事のときは、視聴者にぶん投げてしまうのだそう。確かに、その締めパターンも見たことあるな(笑)

マジメなことをマジメな表現のままにしないのは、もちろん彼がお笑い芸人だからなのだろうけれど、それってとても難しいことだと思うのだ。

「考える」が第一ステージだとしたら、「意見を持つ」「意見を述べる」「伝え方を工夫する」……という具合にステージが上がるようなイメージがある。

伝える、を仕事にしている端くれにいる人間としては、どうにかこうにか伝える表現力を鍛えたいよなあとあらためて思った。

セミナーに行ったわけではないはずなのだけれど、セミナーに行ってきたかのような学びが笑いとともに得られて、今も脳みそがワーワー言っている。

おもしろい、にはさまざまなタイプのものがある(はず)。笑い方面のおもしろさは無理だとしても、おもしろい伝え方ができるようになりたいなあ。

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卯岡若菜
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