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注意経済が奪う退屈さへの憧れ #324

時折、私はうつ状態になる。SNSをチェックできなくなり、すべてのフォローを外す。くだらないニュースが飛び交う無秩序さ、著名な人や無名な人の成功談の眩しさ。その全ての情報を飲み込めない、むしろ飲み込まれていく。だから、私はテクノロジーやメディアとの向き合い方について考えるようになった。

現代はコンテンツが見切れないほどあふれている。稲田豊史の『映画を早送りで観る人たち』では、特に若者は自分が見たいからというよりも友人と話を合わせるためにコンテンツを見ており、多くのコンテンツのストーリーを把握するために早送りにしていることが指摘されている。コンテンツを消費するだけで鑑賞していないという表現が象徴的だ。

ほぼ無限に供給されるコンテンツを少しでも効率よく見ようとするのか、それとも私のように見ること自体を諦めてしまうのか。スマートフォンが普及してネットといつでもどこでもつながる今、私たちはどんな世界を生きているのだろうか?


注意経済とは?

SNSの閲覧数やクリック数に応じて広告料が得られるビジネスモデルから構成される経済を、注意経済(Attention Economy)と呼ぶことがある。注意経済という概念の起源は1969年のハーバート・サイモンによる「Designing Organizations for an Information-rich World」で、1997年のマイケル・ゴールドハーバーによる「The attention economy and the Net」によって注意経済として普及するようになったと言われている。

彼らが予測していたように、注意経済では企業同士がネット上でユーザーをどれだけ自社のSNSやサイトに呼び込めるのかを競争することになる。もしも自分の会社だけが注意経済に反抗したとしても、それだけ他の会社が儲けるようになるだけで社会全体の問題は解決することはない。そのため、この競争にはどれだけ大きな会社でも抗えない。たとえば、Facebook(現Meta)では意図的にユーザーに怒りを生むコンテンツを見せるアルゴリズムを使用していたという内部告発があった。ちなみに、フレッシュハンドメイドコスメブランドのLUSHはこのニュースを受けて、FacebookやInstagramの利用を中止している。

怒りや悲しみといったネガティブな感情が生まれるとわかっていても、人間はSNSをやめられない。憂鬱な気分になるニュースを追い続けてしまう様子を表すドゥームスクローリング(doomscrolling)という言葉が生まれるほどだ。この言葉はメリアム・ウェブスター辞書の「注目の言葉」でも取り上げられ、注意経済に無抵抗に引き込まれると幸福から遠ざかるという体感知を見事に言語化している。日本語であれば「ダラダラ見てしまう」などと言うだろうが、ドゥームスクローリングという言葉を知ることで、その悪影響を強く意識できるようになるかもしれない。

こうした状況を踏まえ、注意経済に対抗しようとする動きも始まっている。ユーザー側と企業・メーカー側の対策をそれぞれ見ていこう。


ユーザー側の対策

注意経済に対してユーザーの立場から対抗しようとする動きとして、カル・ニューポートの『デジタル・ミニマリスト』とジェニー・オデルの『何もしない』の2冊を紹介する。

『デジタル・ミニマリスト』では、人生の質の向上につながるテクノロジー利用に関する哲学が必要であり、自分たちの人生の主導権を注意経済時代のコングロマリットから取り戻そうと主張されている。具体的な演習としては、「一人で過ごす時間を持とう」「“いいね”をしない」「趣味を取り戻そう」「SNSアプリを全部消そう」などが紹介されている。「あなたがソーシャルメディアを利用しているのではなく、ソーシャルメディアがあなたを利用している」という一文が印象的だ。

『何もしない』では、デジタル・デトックスやリトリートのような一時的な対策では不十分とし、絶え間なく何かを発信しなくてはならない世界から距離を取る生き方を勧めている。荘子の無用の用を引用しながら、注意経済からすれば「何もしない」人とみなされる方が幸せに生きられると提案している。最後の章では「核心をついたツイートもできず、新しいつながりも生まれず、新規フォロワーも増えない」ような時間の過ごし方でよいのだとも書いている。

これらの本は個人でも実践できる具体的な対策を教えてくれる。いくつかの方法を取り入れながらSNSを使わない時間を増やすことで、少しでも注意経済の負の影響を被らないようになるのかもしれない。「ダラダラとスマホを見てしまう」という悩みに真剣に向き合いたいのならば、こうした先駆者を参考にするとよいだろう。


メーカー側の対策

注意経済に問題意識を持っているのはユーザー側だけでなく、メーカー側も同じだ。たとえば、Lightという会社が開発した「The Light Phone」と名付けられた携帯電話は、SNSやメール、インターネットブラウザなどの機能が排除され、電話やアラーム、カレンダー、音楽、メモなどの機能のみに絞られている。ホームページには「In this time of 'Surveillance Capitalism' and the 'Attention Economy', the Light Phone represents a different option.」とあるように、監視資本主義や注意経済への対抗手段として開発していることがうかがえる。

また、mui Labによる「muiボード」という木製インターフェースもある。時刻や天気予報を表示したり、家族とのメッセージのやりとりをしたり、IoT機器の操作をしたりできるようになっていて、ラジオアプリケーションのradikoやAmazon Alexaとの連携も可能なプロダクトである。「暮らしに溶け込む」ことを重視しており、アンビエント・インテリジェンス(生活や仕事の環境の中に、人間の活動に適応していく機能を持たせようとする情報技術)に寄与するべく、使用してない時にはディスプレイは消えて一枚の木の板に戻って空間に馴染むように工夫されている。

このようなユーザーの注意に配慮したプロダクトをつくる指針として、マーク・ワイザーによって提唱された「カーム・テクノロジー」という概念がある。日本語で学べる書籍にはアンバー・ケースによる『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』があり、「全てのデバイス開発は人間らしいカイロス時間を持てるようにフォーカスするべきである。人間らしい時間を送っているときにデバイスから通知がきたらクロノス時間に戻されてしまう。人の目に触れないテクノロジーこそ、最良のカーム・テクノロジーである」と書かれている。ちなみに、前述のmui Labにはアンバー・ケースがExecutive Adviserとして参加している。

このように、注意経済への対策をユーザーに委ねてしまうのではなく、メーカー側から適切な関わり方を提案しようとする動きもある。ユーザーとしては、こうしたプロダクトを購入しながら注意経済の問題に取り組む企業を応援することができるだろう。


注意経済になぜハマるのか?

ここまで注意経済におけるユーザー側とメーカー側の取り組みを見てきたが、ここで次の疑問が浮かぶ。そもそも、なぜ私たちはSNSにハマってしまうのだろうか? この理由を脳科学、進化論、哲学の3つの視点から考えてみたい。

まず一つ目に、脳のメカニズムから説明することができる。アダム・オルターの『僕らはそれに抵抗できない』によると、スマートフォンを使い続けることは行動嗜癖の一種であり、脳のドーパミンがハックされた状態に陥っているらしい。つまり、ドーパミンが放出されるからSNSを見続けてしまうようだ。糖質や脂質が豊富で高カロリーな食事を食べたくなるのと同様に、SNSから供給される情報は中毒性があるようにデザインされている。

二つ目は、進化論的な理由から説明できる。『デジタル・ミニマリズム』で論じられているように、人類が長らく暮らしてきた環境では、他者からの声掛けを無視することなどできない。誰かから承認されなければ将来助けてもらえる確率が下がるし、共有される情報のほとんどが生死に関わる内容だった。こうした環境に合わせて進化した人類は、誰かから連絡があれば返信しなくてはと義務感を覚えるし、「いいね」を多くの人からもらいたいし、できるだけ情報を集めたいと感じる。このように人類が適応してきた環境と現代社会の違いからも説明できるだろう。

三つ目は、哲学的な視点である。國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』では、パスカルの『パンセ』から「人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。」という一節を引用しながら、人間は退屈に耐えられないと指摘されている。文庫版で追加された内容ではその理由にも切り込み、退屈な時は脳のデフォルトモードネットワークが活発になるというメカニズムを紹介されている。つまり、退屈な時は過去の嫌な思い出や将来の不安が頭をもたげてくるため、その苦しみから逃れるためにSNSという気晴らしに手を伸ばしたくなると言えるだろう。

他にも理由は挙げられるだろうが、私たちがSNSに夢中になるのは本能的に自然なことであり、その本能を利用することで利益が得られる経済システムでもあるということは確かだ。この両輪が噛みあうことで、注意経済が加速するようなフィードバックがかかっている。誰かが悪意を持っているとか欲望に踊らされてしまっているとかではなく、人間も経済システムも注意経済にとって好都合なシステムであるというだけのことだ。


退屈さとどう向き合うか?

人間の本能や資本主義経済の性質として注意経済が必然的だからといって、それが望ましいとまで結論づけなくてもよい。それはいわゆる自然主義的誤謬であり、ある現象が自然だからといって正しいとか望ましいとは限らないからだ。注意経済によって幸せになれないことが科学的に分かっている(少なくとも幸福に感じないと経験的に思う)のならば、対策を講じる必要がある。最後に、注意経済における私たちが取れる対策を考えてみたい。

進化の過程で生まれていった脳の特性を物理的に変えることは難しいので、前述の三つ目の理由「退屈だから」と向き合ってみよう。まずは、あなたが退屈と感じた時のことを思い出してほしい。きっと何もしないというのは難しいはずだ。何もしないでいると過去に犯した過ちや言われた悪口を思い出したり、もっと将来を良くする努力をするべきではないかと焦ったりするだろう。この時の脳ではデフォルトモードネットワークが活発になっている。この不快感を避けるためには今すぐに得られる刺激が欲しくなる。そして、そんな欲望は目の前のスマートフォンが手軽に満たしてくれるというわけだ。

この現象は『僕らはそれに抵抗できない』で紹介されている科学専門誌のサイエンスに掲載された実験でも証明されている。被験者は10~20分間静かに座っておくように指示されるが、気が向いたら電気ショックを自分に与えられるようになっていた。すると、男性被験者の3分の2、女性被験者3分の1が電気ショックを選んだという。研究者は「ほとんどの人間は、何もしないより何かするほうがよいと考える。たとえそれがネガティブなことであっても」と考察しているそうだ。日常生活では電気ショックの代わりにドゥームスクローリングをしてしまっているわけで、パスカルが『パンセ』で書いたようにやはり人間は部屋でじっとしていられないようだ。

この退屈さの不快感への対処法を2500年以上前に提示した人がブッダである。つまり、仏教の坐禅である。藤田一照の『現代坐禅講義』には、パスカルは退屈の対処法は気晴らしであるとしているが、坐禅こそが対処法であると書かれている。ジョン・キーツの唱えたネガティブ・ケイパビリティという概念も紹介しながら、退屈さや不確かさの中でただ坐ることの重要性を論じている。

坐禅とは、退屈さから逃れることなく、退屈さを感じて受け止める行為である。脳科学的には、デフォルトモードネットワークを抑制する訓練と言える。『サーチ・インサイド・ユアセルフ』によると、瞑想に習熟した人はデフォルトモードネットワークが抑制されていることが確認されているそうだ。瞑想や坐禅をすればストレスが減るとか幸福感が上がるというのは、宗教的な教えというよりは科学的に立証された事実である。瞑想や坐禅を参考にすれば、スマートフォンを見たいと思った時に、「これは退屈さから生じる不快感から逃れようと刺激を求めているだけなのかも」と気づけるようになるだろう。

もちろん、「坐禅をすれば全てが解決する」と言いたいわけではない。ブッダが生きた時代には注意経済など無かったという環境の違いもあるし、坐禅とは「注意経済から脱するため」といった目的のために行うものでもない。無目的にただ坐る(只管打坐)ことこそが重んじられていることからも、坐禅を注意経済克服の解決策としてしまうのは妥当ではない。こうした宗教的な雰囲気に馴染めない人もいるかもしれない。だから、現実的にはマインドフルネスのように、坐禅の科学的な効果を参考にしていくことになるのだろう。

『何もしない』でも老荘思想から「無用の用」が引用されているし、『カーム・テクノロジー』には「その後何度も日本を訪れる中で、私は日本の文化、特にここ数十年の文化に、カーム・インタラクションという考え方が根付いていることを実感していった。」とあり、著者は茶道に代表されるおもてなし・思いやりの精神をテクノロジーに取り入れるのが日本の特徴であると評している。坐禅以外にも東洋の古来からの知恵を借りることで、現代を生きる私たちの注意経済にまつわる悩みを解決するヒントが見つかるのかもしれない。


「乳粥」のようなメディアのあり方へ

私にとってSNSはジャンクフードのように高カロリーすぎると感じる時がある。お粥のように心身に優しい情報を得られる方法はないかと思う。そういえば、ブッダが悟りを開いたきっかけは、苦行で疲れ果てている時にスジャータから乳粥をもらって回復した後に、菩提樹の下で坐禅をしたからだそうだ。悟りとまではいかなくとも、人らしさを解放してくれる乳粥のようなテクノロジーやメディアのあり方はあるのだろうか? ライターとして、一人のユーザーとして、メディアのあるべき姿を模索する日々を過ごしている。

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