すべて思い出になる
記憶の奥底に、静かに佇んでいる瞬間がある。たとえば、雨音が響いていた幸せな日の午後。ぬくもりを感じた手のひら。心地よい風が吹いた夕暮れ。何気なく過ぎ去った時間でも、振り返るとまるで特別な光を放つ宝石のよう。大切な人たちと過ごした時間や、一人帰路で見上げた夕焼けの空。時間が経つにつれて瞬間は穏やかな光を放ち、良い思い出として心に刻まれていく。
同じように辛くてたまらない日々もまた、やがて心の中で柔らかく変わっていくなと最近感じる。最中にいるときは、もちろんそんなふうには思えず、ただ逃げ出したくてすべてを忘れたくなる。帰り道で泣きながら歩いた夜のこと。誰にも話せず、ただ部屋にこもって自分の無力さを責めたこと。優しさが逆に苦しくて素直に受け入れられなかったこと。でも、あのときの自分を今振り返ると、そこには踏ん張っていた自分がいる。
逃げることは決して悪いことではない。自分の限界を知り、身を守ることができるというのは、ある意味での強さだ。誰かに「もう十分だよ」と言ってもらうことを待たず、自分が「もう十分だ」と認めてあげられるなら、それだけで救われる瞬間がある。自分を責めずにただその痛みを受け入れることができたとき、ほんの少しだけ心が軽くなる。
どんな瞬間も、やがては過ぎ去る。時計の針が音もなく進んでいくように、どんな苦しみも悲しみもその形を変えていく。今はまるで永遠のように感じるかもしれない。だけど、振り返ったときには、その痛みが遠いものに感じられる日がくるのだと思う。ふと「よくあの時を乗り越えたな」と思えるようになる。あの時の自分も、今の自分も、未来に向かって進んでいく自分も、それぞれの瞬間を生きている。
人生は一度きりだ。だからといって「前向きにならなければ」と自分に強制する必要はない。過去に一生懸命生きた自分、今もがいている自分、そして未来に向かっていく自分。その全てが自分の一部だ。生きることに意味を見いだせなくなる瞬間や、どうしようもない無力感に苛まれる日もあっていい。そんなときは、「いつか思い出に変わる」と、心の中でつぶやいてみる。
過ぎ去った時間が、ただの記憶として心に残るように、今の苦しみもまた、いつかは遠ざかっていく。心の中に残るのは、そのときに味わった涙の温かさや、立ち止まって見上げた夜空の冷たさだろう。そうした瞬間が、自分を形作っていく。