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本のご紹介9

「世界の調律 サウンドスケープとはなにか」R.マリー・シェーファー 鳥越けい子 小川博司 庄野康子 田中直子 若尾比呂氏 訳

 1933年生まれのカナダの作曲家でトロント王立音楽院に学んだ。学生時代から文学、哲学、外国語、美術などの広い分野を独学で学んだ。「グーテンベルクの銀河系」の著書で知られるマーシャル・マクルーハンのゼミに出入りしていた。やがて欧州へと渡り学問と芸術、宗教について幅広く学んだ。カナダの現代音楽において第一線で活躍を続けた。
 十五年に渡るカナダの研究グループによる「世界サウンドスケープ・プロジェクト」に於いての研究が嚆矢となりサウンドスケープ(聴覚環境)概念が確立し一般化する。
 翻訳の際、内容が多岐にわたる為、音楽、動物学、英文学、建築、造園、制御工学など様々な分野の専門家による助力貴重な教示があり上梓に至る。

 海水風など自然の音、鳥虫動物の音、牧場や狩り農場など田舎の音、教会の鐘や馬車喧騒など町の音、有史以前や神話の時代から章を進むごとに産業革命後のサウンドスケープ、その分析と実際の聴覚環境のデザインへと話は及んでゆく。
 該博である文学芸術などからの引用文がかしこに散りばめられ、それが為に論の核心がぼやけさせられているという評も一部であるようだが概して興味深く楽しませてくれる。

 ぼくはもう何もしないで聞くだけにしよう・・
 ぼくには聞こえる、合流し、結びつき、溶けあい、あるいは追いすがるすべての音が、都会の音と都会の外の音が、昼と夜の音とが・・・
 ウォルト・ホイットマン「僕自身の歌」 「草の葉 上」岩波文庫

 四隅と中央に植樹した五点形の植え込みと花壇とが、日射しをあびて芳香とまばゆいほどのきらめきを投げ合っていた。木立の枝は真昼の光に夢中になって、たがいに抱きあおうとしているように見えた。大かえでの茂みでは頬白がさわぎたて、雀が得意になって囀り、きつつきは樹皮の穴にくちばしを入れてこつこつつつきながらマロニエの木をよじのぼっていた・・・この壮麗さは清純だった。幸福な自然の偉大な沈黙が公園にみなぎっていた。それは巣で鳴く鳩の鳴き声や、蜜蜂の群れの羽音のうなりや、風のざわめきなどの数千の音響と共存できる天上の沈黙だった。
 ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル」 集英社世界文学全集29

 上記21頁61頁より引用

 
 第二章 生命の音 迄で文中に登場する人物

クレー カディンスキー バウハウス ジョン・ケージ ヘンリー・デイヴィット・ソロー ホメロス ヘルマン・ヘッセ R.シュトラウス グスタフ・マーラー スウィフト E.M.レマルク フォークナー トルストイ トマス・ハーディ トーマス・マン マクルーハン ヘシオドス フィッツジェラルド エズラ・パウンド サマセット・モーム エミリー・カー(加)ヴァージニア・ウルフ パステルナーク(露)パスコリ(伊) ストラヴィンスキー ヴィクトル・ユゴー オズワルド・シュペングラー(独)ウェーバー(独)フェニモア・クーパー(米)カント チャールズ・キングズリー(英)プルタルコス カッシオス H.ハイネ オリヴィエ・メシアン ジャラール・ウッディーン・ルーミー(波斯)ハイドン ワーグナー ベートーヴェン フィリップ・グローヴ(加)ウェルギリウス ジュリアン・ハクスリー(英)アレキサンダー・ポープ(英)テオクリトス マリウス・シュナイダー(独)オットー・イェスペルセン(丁抹)

 動物の鳴き声についておもに論じている辺りからだねっ。

 ~以下に挙げる単語は、行為を表す動詞でありながら、そのほとんどがいまだに擬声語的性格をとどめている。(74頁より)

a dog barks 犬はワンワンと鳴く
a puppy yelps 子犬はキャンキャンと鳴く
a cat meows and purrs 猫はニャーと鳴きゴロゴロいう
a cow moos 牛はモーと鳴く
a lion roars ライオンはガオーと吼える
a goat bleats ヤギはメーと鳴く
a tiger snarls 虎はウーとうなる
a wolf howls 狼はウォーンと遠吠えする
a mouse squeaks 鼠はチューチュー鳴く 
a donkey brays ロバはしわがれた声でブヒブヒ鳴く
a pig grunts or squeals 豚はブーブー又はキーキー鳴く
a horse whinnies or neighs 馬はヒヒーンといななく

 地の文を。

 キリスト教の共同体において、最も聖なる信号音は教会の鐘である。まさに現実的な意味で、その音は共同体の境界を決定している。教区とは、教会の鐘の音が届く範囲内にその領域を定められたひとつの音響空間だからである。教会の鐘は求心的なおとである。それは人間と神を結びつけると同様、社会的にはその共同体を引き寄せ、ひとつにまとめる。さらに、過去の時代にあってはしばしば悪霊を追い払うのに役立ったように、教会の鐘は遠心的な力をも発揮したのだった。
    第四章 町から都市へ 92頁 より部分

 重要なのはまず、ローファイな状態というものが人口が増加し生活環境の密度が高くなった場合の当然の結果ではないということを理解することだ。中東の市場バザールや昔ながらの村々を訪れると、大勢の人々が互いに邪魔しあうことなく、各自の仕事をうまく片づけているその静かな、ほとんどひそやかな様子はとても印象的である。いわゆる「音のたれ流し」は、社会が自らの耳と交換にその目を手に入れる際にとかく起こりがちだし、こうした視覚の偏重にさらに機械への深い傾倒が加わるとまず例外なく起こるものである。
 サウンドスケープ・デザイナーが耳を重視するのは、ただ現代社会の視覚偏重主義に対抗するためであり、究極的にはむしろすべての諸感覚の再統合をめざすものなのである。
 第十七章 サウンドスケープ・デザイナー 337頁 より部分


 ふーーっ肩がっ(笑)。ではでは(*'▽')


 


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