南京「大虐殺」の虚構【嘘の見抜き方】(2)
(1)は、こっち。
この稿は、所謂「南京大虐殺」が事実ではないと考える旨を説明する目的で書いている。
反対に「事実だ」と信じる人がいるなら、そういう論を組み上げればいいと思う。
「あった」派に是非、求めたいのは、「何月何日に」(When)「南京の何処で」(Where)「誰が(どの部隊が)」(Who)「どれだけ(何人)」(How many)殺害したかを、大まかでもいいから、統計的に整理・確定して欲しいということ。言った後でコロコロ変わるような話は、意味がない。
この(2)でフォーカスしたいのが、正にそこだ。
どうして、戦後80年も経ってしまう前に、サッサと「経過」をまとめられないんだろうね(まあ、「嘘だから」なんだけど)。荒削りでもいいから、「事実」を集めて整理すればいいじゃないか。細かい部分は、少しくらいなら、後で修正したっていいんだし。「あったことは間違いない」と思ってるんなら、そうできるはずだ。
まあ、実際は、やるとボロが出るだろうね。
特に、真面目に仕事をする人なら(中でも組織の中で大人数をまとめて計画的に動かす類いの業種で、経営者や事業家や、管理職として携わる人間なら)、古今東西を問わず、遅くとも30代以上で必ず身に付けているスキルを応用して、この嘘のデタラメさを見抜ける。
(1)では、「残虐さ」と「効率」が矛盾する話をした。ここではそれは除く。
「計画」も少し触れた。その続きだ。
計画には一般に「目標」があるし、「期限」の定めもある。延長と下方修正が許される場合もあるが、期限を越えて目標が達成されていなければ、多くの場合は「失敗」と見做される。
だから、「失敗」に至るリスクはないか、落とし穴や見落としが潜んでいないかと、事業家も投資家も管理職も経営者も、目を皿のようにして執拗に「計画」の粗探しをする。
「粗探し」というから聞こえが悪いが、仕事には必要なスキルだ。これが無い者は他人から簡単に騙されるか、無謀で粗末なプランにもうっかりGOを出してしまって、その後で自滅する。世の破産も倒産も、大体そうだろう。トラブルプロジェクトもそう。
悲しいけど、現実ってそんなモン。
さて、「南京大虐殺」では「20万人」「30万人」、いや「50万人」の民間人が日本軍によって虐殺されたという。当時の日本軍の装備で、そんな事ができたのだろうか。
もしできるなら、21世紀の今だって、その計画を仮に立案する事くらいは可能なはずだ。決して不謹慎な事を言おうというのではない。只、もし実現可能だったという事であれば、そういう仮の計画を立てる事で証明できるだろうというだけの話だ。
計画の期限は何日にしようか。確か「南京大虐殺」では3週間くらいに渡ったと伝えられるんだっけ。それなら計画は21日間という事になる。
目標を低めに見積もって20万人とするなら、1日平均1万人以上のペースで殺害すればよい、ということになる。
これが事業やチームプロジェクトなら、現場で毎日、人数を集計して、それを定期的に上司やクライアントに報告することになる。それでもしペースが落ちようものなら、
「原因は何だ」「事前に予測できなかったのか」
「対策は考えてあるのか、あるなら言ってみろ」
「人手や物資が不足なら、何がどれだけ必要なのか報告しろ」
「それで何時までに遅れを回復・挽回できるのか」
…等と厳しく追及される。勿論、虚偽報告など許されない。
(因みに、虚偽報告は、トラブルプロジェクトの発覚前の兆しとして有効。これを見掛けたら、破綻のカウントダウン。見逃してしまったり、放置すると地獄になる)。
20万人なら1日平均1万人。30万人なら1日平均1万5千人が、必達ラインだ。
そんな事が毎日、3週間も続けられるのだろうか?当時の日本軍の規模と装備で?
規模と装備?そこにしか目が届かないなら、貴方は事業家として、或いは現場監督やプロジェクトマネージャーとしては、無能であるか、未発達であると言わざるを得ない。優秀なマネージャーや事業家なら絶対に見逃さない観点が1つある。
ペースを乱す外乱は何か、という点だ。計画のために、外乱はできるだけ排除しなければならない。
仮に初日で目安の1万人なり1万5千人なりを達成したとして、まだ全期間の21分の1なのだから、2日目以降の残る20日間は、果たして同じペースを維持できるのか?どういう状況下なら、そのままのペースでいけるか?、という事だ。
その条件は死守する必要があるし、逆にもしペースの変化が避けられないというなら、変化量を予測してそれを見越した計画にサッサと修正する必要がある。それが上ブレでも下ブレでも。
(一般に仕事の成果は、終わった直後に別のプロジェクトへと引き継ぐことも多い。もしその時期を見誤って、引き継ぎがスムーズにいかず、遅延や停滞が生じてしまうと、ムダな費用が追加で発生するのが常だ)。
実際の所、このケースでペースが「上がる」と見る者など、まあいない。
初日が1万人なら、2日目は絶対に下がる。3日目も、4日目も、恐らく、指数関数的に。
何故か?逃げるからだ。当たり前だ、誰だって死にたくない。
(ここからしばらくは「あった」想定で検証を試みる)。
初日の被害者の多くは、誤解を恐れずに言えば、その死因・敗因に含まれる大きな要素の1つとして、「油断」があるだろう。「不意を突かれた」「何も備えていなかった」「まさかそんな事が起こるなんて、想像もしていなかった」から、比較的簡単に殺されてしまった。が、2日目を生き延びた人は、その後、もっと利口に逃げたり隠れたり、できるはずだ。
逃げるだけじゃなく、抵抗や反撃も初日と比べものにならないくらい、激しさを増すだろう。だって1万人も殺されたら、その噂はアッという間に広がる。
南京の同じ城内で、ある日に1万人も殺されて、翌日まで次の1万人が大人しく順番を待っている訳がない。
「殺されたぞ」「殺したのは日本軍だ」「くそう、アイツら、どっから来た」「次はどの区画が襲われそうか」「よし、武器を集めろ」「女子供と老人は、夜の間に反対側から逃がそう」「その護衛も必要なんじゃないか」「あと、俺達で日本軍を足止めしなきゃな」「こっちの武器は貧弱だ。待ち伏せして日本軍の武器を奪おう」。
…この程度のことは、一晩もあれば話し合えるだろう。
この事が、数字にどう影響するか。
2日目以降のペースが指数関数的に落ちる、と書いたのも、納得していただけるのではないだろうか。仮に、日毎に半減するペースだと仮定するなら、初日で全体目標の半分を達成しなければ届かない計算になる。簡単な算数だ。だが、あり得ないほど極端でもない。
そうすると、20万人なら初日で10万人、30万人なら初日で15万人だ。そんな事ができたって言うのか。80年も前の通常兵器しか持たない旧日本軍に?
もしそれが本当なら、旧日本軍はB-29も原爆も無しで、米軍に勝てそうだな。
1日に10万人以上も、無抵抗の民間人を殺す、という事実が大戦中に他で無かった訳ではないよ。だが、それをやるのに米軍は新鋭の大型爆撃機B-29を、1晩で同時に何百機も日本の都市上空に飛来させたし、それらに満載させた焼夷弾を、木造家屋の密集する都市へ、惜しげもなく雨のように降らせた。資金も燃料他の物量も、生産力と運搬といった人手もかなり掛かってる。
或いは1機のB-29と1発の原子爆弾だけを以て成したケースも2例ほどある。数こそ少ないがこの実現には、圧倒的に高い科学技術力が必要だ。
この2種類の実例にはある共通項があり、「南京大虐殺」の虚構とは決定的に違う。
どちらも10万人規模の無差別な大虐殺でありながら、実際にあった大空襲と原爆投下は1日以内、何なら1晩とか、半日も経たずに完了しているのに、「南京大虐殺」は1月近くも長引いている。
2種類の実例から得られる教訓は、「10万人規模以上の大虐殺をもし達成しようとするなら、逃げる間も与えず一瞬で作戦を完了させるか、逃げても間に合わないほど広いレンジ(広範囲)で同時に攻撃を加え、何れにしても1日以内に作戦を完了させる」べきだ、という事だ。「南京大虐殺」は勿論、この条件を満たさない。作られたストーリー、邪で拙い想像力から生み出されたフィクションだからである。
あんなことは物理的に実現し得ない。
民間人「被害者」の側だけではなく、日本軍の側にもペースが落ちる要因がある。人的疲労と消耗、装備の損失と補給の不足だ。補給不足の問題は、当時の日本軍において慢性的だ。戦いが連日続けば、民間人相手といえど、兵は疲れて力が発揮できなくなる。抵抗されれば、兵が死傷されることもあるし、銃火器や刀剣が奪われる機会も増えるし、敵に壊されたり勝手に故障するケースも増える。装備が不充分だと、これも兵が力を発揮できない。
ペースだけの問題でもない。
よく、「南京の人口が20万人なのに、30万人殺されたって何だよ」「いや、本当の人口は30万人いたんだ」とかやってるけど、冗談じゃない。21日もの長い期間を掛けて30万人も殺すなら、その間に逃げ出す人数も計算して、元々の人口は50万人くらいいないと、オカシイんじゃないの。母数が現実的じゃないと、「20万人」「30万人」殺害なんて、絶対に無理だ。
「あったか、なかったか」じゃないんだ。
もし、万が一「やる」意思や意図があったとしても、できないんだよ。実現不可能なんだ。