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『すずめの戸締まり』からー〝怪物〟と暮らす。
-扉の向こうには、すべての時間があった-
先月11日に公開された映画『すずめの戸締まり』の印象的なキャッチコピーだ。『君の名は』や『天気の子』で一世を風靡した新海誠監督による最新作。公開から2週間あまりで興行収入が62.6億を超えるロケットスタートを記録した。
1.“戸締り”が意味するもの
『すずめの戸締まり』は、災いを起こす“扉”を閉める旅を通して少女の成長を描く冒険ものだ。
日本各地の廃墟を舞台に、
災いの元となる”扉”を閉めていく
少女・すずめの解放と成長を描く
現代の冒険物語だ。
日本とヨーロッパにおける“戸締まり”は、対照的なものであったという。その違いは、家の内部における部屋の区別と、家の内外に対する区別だ。日本を代表する哲学者・和辻哲郎氏の『風土』に教わった。
後者は分かりやすいだろう。日本人は玄関で靴を脱ぐのに対し、海外では靴のまま家へ上がる。ヨーロッパ人にとっての戸締まりは、個々の部屋に鍵を閉めることであり、それは厚い壁や頑丈な扉で区切られる。対して日本人は古来から襖や障子といった簡単なもので区切り、そこには家の中の相互の信頼があった。今でも夫のことを「うちの人」、妻のことを「家内」と呼ぶ。
日本人は家の中と外を分けるために戸締まりをし、ヨーロッパ人は個人の部屋にのみ戸締まりをする。結果として、家に規定されないヨーロッパ人は大いに社交的である。
それゆえに特有の文化も見受けられる。日本には家族の団欒という概念がある。戸締りをして家を出た、外の共同体の中では「井戸端会議」として話に花が咲いた。「ここだけの話」という前置きがスパイスとなって。
2.姿を変えた井戸端会議
しかしそんな光景も、現在はあまり見かけなくなったのではないか。「井戸端会議・広場での会話に相当するような会話がなされる」インターネット黎明期の1990年代、学者はそう指摘した。(多賀谷一照・岡崎俊一著『マルチメディアと情報通信法制』)
それからおよそ30年を数えた先月中旬。Yahoo!ニュースのコメント投稿者に、電話番号の登録が義務付けられた。コメントで傷つく人のことを考えればしかり。インターネットが日本人の共同体の扉を歪ませたことは確かだ。
3.〝怪物〟と暮らす
『すずめの戸締まり』では、すずめが各地で戸締りをすることで大災害の発生を防いだ。それはまた、「ただいま」から「行ってきます」の物語でもある。物語終盤、すずめは幼き頃の自分を知る。彼女の力強くて前向きな「行ってきます」は、過去に囚われていたすずめの再出発を意味する。
-恐るべきスピードでとてつもなく巨大化しつつある情報の怪物-立花隆は96年の著『インターネット探検』にて、インターネットのことをそう表現した。すずめが映画全体で確かなものにしたように「ただいま」と「行ってきます」の場所を適切に見い出すことは、〝怪物〟と暮らす現代人に課せられた使命であろう。
1,122字
2022年12月2日