岡田泰紀
20代の頃から今まで自身が書いてきた詞(と思っている)を、FBやnoteで公開してきましたが、未公開のものも含めマガジンにまとめてみようと思いました。 このマガジンは基本終わりはありません。 新たに書いた言葉や過去のものなどが付け加え続けられるからです。
若かりし頃、バーとシングルモルト、出会いと別れと執筆に溺れた「酒と薔薇の日々」を連作エッセイにまとめました。 元々は5年前、Facebookに不定期で連載したものですが、全編加筆訂正しnoteに再掲載しました。
母子家庭に育った主人公の少女が、紆余曲折の末息子を持った後、思わぬ苦難に人生が変貌していく。 その中で互いが苦悩する母娘のリレーションシップを描いた連載小説です。 ラストで物語が全て収斂するように描きました。 元々FBのプライベートグループで公開していた途中からnoteで並行して発表するようになったため、最初の部分ははまとめた形で収めています。
今週は家族のことや勉強会などいろいろあってあまり気持ちに余裕がありません。 終業後自宅にいるのは今日だけなので久しぶりに夕食を作りました。 1月は家族の記念日が重なっています。 父と二人の妹の誕生日、そして自分の結婚記念日です。 昨日その31回目の結婚記念日だったのですが、外出したために祝うことができませんでした。 出かける前に「今日は31回目の結婚記念日だけどケーキ買えなくてごめんね」と謝りましたが、あまりこだわりのない奥さんは「そうだった。忘れてた」とさばさばしていま
文章で食べていける人は馬券か宝クジに当たる確率並みに少ないと思っている自分は、そもそも文章なんて自分の自意識の垂れ流しとしか思っていませんので、「料理ブログ」なんてハッシュタグを付けていても毎日投稿する気もなければ書く内容もいつもいつもありません。 今日はそんなグダグダな内容かな。 金曜日に勉強会の大先輩が別の地区に転籍するための送別会があったのですが、まあまあの有志が集まってとてもいい会になりました。 自分は翌日営業日だからそのままトンズラしようと思いきや、ロックオンさ
1月17日は阪神淡路大震災の日ですが、29年前のこの頃、長男を身籠っていた奥さんが下血して病院に直行したことを思い出すのです。 このあと子宮内膜症で3ヶ月完全寝たきりとなり、予断を許さない中必死で頑張ってくれました。 当時の医療ではまだ1000グラムに満たない胎児の健常の判断はできません。 お腹の子が五体満足か、障害を持っているかはわからない。 その時25歳だった自分は人生で初めて腹を括りました。 奥さんには「全然大丈夫」と励ましながら、たとえ障害があったとしても育てていこ
ふと思ったのですが、スマホを初めて買ってからもう10年以上になることに気付き、歳を取ると月日が早いとげんなりします。 最初のiPhoneが出た時、もちろん値段もさることながら「いや、ペンキ屋の自分なんかあんなのムリムリ」と思っていました。 まわりの職人がぼちぼち手にし始めた頃、たぶん3~4世代かな、安かったので京セURBANO(まだ井川遥がCMする前のやつ)という端末を買いましたが、小さいし反応悪いしでなかなかイライラさせられました。 その後から3年周期でGARAXYを5、
世の中には、というよりこの国では、政治的な話や社会的な話はタブーみたいなところがあります。 内輪のリアルな会話の中ではあったりもしますが、主義主張を語ると暑苦しい、難しい、面倒くさい奴みたいに取られます。 それとは逆にSNS上ではマウントを取り合うような主義主張が垂れ流され、普通の会話の中では使わないような言葉で「正義」「正論」らしい何かに溢れています。 なにやら極端で交じわらない感じです。 本来、政治や社会を語ることは大切なことのはず。 ですが、自分が正しいと信じる
金曜の夜から歯医者の予約があるため次男が戻っていて、彼のために正月にやり損ねたどて煮を作りました。 午後から新年会があったため、午前中から仕込み。 前回スジ肉が固かったので、今回は帰宅後も含めて述べ5時間以上煮込みました。 疲れるわぁ…(苦笑) 話は変わって、本当はこの話題触れたくなかったのですが、松本人志の問題でXの投稿が本当に情けないなと思ってます。 今自分がチームリーダーを務めるグループが担当する月例会で、来月ジェンダーギャップの問題を取り上げるのですが、セクハラの
今日明日と新年会が続き、来週以降も会合が多いので夕食をお休みすることが多そうです。 火曜日も会合があったのですが、終わったあとの懇親会を近所のチェーン店でするつもりで街を歩いていたら電飾が派手なネパール料理店を同行者が見つけ、じゃあそこにしようと行きました。 みんなネパール料理なぞ食べたことがない。 ネパールってどこだっけ?インドに隣接した山岳国家だよ、仏教国だよね?いやググったらヒンズー教だったなどなど、まあまあいい歳をした仲間たちでしたがいかに知らないことが多いのかと
人によっては自分のやりたいことをやれても楽しくないこともあります。 例えばアスリートですと日々の過酷な練習があって初めて競技者となりますし、その練習が必ずしも自身の望む姿を約束してはくれません。 音楽が好きで仮に成功したとして、常にいい作品が書けるのか、この先自分が満足できる活動ができるのかという不安に苛まれないとは限りません。 何かをするということは、大抵不安や困難と背中合わせなものなのです。 年明けに休載していた2本の連載を各々4話書いたのですが、そもそも才能の持ち合
静が指定したのは、以前婚約者を紹介されたあのイタリアンだ。 そう、かつて家族で訪れていた店。 巴は、そうでしょうねと思った。 姉の鎖はきっと家族だったはずで、それを他人事のように思っていた私は馬鹿だった。 その鎖は今では朽ち果てているかに見えて、だって私たち家族はもうほとんど繋がってもいないのに、にもかかわらず知らぬうちに自縛していたのかもしれない。 ビリー・ジョエルの名曲に「イタリアンレストランで」というのがあった。 かつて恋人だった頃の行きつけの店で、その後結婚して別
「百人町に溶ける」は、一ノ瀬早苗の溶解していく人生の残滓のようだった。 何も無い、何も起きない日常の間間に、しかしその文章は美環が知っている伯母やインスタグラムに寄せられた文章とは違うどこか人を拒絶するような面持ちで、姪が垣間見たくなかったおそろしい非日常が挟み込まれている。 …60を過ぎた女を抱く男の気持ちは知らねど、その「愛」を偽ったことすら気付きもしない肉欲のことは身に覚えがなくもない。 私は私のことを偽る術がなく、脇を這う性器のような男の舌のぬめりに身も心も跪くし
昨夜、たて続けに2本の連載を仕上げたのですが、FBで一般公開してる作品は1年で22話、プライベートグループで公開しているもう一作は2年で29話(共にnoteにて共有)、進捗が遅々としていて自分でも歯痒いところがあったので少しは溜飲を下げています。 年明けにこのダブルヘッダーを3回やったのですが、設定からストーリーから全く違う趣きの作品が、偶然ながら同時に似たような感触の回になって自分でもびっくりしました。 そういう体験は初めてです。 共通していたのは、近い親族でありながら
一昨年から公私共に忙しい日々が続き、このアカウントで2本の小説連載を進めていたのが滞るようになりました。 マガジンにまとめたnote連載1作目の「せつなときずな」は1年で56話を連載したのに、現在連載している心理小説ともいうべき連載「トリプティック」は2年で29話、自身初のエンタメ小説(?)「Lady, steady !」は1年で22話で、ひどい時には1ヶ月以上のインターバルという不定期にも程がある体たらくで誠に残念なありさまです。 ※連載が終わったらnoteにてマガジンに
佐藤以外、社の人間は誰一人自分の部屋を知らない筈なのだが、巴は詐病の身で外出することに気が引けた。 いや、それもそうなのだが、それ以上に姉の静に会うこと自体が気が引けるのだ。 何で自分から電話なんかしたのだろう。 何で自分から会いたいなんて言ったのだろうか。 これはホラー映画に出てくる定番のシチュエーションと同じだ。 主人公が得体の知れない存在に怖れおののきながら、逃げもせずにその気配の方へ確認しようと向かうあれだ。 蛇に睨まれた蛙なのだ。 巴は静から直接聞きたいのだ。
自分の近しい身内にミステリーじみた秘密があるということに美環は心が揺れた。 インスタグラムのアカウントを引き継いで欲しいと言った伯母の早苗は、やはり何かを遺したい、見つけて欲しいと願ったのではないか? かつての「バーバー一ノ瀬」、母と伯母の生家にして晩年一ノ瀬早苗が独りで世を忍ぶように暮らした実家に、インスタグラムに上げていた料理のレシピの手書きのノートと、「百人町に溶ける」と題された自伝のような創作の原稿を揃えて置いていったのも、自分の生の痕跡を母や私に遺したかったからで
姉と二人だけで会ったことがあるだろうか? そんな記憶は巴にはなかった。 姉はもうあの許婚と一緒になったのだろうか。 たぶんあの人が普通に式や披露宴をすることはない。 そもそも姉に友人がいたのか定かではないし、それは巴には想像できない。 いや、大体からして姉が他人と人生を共にすること自体が想像の外にある。 父と母と私と、あの虚構の家族の中で姉だけが虚構を演じることなく、ひとり無関心を貫き通していたのだから。 だとすれば、正常だったのは姉だけで、私たちは偽善者だったのではない
ぼんやりと思っていたことの一つを自分の中で明確にするため、美環は少しの気後れをもて余したまま実家に行くことを決断した。 母の佳苗を迎えに行くと、買い物がてら近所の店に昼食に赴いた。 日曜日の昼過ぎ、穏やかな陽光を照り返す往来を眺めながら、なんでそんなことを思ったのか自問自答した昨夜の気持ちを振り返る。 結局、その答えは曖昧で、「本当に欲しいものなんか無いのよ」とエマに詰められたような気がして、でも曖昧なままそこに行きたいという気持ちだけが日に日に強くなっていったのも事実だっ