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マララ・ユスフザイ『わたしはマララ』を読む

 アメリカ同時多発テロから20年。アメリカ軍がアフガニスタンから撤退した機に乗じて武装勢力タリバンが再び権力を掌握し、国際社会に動揺が広がっています。この報を受けた多くのひとが、いまから9年前、2012年にパキスタン・タリバンに銃撃され、のちにノーベル平和賞を受賞したパキスタンの少女、マララ・ユフスザイのことを思い出したに違いありません。
 タリバンを語る上で欠かせないのが、教育、とりわけ女子教育に対する姿勢です。極端なシャリーア(イスラム法)解釈に基づいて女子教育を禁じ、マララと父ジアウディンはこの点を批判し続けてきました。銃撃されたときマララは若干15歳。

 わたしたちの村にはソラヤという女性がいて、早くに夫を亡くしてしまった。ソラヤが同じ村の男やもめと再婚したので、両家に諍いが起きた。夫を亡くした女性が再婚するためには、家族の許可が必要なのだ。再婚のことをあとで知ったソラヤの家族は、猛烈に怒った。相手の家族を非難しつづけて、しまいには長老会議(ジルガ)が開かれることになった。ジルガは、ソラヤの再婚相手の家族に罰を下した。一族のなかでいちばんきれいな娘を、ソラヤの一族でいちばん出来の悪い男と結婚させるように、というのだ。(中略)どうして、なんの関係もない女の子が、人生を棒に振らなければならないんだろう。(pp.94-5)

 これは一例にすぎませんが、アフガニスタンやパキスタンの女性が置かれている環境はまったくもって苛烈を極めています。世界経済フォーラムが発表したジェンダーギャップ指数(2021年度)において、アフガニスタンは最下位の156位、パキスタンは下から4番目の153位でした(日本は120位)。
 マララは「ペンを奪われてみてはじめて、人は、教育がどんなに重要だったかに気づく」と書いています。教育について語るとき私たちは欧米に目を向けがちですが、世界に目を向けなければ、結局のところ日本の置かれた位置もわからなければ、教育の大切さもわからないのではないか、と考えさせられる一冊です。

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