2024年1月30日 やらねばならぬことをやらない胆力
「あれをやって、これをやって、それをやって」と先を見越して計画をたて、
ひとつひとつ少しずつ全て前倒しで
ことを勧めることができる大人に段々となってきました。
大抵のことは準備があればさほどひどいことにはなりません。
ひどいことは予想もしない時に起きるけれども、
準備があったことでどうにかやりすごすことができます。
なのですが。
そもそもはそういう用意周到な人間ではなかったのです。
本ばかり読んでいた子供時代、
浮世の全て、生活のことなどは全てやりたくないと思っていた人間が、
人生経験(てひどい失敗ともいう)を積んで
ある程度できるようになったというだけのこと。
本当のところ、そういうことが自然とできる人間ではありません。
出来得るのであれば、ずっと本を読んでいるか、ぼんやり考え事をしたいのです。
生活の諸々など、しないで済むなら、全くやりたくないという、
心の声に、今日、久しぶりに気づきました。
無理をしてやっているのであって、別に得意なわけでも、好きなわけでもありません。
世間体とか周りの思惑などを全て吹っ飛ばすなら、
正直なところ、どれも、ひとつもやりたくありません。
やりたくないことを無理してきちんとやるから
ストレスが溜まるのです。
今こそ、「やらねばならないことをやらない」という胆力が必要です。
できるだけ、やらない、
もしくは、やらなくて済む方法やシステムを考えるべき時なのです。
料理は好きですが、食材の管理、購入、そして洗い物は好きではありません。
洗い物はAudibleのおかげで、かなりやりやすくなりましたが、
食材の管理や購入は、いまだに、ストレスがかかる部分です。
「食べたいものを食べたい時に作りたい」人間には、にんじんが残っていて萎びかけているから消費しないととか、
カレーを作りたいけれどもカルダモンがないということは調理以上の強敵です。
冷蔵庫の食材を無駄にしないように料理を考える、食材の在庫を適宜抱える、ということは料理好きとはまた別の才能のような気がします。
どちらかというと、帳簿をつける才能に近いのでは、と思います。
何にせよ、簡単な確定申告で悲鳴をあげている人間には向かないでしょう。
あと、テフロン加工が剥がれて、食品がこびりつくフライパンに疲れました。
やはり、料理道具をケチってはいけません。無駄なストレスが増えるだけです。
フライパンはブチ切れて、さっそうと通販で買いました。
続いて、食品を宅配してくれるサービスに入ることを検討したいと思います。
さて、お次は洗濯です。
匂いに敏感なので、洗濯は頻繁にしたい方ですが、
予定時刻を逆算してセットすること、洗剤を入れること、
洗濯物を干すことは、結構時間を食います。
やはり最新のドラム式洗濯機を導入したいところです。
個人的に面倒と感じている部分が全て解消する気がします。
問題は、ドラム式洗濯機の値段と置くだけのスペースがないということですね。
うちの狭い間取りでは、室内に入れることができない気がします。
小ぶりなタイプであれば可能なのでしょうか。
もっと真剣に検討した方がよさそうです。この週末には、洗濯パンのサイズなどをはかってみようか、と思います。
掃除、最も好きでない家事です。
基本的にクイックルワイパーを使用していますが
それだけでは、やはり心もとなく、掃除機や雑巾をかけたりします。
クイックルワイパーは便利ですが
クイックルワイパーの繊維や洗剤が気になる時もあるのです。
しかし、掃除機や雑巾掛けはクイックルワイパー以上に楽しくありません。
掃除機の稼働音が大きい、吸引力が弱いということも掃除の楽しくなさに、関係あるような気がしてきました。
掃除機こそ、洗濯機以上に買い替えを検討した方が良いかもしれません。
電動のモップのような商品もあるのでしょうか。
そういうものがあれば、雑巾掛けをしなくて済む可能性があるかもしれません。
これも要検索です。
ロボット掃除機は部屋の構造上使用が難しいのと
床に物を置く人間には向かないと巷で言われているので、選択肢にありません。
軽くて使い良いスティック掃除機に買い換え、ゴミに気づいたら使うというのが最も
ストレスのない掃除なのではないかと考えています。
掃除と関係するのが、ゴミ捨てです。
ゴミ屋敷になる人のほとんどがゴミ捨てに難しさがあるのだと思います。
ゴミを集めること、分類すること、決まった時間に出すこと。
これぞ、生活の極みというような作業です。
ゴミ捨てに関しても、もう少し、改善できる部分を探したいところですが
こればっかりは難しいですね。
生ゴミコンポストを検討するくらいしか、対応策がないかもしれません。
こういうことを考えていくと
19世紀くらいまでの作家のほとんどはこういったことを考えないで済んだ階級の人間であっただろうことに思い至ります。
本を読むこと、文章を書くことというのは、生活というものと、あまりそりが良くないものなのかもしれません。
生活をすることの大部分を、使用人や妻などの誰かに任せてしまえる人間の方が、本を読むことや文章を書くことに親和性があるなどと考えたくはないし、決して認めたくもないのですが…。
読書と文章を書くための時間を捻出するために、「やらねばならぬことをやらない胆力」を培っていきたい、今日はそんな気分です。
自分の体の中に染み込む、「気を遣えて当然」「これくらい出来て当然」という縛りから解放されていくことが必要です。
生活に対する、強迫的なまでの真面目さは、この身に染み込む家父長制でもあると感じています。
「わきまえた」人間であれとする縛りから、抜け出したいのです。
家事を革命するということは、家父長制と闘うことでもあるのかもしれません。
これまでやってたことをやめるのは、結構勇気が入りますね…。
「やらねばならないことをやらない胆力」、今日から少しずつ、そだてていきます。