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いつからかのメリークリスマス

いま居る場所は今日は午後から雨になってね。

ついさっき、傘を盗まれて今、ズブ濡れで帰って来たのだけど、こんな日だけは、あまりそんな不遇も許そうと思えてしまう自分がいる。あの汚れたビニール傘は、きっと誰かのプレゼントになったんだろう… などとは、到底思わないが、せめてケチをついたり、恨まずに今夜は過ごしたい。

なぜなら今日は、クリスマスだから。この世界をいかに捉えるかによって、世界は奇跡に溢れて、気持ち次第で誰もが聖者になれるような日。と言ったら大袈裟かもしれないが、そんな日が一年に一度くらいあってもいい。


雨に濡れた衣服を乾かしながら、ふと思った。

クリスマスについて、これまで自分の観念の中で、年歳や時間とともに様々なことを思っていた時期を過ごして来たと思う。

冬休みだー!って、ただ思っていた頃や、地域などのクリスマス会でのプレゼント交換やケーキを食べたりしながら、ただ友達と遊ぶことが楽しみだった頃や、ツリーが綺麗だなぁって思っていた記憶や、デートばかりに思いを巡らせていた頃や、とにかく表参道を歩いたあとは結局いつものメンツと飲み会で楽しむだけだった頃もある。

私の家には、特にサンタクロースが訪れた記憶は無い。家族の殆どが12月生まれであったことも、いろいろなお祝いが一緒くたになっていた理由だとも思っている。だから、サンタさんが「いる!?いない!?」などについて、誰かと話をした経験も無いし、私自身もサンタがいるとも思ったこともないし、だからといって、いないとあえて思うこともなかった。

ただただ、クリスマスはクリスマスだった。


その後、青年として、下手な知識や意識も芽生えてきた頃は、イエスキリストの誕生日だなんて嘘っぱちじゃないか、他の文化風習を侵略して政治的に乗っ取った馬鹿げた日だとか、日本は仏教の国なのだから、クリスマスなんて関係ないだとか。

—— そんな小うるさい方達からの情報も耳には入ったが、やっぱりクリスマスはクリスマスとして、楽しんできた。

大体、日本が仏教国だっていう人多いけど、それ自体がそもそも安易な誤認識だし、昨今ではアメリカを中心に、メリークリスマスとは言わずに、ハッピーホリデーと表す傾向が増えて、日本人も流れ行きつつ、そのような文字を見ることが増えてきた。他の宗教への配慮だとはわかるが、そもそもの多様な信仰心を受容し尊ぶ文化の日本人としては、これまためんどくさい人達だと感じているのが本音だ。

そんな日本人も多様性だとか国際的だとかグローバリズムがどうのとか言う人達も増えて、なんともはや、かえって逆行して文化自体が退化してしまっているのではないかと、これまた感じているのも本音である。

メリークリスマスという響きは、既にそのままでホリデーなんかより素敵だと感じてしまう。そんな風潮と比例しているかは不明だが、元来日本のホリデーである歳神様をお迎えする一家団欒のはずだった「お正月休み」は、年々減りつつある。


そうやっていちいち自ら楽しくない世界を作り上げないでほしい。

普通に素直に、雪が降れば、反射的に喜んだり、街に出れば、なんだか浮ついた空気にも感化されときめいたり。理由などはさておき、やはりクリスマスは純粋に素敵だと私は思っている。

寒い冬は家でゆっくりしたいし、特にお正月は特別で、とても大切な日本人らしい感覚をもっとも味わい、生きる上で、なぜだかすべてに感謝の念が生まれる不思議な時だと思っている。

そういえば現代日本には、信仰上の理由で、クリスマスはおろか、正月にも神社の鳥居をくぐることのできない人がいるのを知ったのも、だいぶ大人の年齢になった頃だ。まさに自由だとは思うが、正直言って、なんとバカバカしくおろかなことだろうと、実は思っている。

個人的には、ハロウィンだけはあまり好きにはなれないのだが、クリスマスや冬至でもバレンタインでもイースターでもお盆でも春節なんかでも、正月や新嘗祭やそれこそ8月15日でもなんだって、そんなふうに、どうして多くの人は表面的なことにばかり拘ってしまうのだろうと、かなしく心に思う。


最近は、まったくクリスマスというものに、昔のようには盛りあがる気持ちは全く起こらないのも事実であって、そりゃあそれだけ年齢も経過したのである。けれどやっぱりジョンレノンや山下達郎も聴きたくなるわけで、歩けばふと、意味も無く、白い息を吐きながら、ひととき立ち止まって、冬の透き通った空を見上げていたりする。

歳をとって変わった自分をそんな時に感じる。史実だって様々にねじ曲げられ、現代では商業的に様々な文化が利用されてしまって、なんだか悲しく感じることも増えたのだけれど、諸説いろいろもろもろとあるのもわかるが、正直言って、そういう表面のことは、どうでもいい。


いつからだろう。

最近はクリスマスの夜には、そんなアレやコレやな世界に生きているけれど、なにもかもを許したような気持ちになって、ただ祈るようになった。

なにをかは自分でもわからない。ただ、この世界を祈るようになった。

なんだっていいんだと思う。人によっては、家族だったり、恋人だったり、祖先や会ったこともない誰かとか、ペットとかだっていいと思うけれど、きっとそんな誰かを喜ばせたかったり、一緒にいて嬉しかったり、そんな出来事の数々の正体をサンタクロースのギフトだとか、創造主やイエス様のおかげさまだとか、そんなの勝手にすればいい。

きっとみんな正体はおんなじだろうからって思うようになった。自分の中にあるなにかなんだと思うようになった。


そんなクリスマスは、世界中でそういう気持ちがいっぱいにあると思うと、ふと、空を見上げてしまう。思えば、サンタクロースという物語だって、それに扮する親御さんだって、そこにある気持ちは、なんて素晴らしいことだろう。

そんな世界中の多くの人や物も全部含めて、皆、いつかの子供であった頃のまま、数十億の笑顔が空に浮かんでる気がして、あのクリスマスのキラキラしたアレらが、世界にふりそそぐような聖なる夜を、実は、思い描いている。

聖なる夜とかって言うけど、確かに世界中の人がそうして皆、幸せな気持ちを抱いているような一日は、あまり他にはないから。キリストだって、勝手に俺の誕生日を利用するなよ!しかもそんな日じゃねーし!とは思っていないんじゃないかなって。

宗教と政治的な侵略がかつてあったのかもしれないけれど、そのおかげで今日は特別な日になったのは確かだとも言えるから、聖なる存在がいるとかいないとかなんて知ったこっちゃないけれど、少なくとも、人間が聖なる想いに満ちている可能性が高い非常に素敵な一日なのかもしれない。


いつもの慌ただしい日常と変わらずに焼き魚なんかを食べながらも、クリスマスはなぜかいつからかそんなで、あれがこうなってくださいだとか、これが欲しいだとか、世界が平和だとか、みんな幸せになあれだとか、そういう望みやお願いなんかじゃないんだ。

別に手なんか合わせたり、なにかに向かってわざわざ跪くようなもっともらしい様子なんていらなくて、誰かといても一人でもいても同じでさ、ありがとうでも、おめでとうでもなんでもいいんだ。

足早に過ぎてく日々の中で、ほんの一瞬だけ立ち止まるような、なんでもない素敵な一日。

そして今日だけはゆっくり眠るんだ。

ただただ、静かにさ、目的も願いなんかもなくてさ、なんか心の中だけで、なんていうか、ここにある命のまんまさ。

いつからか、祈るようになったんだ。


メリークリスマスって。

20181224 23:30





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