「逃がした魚は忘却の淵」
元々随分若い頃から詞(以前は韻を踏んだ歌詞のつもりで書いていた)を書いていた自分は、noteのクリエイターのみなさんならわかると思いますが、突然言葉が降ってきたりするんですよ。
あれは何なんでしょうかね。
啓示とか、着想とか、そんなカッコいいものじゃなくて、森で熊に出くわしたけど怖さより初めてだからワクワクしちゃった、みたいな。
自分でもよくわからない感じに思います。
メモを取るということをしない自分は、「これは凄いぞ!」と思った時でも記憶にとどめて、帰宅してから書こうなんてしてました。
そんなの無理無理(笑)
人の記憶なんてそんなに確かなものじゃありません。
書いてみると、最初に浮かんだ「何だか凄いアイディア」の不様な残骸でしかありません。
一体何十回とそんな体験をしたやら。
自分は塗装業なので、作業中にこの出会い頭に衝突するともうどうしようもありません。
一番多いのは車の運転中で、この10年ぐらいは一旦停車してメモすることもありますが、いつもではありません。
数日前に「キスをする」という詩を投稿したのですが、元きのこ帝国の佐藤千亜紀の同名曲とは全く関係なくて、車中でREMの「Everybody Hurts」という曲を聴いていて「そうか、みんな傷付いてるんだな」なんてぼんやり考えてたら一気に降りてきた言葉を帰ってから投稿したのです。
珍しく、着想がそのまま形になった、みたいな。
でもね、思うんですよ。
みなさん、夢とか見ません?
それが印象的な時、記憶にとどめたいと考えても、数時間後にはほとんど記憶から消えてしまうでしょ?
だから、僕はあんまり拘泥しません。
忘れてしまった閃きはきっと素敵だったとしても、記憶に残らないならそれはそういうものなんだって、あまり惜しいと考えないんです。
よく「無意味」「無駄」「才能がない」「書けない」みたいな、執筆に対して苦悩を語っている方が大勢みえます。
いや、「書けない」と書いている時点で、あなたは書いているんです。
大丈夫です。
悩めばいい。思い通りにならない言葉に苦しめばいい。それもまた「創作」なんじゃないかな。
エラソーなこと書いてますけど、僕は鈍感だから人の作品にあまり嫉妬しないし、自分の作品も自意識の垂れ流しぐらいにしか思ってません。
そんな大したもんじゃないですよ「クリエイティブ」なんて。
この人生で逃したおびただしい魚たちは、今ごろ二度と上がってはこない忘却の淵に墜ちてます。
まるで人生。ままならない自分の姿そのものですよ。