天罰と信仰《 3.11後からの日本を案ず(21)》
日本人の本質の理想
前回の『災害と日本人』では、過剰に私感をまくしたててしまったかもしれないと少し反省をしているのですが、今回は書き出しからノープランで進めてみようと思います。これまでいろいろと書き進めていくうちに、実は今回のこの『天罰と信仰』ということを、本当は自分自身が表したがっていることなのではないだろうかと感じていたからです。
この『3.11後からの日本を案ず』というものをコラム形式で書き始めたきっかけはテレビドラマ『監察医 朝顔』を見ていて、自分の中の東日本大震災の頃によるある種の心境やトラウマ的な心情が、10年経過してだいぶ解けてきていることを感じたからです。ずっと震災時などの日本国民の言動などにどこかで否定的で素直に現実を受け止められない自分がいたことはわかってはいたのですが、ストーリーや登場人物の心情に素直に涙したり、被災者をはじめ災害における大切な事柄に対して、自分が素直に受け入れていることができていることに驚きを見つけられたのです。
きっと東日本大震災のみならず、これまで取り上げた阪神・淡路大震災や関東大震災でも、原爆投下やアメリカ同時多発テロやどんな出来事にでも、そこには人間が必ず居て、その謂わば『時』というものは、永久に存在して終わることはないのです。たとえ時間が進み、歴史や時代も移り変わり何世代も時が過ぎても、それは“忘れる”ことなどないのです。
前回の内容にあるように、日本は災害の多い国です。そして人間はいつの時でも、そこからまた歩き出す。敗戦とともに焼け野原と化した東京も、なにもないほどの荒野になったからこそ、またそこに世界最大とも呼べる都市を築き上げたのです。
その大都市東京やこの日本が現在となってみれば、本当に進むべき理想の都市になれたのかどうかは、いまの日本人がいかにして生きているのかということが答えです。きっと、もう壊れない街を平和を強く先進的な都市を目指して創造してきたのだと思います。しかし、いまの人々はどう生きているのでしょう。
もしかしたらなにもなくなったからこそ、強靭な都市を築き上げてきたのかもしれませんが、敗戦後の本当の市民、ひとりひとりの人間が本当に望んでいたのは、そんな街や都市や国という街の“見かけ”ではなくて、そこに生きて生活をしている人の笑顔や安心という『幸せ』を夢見ていたのではないかと思うのです。そういった本質の理想をいま一度目を向けることを大切に思います。
“いま”を生きるという伝心
まだ20代の頃に出会ったご高齢のおじいさん。日本橋に生まれ育ち空襲を受け“ゼロ”と化した東京の大地に生きて、ご自宅が崩れ落ちても残っていた戦前や江戸時代からの歴史ある様々なお品や美術品や資料の数々を博物館にすべて寄付するんだと、それらの品々を若い私にすべてを説明して見せてくれました。
あまりにも長い長い話だったので、若干私も疲れてしまっていましたが、特に焼け野原となったあの頃の日本橋界隈の話をされている時の、とても心の入った熱弁、年老いた人生の記録でもあるしわが動いて、唾も多く飛び散りながらも、語るたびに涙が滲んでいく瞳とともに、当時まだ幼いひとりの子供だった少年のまんまに、いまでもその情景が目の前にきっと広がっているのであろうと私は、真剣に話を聞いていました。
きっとこれもまたなにかの大きな遺産なのかもしれないと、まったく無関係のような戦争を知らない時代に生きている私に、きっとなにかが伝わり遺されていくのだと、その時、心のどこかで感じていました。そして、私が後世を引き継ぐ世代として、それをいかに活かしていくのか。
人によっては、それをドキュメンタリーとして過去を形として表したり残していくというような“忘れない”とか“忘れさせない”という方法を選ぶことでしょう。しかしもっと大事なのはきっと、青臭い絵空事のような思考だとは思いますが、本当に大切なのはきっと「忘れない」よりももっと以前に、『いまを生きていく』ということなのではないかと思っています。
どんなに形を残そうとしても、『いま』という時を連綿と繋いでいかなければすべては「過去」として永久に止まってしまうのです。とにもかくにも『いまを生きる』そのことを、過去の事件や悲劇や傷などで『いま』をないがしろにしたり、今よりも過去やまだ見ぬ未来への杞憂や頑なな理想などで、『いま』を生きていないのなら、本当に未来も訪れなくなるどころか、今が止まってしまうなら、それは「過去」さえも、本当の意味で消えてしまう。つまりは“忘れてしまう”ことなのではないでしょうか。
いまを生きる人が生きていることこそが、本当の命を継ぐことであり、それこそが先人たちの遺産なのかもしれず、この災害の多い日本に生きて、永い時の中で、日本人はなにを伝え、なにを見出して生きてきたのだろうか。それをきっとずっと目には見えないかもしれないけれど日本人は『伝心』してきた。もしかしたら過去の誰かの願いが、いまに時を超えて伝心していることもあるのではないかと、私には、そういうことにこそ大切なものがあると思えてならないのです。
『天罰』という思考の知恵
『災害』と『天罰』は、意味することは違えども、天災であっても人災であっても、偶然であっても必然出あっても、現実は同じ『災害』であり、当事者にとっては被害でもあり不都合な不運という事実でもあります。それをどういう表現を用いたとしても、その『事実』は変わることはありません。
人それぞれ立場や性質などによっても、現実感や各々の感覚による記憶や真実は、千差万別に認識が異なり、人の数だけ現実というものは存在してしまうものですが、その災いや災難という『事実』は不動のものです。
かつての日本人は、それらの災難が起こったり、巻き込まれてしまったりした時に、『バチが当たった』という意味で『天罰』という概念を生み出したのではないでしょうか。もしくは、その災難がなぜ起こるのか、起こってしまったのか、ということの、謂わば『摂理』や『道理』を理屈や物理的証明などではなく、肌身で理解し認識でしていたのではないかと感じるのです。
災難が起こった時に、『バチが当たった』と捉えるのか。はたまた『不当な扱いを受けた』と捉えるのか。つまりはそれによって、人間の人生とは解釈が変わるのです。人生が変わるということは、現実も未来も過去も、そして自身の幸福も大差が生まれるということです。
故に『災難をいかに捉えるのか』ということは、生きる上での『知恵』だとも言えるのではないでしょうか。私には、日本人には、そういった知恵をもっていたように思えるのです。それは倫理観や道徳性とも言えますし、社会的な公共性や社会的秩序の構造原理と言っても過言ではない、そういう国民性や民族だったのではないかと思えます。
そうして、ある意味で大きな災害とこの世界を分かち合いながら共存して暮らしてきたのではないでしょうか。すなわち『天罰』とは、大いなる自然への理解と分かち合った『協定』でもあり、その災害という事実以上の恵みをもたらす大自然の摂理の恩恵にこそ、感謝と畏怖の意を捧げて、此処に共に生きることへの赦しを得ていたのではないでしょうか。
『災害』からの恩恵
近年の研究では、台風がもたらす福利のような効能について、台風によって海水の中のミネラルや栄養素が大地に運ばれて、田畑の作物が美味しくなるという説もあります。日本では稲荷信仰の一部にもあるように稲と落雷の関連性も古くから言われていますが、海の波や大地の揺れ自体にも同じように人間からは目に見えることはないかもしれませんが、必要性や恩恵はあるものだと思えます。
ましてや、大前提として、米でも麦でも海産物でも、風によって植物は芽吹き、太陽光によって育ち、水によって実をなすわけですから、生きている間は永久的に自然からの恩恵なしでは、我々は呼吸さえできないのです。なにもしなくても、なにも恩返しどころか、意識すらしなくても、そうして助けられているのです。そんな自然、つまりは『天』に対して、感謝や祈りを捧げるどころか、苦情を訴える現代人がとても多くなってしまった『いま』の生きる日本人なのです。
稲作農家であった母が、田植えや稲刈りなどの繁忙期には、テレビで天気予報を見ては毎日のように「もう、また雨だなんて腹が立っちゃう、いい加減にして!」などと、雨天や台風の予報が見て取れる時には、テレビに向かってや、空の雨雲に向かって呟いてはプリプリしていました。そうなんです。もちろん人間ですから、不遇や災難などの不都合な状況は、誰だって嫌ですし、嫌気も差して当たり前で、不満や愚痴をこぼすものです。
しかし、そんな母も稲を刈り上げた時は決まってこう言います。「おかげさまで無事、今年も稲刈りを終えることができました」と、電話で親戚に話したりしながら、刈り終えた田んぼと天に向かって頭を下げるのです。父は神棚に稲穂を備え、その夜はささやかな宴を晩酌とともに食事をして、安堵の表情を浮かべながらテレビに向かって番組を見ているのか見ていないのか不明なくらいに、こっくりこっくりとうたた寝をする母がいます。
なにも言葉で教えられたことはあまりないのですが、そういう親の姿に、私はきっとこの世界に生きる平和や安心を見出してきたのだと感じます。お天道様からの恩恵、この地球には太陽の光が降り注ぎ、水や大地や風の中に虫やあらゆる生命が生きていて、多くのことを教えてくれる。その万物の営みに寄り添いながら、なにかの大きな存在のような、息吹のような、意思があることを知る。
自然をコントロールするかのように、人間都合による自分本位な見解を、時に科学的に、時には商業などとして、人間は自分以外を評価しようとします。私は逆だと思っています。私たち人間が、そんな自然に含まれているのです。その自然に見定められ、見守られ、生きることを許されているのです。そして多くの学びに気がつくように促されているのだと感じるのです。まるでひとつとて同じ形のない空の雲のように、様々な災害や天候などのメッセージと作用を摂理として、我々こそが生かされているのだと、私はこの地球の上で覚えているのだと思います。
自然信仰を失った日本人の喪失感
漠然としたある意味で叙情的な表現ばかりで結論や評論的な要のない文章になってしまっているとは思いますが、ある時点からこの国に輸入された「宗教」とか、例えば「裁判」とか、そういう基準や教義などのない、つまりはこの世界を分離してしまう『善悪』や、幸せと不幸とを差別する『禍福』というような概念がまだなかったころの日本における『神道』や『自然信仰』が、まだまだ日本人の生きる軸だった頃。人はもっと先進的で賢かったと言えるのではないかとさえ思えてしまう私がいます。
どうしてその生きる知恵が現代では失いかけているのか。その理由の中のひとつには、それは『物質信仰』に変わってしまった時代を過ごしてきたからなのではないかと、そういう社会構造に人々は慣れてしまったのではないでしょうか。いつのまにか、自分の人生さえも自分では決める力も失ったかのように、何か大切なものをその理念や生きる指針や哲学を失ったのではないでしょうか。
謂わば、自然と共生するという信仰心を失った日本人は、得体の知れぬ喪失感のようなものがあるのではないかとさえ感じます。大げさで大まかすぎますが、明治維新と敗戦後のGHQ支配下においての大改革など、挙げだしたならもっと多くあるかもしれませんが、島国の単一民族と思い込んでいる国民も未だに多いこの日本人も歴史上、多くの侵略や占領に近い思想改革を余儀なくされてきた時もありました。そのたびに、日本人はきっと『軸』を見失って、思い出すことができなくなっているのかもしれません。
都市化した現代の日本で、なにを支えに、なにを確証に、人生を生きるのか。いつのまにかお金のために働いて、なにか言い表せないが不満や不足に感じる心が増えていき、それでも生きていくための安心や理由にあった家族や国のためとかいう、せめてものプライドや幸福感の源水すら得られなくなって、それでも誰かの評価を必要として、誰もがどこか自分のことで精一杯で、それでもどうにか素敵なものや元気の出るものを拾い集めて『いま』をやり過ごす。
たぶん、昔の日本人は気づいていたんだと思うのです。その生きる意味や生きている安堵などの肯定感や満足感は、感謝あってこその恩恵なのだということを。そういったことを、教育や教義的な規律や思想や科学的な基準を用いるわけはなく、日本人は言葉では伝えずに、風の中のような、自然と共に生きる生活の中のそこかしこに見出し、それをただ『いまを生きる』ことで伝承してきた、類稀なる精神性をもっていた種族なのではないかと思うのです。
『天罰』という先進的な自然理解
大げさかもしれませんが、そのような生きる軸とも言える「法」や「摂理」とは、既に自然万物のすべてに宿っていることを感じ取る能力と精神性を、かつての日本人はもっていたのだと思えます。それこそ、貨幣価値や物質的な豊かさ的には、見た目こそシンプルすぎて自然のままの文化を形成しているように見えるかもしれませんが、もしかしたらそういう万物との融合や共生を可能にしていることにこそ、本当はもっとも先進的な『文明』だったと言えるかもしれません。
その文明の本分としての概念が、庶民的な生活の中に最も表れている言葉が、もしかしたら『天罰』という自然摂理、謂わばこの宇宙摂理に則った世界の中で生きる人間の在り方が言語化した概念であり、日本人の優れた精神性を表す代表的なキーワード、つまりは人間としての生きる謙虚さが正しく表す真理なのだと思います。すなわち『天罰』という概念にこそ、日本人の生きる『信仰』が表れているのです。
謙虚さやそんな健気さを失った現代社会に生きる日本人にとっては、もはや天からの罰という『恩赦』とも言える恩恵などは、ただの不都合にしか感じ取ることができなくなってしまっているのかもしれません。きっと誰もが、自分は罰に値しない善人だと思い込んでいるのでしょうか。いや、そうではないのでしょう。
誰もがもしかするとどこかで呵責のような、強いて言うならば、自分自身が生きている意味について、生かされているという謙虚さを忘れて、どこかで皆が生きている目的を看過し、自らの本分を全うしていないような、しっくりこない『呵責』の念を無意識に持っているからこそ、誰かの言動や違いや誤りや、さらには的を得た正論を許せないどころか、どうしても見過ごせないのではないでしょうか。
あえて、日本人よ。目覚めよ。だとか、思い出せ。—— などと言いたいわけではないのです。ただ、これまでできていたのになぜできなくなっちゃったの?って言いたくなる気持ちもありますが、現実を言えば「じゃあどこからどこまでが日本人なの?」というかなり深い穴を覗いていかねばならなくなるので、ここではこれ以上の追求は止めます。現に、急にアイヌの血を引く方々でさえも、現代では過去の歴史を巡って国を訴えるような動きを見せていますから、そういった優れていた誇り高き先住民族の末裔でさえも、もはや自然信仰と呼ぶには、あまりにも都市化されたイズムに、もう既に浸かりきっているということにさえも、本人たちが気がついてもいない。まるで“文化遺産”を守る正義かのような、完全なる現代思考だと感じて悲しく思っています。
しかし、そいったこれらの進展も確かな万物の采配だとも言い切れます。いま、日本も世界も変革の時だとも感じています。だからこそ、こういった日本人の変化や変容もそれもまたなにかの未来への必要性であり変移なのでしょう。いつでもまた『いま』は通過点なのです。こうしてこんなことを述べている私こそが、今の現実を受け入れずにこのように他者などを“評価”していても、それこそ本分に外れています。
そしてまた、それでも震災時の行動などに世界中から優れた精神性を評価された日本人です。だからこそ、本当に『絆』や潜在的に備えているであろう感覚や良心を、いまに活かして生きていきたいですよね。—— そろそろこのテーマも終わりに近づく予定です。
つづく ──
20210722