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「美しい」と書かない理由(田村隆一「腐刻画」)

 高校生や大学生の頃、発売を楽しみにしていた雑誌が何冊かあった。たとえば月刊誌『マリ・クレール』や季刊の文芸誌『リテレール』。どちらも安原顯が編集者だった時代の。1980年代後半の『マリ・クレール』にはファッションのページのほかにも、国内外の文学や映画を紹介する記事や特集がよく載っていた。執筆者や紹介された本や映画からは編集者独自のこだわりも感じられ、その雑誌ならではの「色」や「好み」があることも面白かった。

 吉本ばななの「TUGUMI」も単行本になる前に『マリ・クレール』の連載で読んだ記憶がある。
 『リテレール』では、海外文学にも詳しい作家や評論家たちのエッセイが読めるのが楽しみだった。書籍や雑誌の装画や挿絵などで活躍する前の、版画家の山本容子の絵を起用した表紙も毎回お洒落で。本を開くたびに、小さくても根強いファンの多い雑貨店の棚を眺めるような昂揚感と安心感が同時にあった。

 今日は、勤務先近くの古書店の店頭に、古い『リテレール』(1994年夏号)が一冊あるのをお昼休みに見つけた。特集は「最も想い出深い自作」。目次には中村真一郎、塚本邦雄、田村隆一、吉本隆明、山中智恵子、辻邦生、椿實、北杜夫、高橋英夫、そして入沢康夫の名前もある。
 発売時に読んだのかもしれないけれど、改めて目を通すと短いエッセイのなかにも、それぞれの創作のこだわりや原点がやはり書かれているので購入した。深夜、コーヒーを片手に、彼らの話を聞きたくなった。
 
 作家のエッセイを読むと、その人ならではの話し方を感じることができる。生身の人間に会い、話すのも面白いことだろうけれど、一対一で会わない限り、ほんとうに話を聞いた、話した、という気持ちになることは、さびしいけれどあまりない。
 何かの集まりがあり、以前から話してみたかった人がそのなかにいるとする。けれども複数のゆるいつながりのなかで、その場で通じる話やときには共通の知り合いの噂話をしているうちに、そのなかの一人に以前から聞いてみたかったことが埋もれ、見えなくなる。何も聞けず、何も話せなかったな……と帰りの電車で溜息をついたこともある。

 そんな溜息の夜に、好きな作家のエッセイを読むとほっとする。コーヒーを飲みながら、落ち着いて彼らの話を聞き、わたしもそれについてゆっくりと考える。エッセイを読むひと時の胸のなかには、双方向から吹いてくる言葉の風の、爽やかな広がりがある。

 懐かしい雑誌『リテレール』の特集「最も想い出深い自作」。
 自作を語るエッセイのなかで、詩人の田村隆一は、第一詩集『四千の日と夜』収録の一篇「腐刻画」を選んでいる。
 わたしも高校生の頃にこの「腐刻画」を読んだとき、目が覚めた。
 それまでは、日常の自分の「気持ち」や「感情」や「考え」を短い言葉で表すのが詩なのかな?……と漠然と思っていたからだ(それだけではないだろうな……とも感じながらも)。

 田村隆一の詩「腐刻画」はこう始まる。腐刻画とはエッチングのこと。

 ドイツの腐刻画でみた或る風景が いつも彼の眼前にある それは黄昏から夜に入ってゆく古代都市の俯瞰図のようでもあり あるいは深夜から未明に導かれてゆく近代の懸崖を模した写実画のごとくにも想われた

 たった数行の言葉によって、言葉のなかにしか「ない」ものの手触りや光の明暗を体感させることが一瞬にして、できるということ。
 しかも記された文章の内部でつねに移ろい、揺らぎつづける、言葉によって限定されないある風景として。つまり捉えがたい「余白」や「空白」のようなものとして。
 詩の言葉は何かを表すためではなく、何かを限定しないためのもの。描かれるものや言葉自体の移ろいを移ろいのままでやわらかく包むもの……という予感が、この一篇とともに、わたしのなかに入ってきた。

 そして「腐刻画」はこう続き、終わる。

 この男 つまり私が語りはじめた彼は 若年にして父を殺した その秋 母親は美しく発狂した

  語る「私」とは、「彼」とは、誰なのか。このあまりに短い散文詩を成立させているのは、書く「私」でも語る「私」でもなく、書かれた「彼」でもなく、「言葉」でしかない。

 田村隆一はこの「腐刻画」について、「ぼくの原型となりえた詩」「「詩」を「書く」という激しい意識を持った最初の詩」だとエッセイのなかで記している。
 田村隆一がここで語ったことは、詩を書くうえでは当たり前のことかもしれない。けれど、わたしの考えを広げてくれた爽やかな風として、少しだけ引用したい。
 一つの話を確かに聞くことができた、一夜のしるしとしても。

 では「詩をつくる」とは、果たしてどういうことなのか。詩は沈黙の所産である。逆説的に聞こえるかもしれないが、詩は感情の発露ではなく、「なま」の感情を「隠匿」することなのだ。詩は、わかりにくい感情をはっきりと眼に見せ、耳に響かせるようにする。リズムや、色彩や、イメージや、語と語の関係による「構築物」として、明確な形を与えるものなのである。「言葉」によってこれがなされた時にはじめて、「観念」はその新鮮さとエネルギーでもって、よむ人の知性に、根源的に働きかける。
(……)
 詩作において、ぼくはできるだけ形容詞と副詞を用いないように努めてきた。それらによって、イメージが限定されるのを恐れるからである。「美しい花」でなく、「花」とだけ書くことによって、その美しさを読む人に想像させるような書き方をすべきなのだ。そうでなければ、「美しい」の一言が「花」のイメージを限定し、さらに、一人ひとりによって異なる「美しさ」までも幅を狭くしてしまう。
 「腐刻画」の最終行には「母親は美しく発狂した」とある。そして、これ以後のぼくの散文詩に「美しく」「美しい」という語句はほとんど用いられていない。逆にいえば、この修飾語には「特別な」意味があった。そしてこの一行を重層化し、拡大していくことが、以後のぼくの、詩への取り組みの積み重ねとなった。


 わたしも、詩のなかでは極力、形容詞と副詞をなくし、「美しい」という言葉も使わないようにしている。
 「腐刻画」という、たった数行に惹かれた夜から、いまでも。




『リテレール』1994年夏号(メタローグ)





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