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資本主義社会とどう向き合えばいいか? #111

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私はデザインスクールでデザインを学んでいます。そこでは、何かArtifact(成果物)をデザインする前に現状を把握することで、システム思考でいうレバレッジ・ポイントを見つけ出し、有意義なArtifactを生み出すことが推奨されています。

こうした授業内で行うデザインプロセスにおけるリサーチの段階では、問題の原因をさかのぼります。異なるテーマについてこのプロセスを繰り返す中で気づいたのが、問題の原因としてほぼ必ずといっていいほど資本主義が挙げられるということです。

そこで、資本主義とは何かについて理解する必要があると思い、資本主義に関する本を何冊か読んでみました。今回は、冬休み中に読んだ本で学んだことをもとに私見を書いてみます。

主な参考文献については、自分なりに要点をまとめた記事がありますのでご参照ください。


で、共通点は?

どの本を読んでみても、資本主義はこのままでいいという主張はありませんでした。もちろん、私の選ぶ本が資本主義に批判的であるものから選んでいることや、そもそも資本主義を賛成するような本は書く意味がないという理由があると思いますが。

ただ、資本主義を肯定する立場にしても否定する立場にしても「労働時間の短縮」が提案されているのは興味深いです。経済学者のケインズが「2030年には週15時間労働になる」と唱えたのは有名ですが、そんな予想に反して現代の労働時間が長いというのは紛れもない事実です。「ブルシット・ジョブ」や「エッセンシャル・ワーカー」といった言葉が流行っているのは、無駄に思える労働時間が存在し、労働の意味を考え直そうという機運が高まっていることを示唆しています。勤務時間外に仕事に関するメールを拒否できるという「つながらない権利」というのも提唱されるなど、プライベートの時間が経済資源として搾取されていることへの対応策が求められています。

それでも、無限に働くことに抵抗がない人がいるならば、囚人のジレンマから考えると、他の人もそれに合わせて働かなければならなくなります。きっと世界中の人が同じゲームに強制的に参加しなければならないという状況なのでしょう。資本主義でお金稼ぎの競争をしたい人は競争ができて、のんびり暮らしたい人はのんびり暮らせる。そんな仕組みがないものかと期待してしまいます。

労働が自分の時間をお金に変える行為とするならば、労働時間が長ければ長いほど、その分人生の時間を奪われていることになります。ただ、労働に自分の時間を奪われることは別に資本主義に始まったことではありません。古代ローマの哲学者であるセネカが記した「人生の短さについて」でも、つまらない労働ばかりしていると人生はあっという間に終わるということが既に言われています。人生を短いと感じるのは、きっと資本主義のせいではなくて、自分自身が何のために生きているかを考えることなく、ただ漫然と生きているその生き方にあるのかもしれません。

人生には必ず終わりが来ます。そのカウントダウンは常に進んでいます。毎秒毎秒生きられる時間は短くなっていきます。心臓が脈を打つたびに、息をするたびに死に近づいていきます。しかも、その終わりのタイミングは決して知らされません。今日かもしれないし、はたまた数十年後かもしれない。

資本主義について調べるうちに辿り着いたのは、人生の有限性でした。たしかに資本主義によって私たちの生活は豊かになりました。でも、自分の人生を捧げるほどに尊い存在ではない。地球環境を壊してまで維持するほど大事な存在でもない。あくまでも人類の生活を楽で豊かにする手段として利用して、自分の人生の目的はそれぞれで見つけ出すという姿勢が求められているのではないでしょうか。

個人でできることは、自分の人生の時間を死守する姿勢かもしれません。お金よりも大事なものがないと思う間はがむしゃらに働くこともいいでしょう(労働時間の軍拡競争には加担してしまいますが)。それでも、自分の生活を維持できるような水準まで稼げるようになり、お金よりも大事なものを見つけたのならば、労働時間を減らすのもいいでしょう。それは、巡り巡って他人の労働時間を減らすことにもつながります。


私には何ができる?

資本主義について調べれば調べるほど、資本主義が遠のいていく感じがします。マルクスの「資本論」とかヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」とか、ボードリヤールの「消費社会の神話と構造」といった古典まで読まないと、資本主義のことを真に理解したとは言えないなぁと思い始めています。でも、私が資本主義を学ぶのはあくまでもより良いデザインを生み出すため。資本主義の理解は今はこの程度にしておいて、また必要になったらさらに古典を読んでいこうと思います。

資本主義における利益追求が必ずしも社会を豊かにはしない。でも、資本主義が最も効率的で一番マシなシステムであることは否定できない。そんな世界で生きている私たちは、どうすればいいのでしょうか。構造主義的なアプローチを採用して、何か制度を考案したり画期的なプロダクトやサービスを提案すればいいのか。それとも、実存主義的に各々に「生き方」を見直すように提案すればいいのか。その答えはわかりません。

きっと資本主義の制度自体を変えることや抜け出すことはほぼ不可能なのでしょう。であるならば、資本主義の中でどう生きるのかという個人の生き方にフォーカスする方が実践的なアイデアが浮かびやすいのかもしれないと思っています。「だったら具体例は?」と聞かれても、今の私に答えはありません。私よりも頭の良い人たちが何十年も考えてもその解決策が見つかっていないのですから、わからなくても当然でしょう。もし見つけていたら、ノーベル経済学賞を受賞するほどの大発見です(もしかしたらノーベル平和賞も?)。

資本主義の問題を根本から解決することは難しい気がします。資本主義の正体は、誰かの意図で生み出された一つのシステムではなく、継ぎ足し継ぎ足しで出来上がったパッチワークのようなものなのですから。世界中の人々の営みを組み合わせた結果浮かび上がるのが、資本主義というモザイクアートなのです。

個人でできることは、働きすぎないことと、誰かが困っていたら自分でできる範囲で助けてあげることの2つだけなのかもしれません。では、デザイナーとしては何ができるのでしょうか?きっと個人や企業の生産性や売上を伸ばすためにデザインするのは、「有意義な」デザインとは言えません。そうではなくて、人々が資本主義に踊らされて自分の人生を見失わないようにする、自分の人生を生きる手助けができるデザインを目指すべきというのが現時点での結論です。

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