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すべての、白いものたちの

『すべての、白いものたちの』はノーベル文学賞を受賞した韓国の作家ハン・ガンによって綴られた、白を通じて過去の記憶と対話する作品だ。

彼女が本作を準備するにあたり目録にあげた白いものたちは「おくるみ」「うぶぎ」「ゆき」「つき」「こめ」のようにひらがなで表記される。 この本を手にした読者にまず柔らかな白いイメージを持たせる翻訳の繊細さが光る。あとがき(作者の言葉)にて、韓国語には「白」を意味する二つの言葉があると述べている。綿あめのような清潔な白を意味する「하양 ハヤン」と生と死の寂しさをたたえた色としての「힌 ヒン」。本作は後者の「흰」について語られる。その純粋さ、無垢さ、喪失、寂寥。

記憶の断片たち

物語の起点には、彼女の姉がいる。生後わずか2時間でこの世を去った姉の記憶は、彼女と家族に深く刻まれた傷跡だ。母の中で育まれた小さな命は、白い産着に包まれ、すぐに失われた。その白さは、生きられなかった命への哀しみと、家族が抱え続ける悲しみを覆う。白い布に包まれた亡き命の記憶は、語られることのなかった物語や触れることのできなかった温もりを想起させる。

喪失を抱えた都市

物語の舞台の一つ、ポーランドのワルシャワ。戦争でほとんどすべてを破壊され、雪景色のように「白い」都市。韓国もまた、長きにわたる植民地支配や戦争を経て、多くのものを失ってきた。土地や文化、そして人々の命。それらの喪失は、彼女が感じた白い静けさの中に重なり合い、ワルシャワの風景に溶け込むようだ。

この夏、私が逃げ込んだ場所は地球の反対側の都市などではなく、結局は私の内部、私自身の真ん中だったのかとおもうほどに。

p27

言葉も通じない異国で孤立した環境が、彼女の記憶をさらに鮮やかに蘇らせる。白い雪や冷たく乾いた風景は、失われた命への祈りと、記憶の残像をそっと照らし出している。

空白と余韻

作品全体に流れるのは、白いものたちが持つ空白だ。「白」は、消え去ったものたちの記憶を呼び起こし、触れることのできない過去の断片を静けさの中に浮かび上がらせる。

白く笑う、という表現は(おそらく)彼女の母国語だけにあるものだ。途方に暮れたように、寂しげに、こわれやすい清らかさ。たたえて笑む顔。または、そのような笑み。
あなたは白く笑っていたね。例えばこう書くなら、それは静かに耐えながら、笑っていようと努めていた誰かだ。
その人は白く笑ってた。こう書くなら、(おそらく)それは自分の中の何かと訣別しようとして努めている誰かだ。

p101

どうしようもない状況の前で、ただ笑顔をつくり、静かに耐え受け入れようとする姿。誰もが一度は経験するであろうその瞬間が、読者の心の中に蘇る。この本には、読者の過去の寂しさをも包み込む余白が広がっている。彼女の筆致が紡ぎ出す白の風景は、読者を自らの内面へと導き、じんわりと余韻を残していく。

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