7+5+3=1000年?
鬼の居ぬ間に洗濯
七五三といえば神社にお参りに行ったり、写真館に行って記念の写真をしたりと、何かと忙しい行事のイメージがある。
七五三を11月15日に行うには、諸説あると思いますが、旧暦の15日がかつての二十八宿の鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たることからと言われています。
あとは、何事をするにも吉であるとされていて、旧暦の11月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月であること。
その月の満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになったそうです。
昔(平安時代とか)は、幼い頃というのは病気になりがちなうえ、医療の技術も未熟だったので、死んでしまうことが多かったことから、
7歳までは神様の子供だということで大切にしていこう、7歳になって初めて人として一人前だということで、それまでの奇数の(中国でいう陽の数字)数字は縁起がよいとされ、その年齢にお祝いをするということなんです。
3歳で言葉を理解し、5歳で知恵がつき、7歳で乳歯が生え替わると成長の節目の歳でもあることからこの歳になっている。
それ以外にも○○の儀ということがあるのだけど、詳しくはちゃんと調べていただくとして、宗田の七五三のときの思い出を書いてみようと思います。(この当時は七五さんという七五に敬称をつけて呼んでいると思っていました(笑))
記憶にあるのは、5歳のときで地元にあった写真館で写真を撮りに行ったこと。
そのときの格好がタキシードとかスーツみたいな洋装ではなく、紋付袴や着物のような和装でもなかったんです。
じゃあ、何を着たのかといえば、素肌に金太郎の前掛け……ではなくて。
その当時、父方の祖父が中国へ出張に行った際に、その現地で孫が七五三を迎えるのが~みたいな話をしたら、これを着せるといいよ~と買ってきた真っ青な中華服だった。
2個下の弟とお揃いで着せられて、中華服だからなのか、何となくカンフーみたいなポーズをして写真を撮ったような記憶がある。
父方の祖父はちょっと変わった人だったのだと思う。みんながみんな同じような服装で写真を撮るということに対して、そうではなく個性的でいいじゃないかみたいな感覚があって、自分の孫には中華服という、なかなかない発想のふくをさせたのだと大人になった、今の自分では何となくわからなくはないなぁ~とは思う。
話は千歳飴の話をしようと思ったんだけど、よく考えたら、食べたことがないということに気づいた。
そこで、少し長めの飴の話を。
ミルキーは皆さん、知ってますよね?
(ママの味~♪)
ミルキーといえば、ボール状のソフトキャンディだと思うです。
しかしその昔、ミルキーバーという細長いキャンディが売られていたんです。
しかも、このキャンディはボール状の商品と違って、固いんです!
すぐに噛んだり出来ないので、少しずつ溶かしていくしかない。
が、ミルキーの味って長い間なめ続けているのはなかなかの修業なわけです。
さらに、いらなくなってきた頃のミルキーバーは、鋭利な状態になるため非常に危険ということから、我が家では買って貰えなくなりました。これも七五三の頃な年齢だったので、合わせて憶えていることの一つなのです。
そういえば、鬼の居ぬ間に洗濯という言葉は、
「命の洗濯、心の洗濯をして、のんびりしようよ!」意味がある言葉のようなので、変わりやすい秋の晴れ間にのんびりと過ごす時間を作ってみるのもいいかもしれないですね。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。