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正義は一つとは限らない

仇討ちが悪いと言いきれない

今日は忠臣蔵の日です。
忠臣蔵とは、江戸城切り付け事件に端を発して、仇討ちを果たすまでの物語。


浅野内匠頭長矩が高家 吉良上野介に理不尽な要求などに意見するが、聞き入れてもらえず、耐えきれずについに「天誅である!」と切りかかる。


が、その場で吉良上野介を仕留めることが出来ず、仕舞いには将軍の逆鱗に触れてしまい、浅野内匠頭は即日切腹になる。


相手方の吉良上野介はお咎めなく、立場が違うといえ、余りにもひどい仕打ちである。
それを許すことが出来なかったのが、赤穂浪士四十七人です。


1702年の12月14日、本所松坂町 吉良邸。
ついに主君の仇討ちを果たす。
吉良の首を討ち取り、浅野内匠頭の墓に供えた。


というのが超絶ざっくりとした忠臣蔵の流れです。その後、四十七人は全員切腹になってしまうのだが、みんな死んでいるのに、この話誰が知っているのか!?となりますよね。


そこには諸説ありますが、討ち入りしたのは四十七人だったけど、その他に二、三人生き残りとして、語り人として、隊を外れていていたのではないかと言われています。


それ以外も史実は、今風に言えばフィクションというか脚色されていると、言われています。
それだとしても、いじめ続けられればぶちギレるのは当然ですよね。


上司とか部下とかねぇーわ!、人としてどうやねん!、表出ろぉ~~!!!って思ってしまったり、ついつい心の声が出てしまうことありますよね。
これが令和の世でも、キレたら負けなんです。
上司に楯突くと結果的にロクなことはないんですよね。


江戸城でも、会社でも同じようなことが起きるのです。上司に噛みついた場合、会社員としては会社は上司を守り、例え上司がダメな人間でも、その上司にはお咎めなく、噛みついた人間に不当に決断が下されるのです。


まぁ、キレんな!ってことですよね(笑)
この話も、もちろんフィクションですよ!
ボク自身がそういう目にあっているとか、そういうことではなくて、あくまで一般論の話です。


話は脱線しましたが、主君の仇討ちを果たした四十七人は、正しかったのでしょうか。
どんな理由があったとしても、殺人が正当されてはいけないんです。


しかし、人間は自分の中に譲れない一線ってありますよね。
プライドというか、自分が自分であるためのルールというか、誰にも足を踏み入れさせない聖域みたいなことがありませんか。


となると、間違っているからといって、正義ではないとは言いきれないんですよね。
正義というのは1人1人にあるわけで、それを完全に誰かと分かち合うことは出来ないのだから、仇討ちが正義といえば正義なのです。


それが死ぬとわかっていても。
命と引き換えになっても、譲れないプライドは
ありますよね。
皆さんにもありませんか?
誰にも譲れないこと、モノ、自分の核になっているようなこと。


というわけで、本日12月14日忠臣蔵・赤穂浪士四十七士の日です。


最後まで読んで頂き、ありがとうございます!
それでは。

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