「9月1日問題」に想う、選択肢を持つ強さ
「9月1日問題」
この言葉は、数年前に樹木希林さんのドキュメンタリーを見て知りました。2016年に生まれた言葉のようです。
樹木希林さんは晩年、「9月1日問題」について言及され、子どもたちが抱えるプレッシャーや不安に寄り添う必要性を強調されていたのですね。亡くなる直前まで活動をされていた様子が、ドキュメンタリーに記録されていました。
学校側に属する決意をし、日本のある私立校の面接を受けたのが1998年。その時の面接での経験を、去年の今頃まとめてあります。
この時期になると、必ず思い返されます。
価値観の違い。
相手側は「これが正義なのだ」と、押し付けてきたように感じました。面接後、母の前で耐えられずに大泣きしました。
四半世紀以上が過ぎた今、「登校拒否」という言葉に加えて「不登校」と定義も誕生。定義を増やし分類するよりも、もっとが焦点が変わらないものかと、日本の外から見ていて感じます。こんなに選択肢が広がった今の時代なのに、通念というものはなかなかしぶとい。
「登校」することを軸にして考え「拒否」や「不登校」という言葉でカウント。勿論、子どもたちの教育を受ける機会を守る為、学校に登校していない人数をカウントし状況把握をするのは重要。けれど、学校に行って心や身体を壊していたら元も子もない。自己肯定感が壊されるような環境からは、大人も子どもも飛び出しましょう。
学校の中にいた者だからこそ、声を大にして言います。
学校が楽しいのなら、良かった!
けれど、身体や心が削られると感じるのならば、学校に合わせなくてもいい。
今の学校が合わないのかもしれない。
「学校」というスタイルが合わないのかもしれない。
様々な理由から「登校を拒否」する行為でサインを発し、助けを求めている子ども。
本当の気持ちを伝えても聞いてもらえないと思っていたり、伝えることで、怒られる、悲しませるなんて、大人に気を使っているのかもしれない。
伝えたいのだけれど、まだ気持ちの表現がうまく出来なかったり。
なんだか分からないけれど、身体が動かないってこともあるのよね。
子どもはサインを発しているのに登校を強制され、その後、二次障害に苦しむようになった生徒もみてきました。
「休む」も立派な選択!
学ぶ場所は、学校でもいいけれど、
今の時代もっと選択があってもいい。
学校の外を選択したい/選択したご家族もいる。
この「選択」があることを知っているだけで、苦しさが変わる。
ここ数年、私達家族が学びの環境を変えた為、お子さんの学びの場所を学校外に選ぶ親御さんともお話する機会が増えました。
学校内で出会った親御さんも、学校外を学び場に選んだ親御さんも、お話すると、皆さんお子さんのことを真剣に考え環境を選ばれています。
日本のメディアに目を通すと、ここ数年「学校」以外の学びの選択を肯定的に考える「過渡期」の風を感じたりもします。
「ラーケーション」でも感じたこと。
この過渡期が、とにかく長い!
だからこそ、何事も世の中が整うのを待つのではなく、自分達の指針を持ち動くことが重要。
「いやだ」「何か変」と、思う気持ちは大切にね。気持ちと向き合い、選択をするチャンスです。