第1章 菜園大改造 〜土づくり編〜
地球沸騰化の時代だ、とある国連事務総長が警鐘を鳴らした。
その年の夏、私は家庭菜園の手入れをしながら、額から流れてくる大粒の汗を拭っていた。
確かに暑かった。これは死ぬかもしれないなと思いながら、草とりをした。しかし、私の中では異常気象だと報じるニュースへの疑問が湧いていた。
暑すぎたのか?
短期で10万年周期で地球は寒い・暑いのサイクルを繰り返す。13万年前から2万年前までの氷期と比べて、最近の夏が観測史上で暑いのは当然のことだ。
これは異常気象なのではなく、過去に何度も人類が経験してきた、自然のサイクルの一つの出来事に過ぎないのではという疑問が頭に浮かぶ。
その年の猛暑にさらされた作物は、収穫時期や収量がバラバラだった。長い夏の後、秋を飛ばし、突然冬が来たような状態に混乱をして、中には収穫に至らない作物もあった。これは、生物としてみれば種の存続ができないという厳しい事態だ。
本来、暑さに強いはずの熱帯原産の植物の出来がバラついたのは何故だろう。行き過ぎた育種選抜が温暖化に合わなくなっているのか?
私は菜園のどこかに不調和があるのが原因ではないかと考えるようになった。
それが、自然的な栽培について興味を持ちはじめたきっかけだ。
自然との調和
太古の昔は大気中のCO2濃度や気温が今よりもはるかに高く、地上に植物が大繁栄していた。地球温暖化で困るのは人間だけで、植物は喜ぶのではないか。
気候が植物の生育条件が合っていて、自然と調和していたから繁栄したのだ。この調和の仕組みを栽培に取り入れ、昔のように気温が高い状態でも元気に育つようにしたいと考えた。
私が思う”自然と調和した栽培”とは、収穫や植え付けといった人為的介入や、気象変動があっても、自然の摂理により物事が補正されてうまく巡る状態のことだ。
自然=野生状態のことではない。畑と植物の関係だけではなく、食物連鎖の一部である人間や動物も、自然に内包されると考えている。
理にかなった栽培を行い、植物や土壌微生物、私の心身や腸内フローラも整えば、それは一種の自然と調和している状態だと思う。
自然との調和が成立する仕組みを探るため、私は農学や栽培技法を学び直すことにした。
栽培には未だ最適解がない
自然的な栽培という観点で調べてみると、想像よりも多くの”なんとか農法”といった栽培技法・理論があることがわかった。
人類が牧畜と農耕をはじめて1万年経った現在でも、個人の経験則による栽培理論が数多く存在し、未だ最適解が存在しないという事実に驚いた。
土地ごとの気候、未知の微生物や植物生理、嗜好や技術など社会変化。こういった要素が、数多くの”なんとか農法”が生まれる背景にあるのだろう。
ひとつ確実に言えるのは、気象変動を予測して対応できる完璧な栽培技術は、まだ存在しないということだ。
米の一等品率の低下や、ワイン用葡萄不作のニュースは、変化する天候に対して、ベストと考えられてきた慣行的な栽培技術が通用しなくなってきていることの現れかもしれない。
プロの生産者ですら、最適解がわからない状態に陥っているのではなかろうか。
このような考えから、家庭菜園で今まで行なってきた慣行的な栽培のやり方を見直し、私が思う自然的な調和の取れた栽培への大転換を図ることにした。
大胆に、これまでやったことのない方法で、徹底的に変革するのだ。
天地創造 大改造スタート!
これまでは、連作障害回避のために6区画に分けて作物のローテーションをしていたが、思い切ってやめてみた。
ローテーションをしていても、各区画の植物の多様性は足りない状態、根本的な解決にはならないと思ったからだ。
整地された畑のように全てが真っ平な地形は日本の自然には存在しない。
自然に倣うというならば、山が隆起し、水が流れ、谷ができ、草木が生え、森となる過程をそのまま模倣してみたらどうなるだろう。
畑の中心に山脈があり、その山の中腹から平野部にかけて、植物が広がる風景を私の家庭菜園に再現しようと決めた。
そして私は年末年始を、ひたすら庭の破壊と創造に費やした。
スコップひとつで土を畑の中央に盛り上げ、全長9m、高さ約65cmの超高畝を一本作り上げた。
自分の栽培史上、もっとも高い畝の完成だ。
普通は畝をこんなに高くはしない。しかし、気候変動に適応しきれていない現在の「普通」をやめることがスタートラインだ。
散歩中のご近所さんが、何をやってんだ?という怪訝な表情を浮かべながら、私の家庭菜園の脇を通り過ぎていく。
中には「里芋ですか?」と興味本位で聞いてくる人もいるが、正直なんと答えればいいか分からなかった。
自然的な栽培を目指してると答えても、誰も信じてくれないだろう。
自然界の土づくり
フーゲルカルチャーとは違い、この超高畝の内部には、丸太や剪定枝など木材は入れていない。土壌深部に木材がある状態は、土砂災害でも起きない限り自然には発生しないと思うからだ。
土の深部に入れた状態の木質のものは、分解が進まずにいつまでも異物として土中に残る可能性がある。そもそも、木質を構成するリグニンは多くの土壌微生物にとっては毒素だ。
唯一、リグニンを含むあらゆる植物細胞壁を分解できる白色腐朽菌も、好気的な酸化反応として分解を行う。つまり、地上の酸素が必要になる。木質の有機物を畑に入れるなら、土の表層近くに置くのが正解だと思う。
「自然界の山の土は落ち葉などの有機物が循環して豊かだ」というもっともらしい解説も見かけるが、実際に山へ行って林の中を観察してわかったことがある。
落ち葉や枝などが分解されているのは、せいぜい表層5cmくらいの部分で、土の中にあるのは、枝や枯れ葉といった植物の残骸ではなく、根と石だ。
今まで邪魔者扱いにし、畑から一生懸命取り除いてきた石ころも、実際の山をイメージして畝に戻すことにした。
砕いた岩石を畑に入れることで、ミネラル補給がされ、微生物が働き、収量が上がる効果が期待できるという研究があるのを知っているだろうか。
大気中のCO2を固定するネガティブエミッションの観点から、岩石風化促進技術(ERW)の研究が進んでおり、最近は農業界でも石の働きが見直されているところだ。
土づくりの正解
土づくり用語である団粒構造から学び直してみた結果、土づくりの主役となるのは植物の根・根の周りにいる菌や分解が得意な土壌表層の微生物だということがわかった。
植物遺骸が腐植レベルにまで細かく分解され、岩石が砕けた粘土粒子と混ざり合い、菌類の分泌物でくっついた極小の擬似カプセルが団粒構造で細菌の住処になる。小さな団粒同士が集まって大きな団粒構造となり、よりサイズが大きい糸状菌や植物の根が通っていく空隙が作られる。
微生物の働きがなければ、いくら有機物や土壌改良材を畑に入れても団粒構造はできないということだ。
石は生育の邪魔になるから取り除き、有機物を土の深いところまで入れて、冬の間にしっかり耕して寒起こしで菌を死滅させ、作付け前の耕起で物理的にふかふかにするという土づくりが、実際の自然の状態からは程遠いことがわかったので、耕すことは極力控えることに決めた。
自然的な栽培指針のまとめ
一本のうねを作り終えたところで、私は今後の栽培指針をまとめてみた。さまざまな栽培理論に触発されたが、私にとって納得感のある自然的な栽培のやり方を3つのカテゴリーでまとめると、次のようなものになる。その理由や背景も簡単に記しておこう。
天(地面より上をどう管理するか)
野菜や食べられる野草を優先しつつ、出来るだけ植物の種類を増やす。(根に内生・共生する微生物の多様化)
常に植物が生えている状態を保ち、生育を抑える程度に刈り、小動物の餌を残す。(根から土へ養分供給をさせる)
大きくなる植物は株間を広く取り密植を避ける。(根域を確保し、根に深耕をさせる)
小動物や昆虫の住処をつくる。(害虫の捕食者を育てる)
地(地表や地中をどう管理するか)
圃場内を立体的にし、乾燥~湿潤、日当たりなど栽培条件に変化をつける。(生育に適正な条件のリスク分散)
全部収穫せずに一部残し、次の世代へ繋ぐ。(適応力の向上)
播種時などの耕起は表層から5cmまで、深耕はしない。土を深く掘る必要がある根菜類は別な区画にまとめる。(土壌微生物の撹乱防止)
収穫残渣は地表に残し、分解されるのを待つ。(表層を裸地にしない)
人(人工物をどう使うか)
除草剤は絶対に使わない(数年間は悪影響が残る事を回避)
市販の消毒済種子以外の殺菌剤は基本的に使わない(善玉菌・悪玉菌という区別をせず、菌の多様性を保つ)
殺虫剤は収穫ゼロを回避したい時に限って使う(食べるものができなければ、そもそも栽培する意味がない)
肥料や堆肥は土壌微生物の餌として適宜使う(地力窒素が蓄えられるまでは、収穫=簒奪分の補給が必要。植物は微生物の力を借りて養分を吸収する)
栽培そのものが、種をまいて畑から収穫物を持ち出す人為的な行為である以上、100%の自然にはなり得ない。だから私は「自然的」という言葉を使う。
世界は人間なしに始まったが、最後は自然から拒絶されて、人間なしに世界が終わるのでは、何だか寂しくないだろうか。
人が自然と折り合いをつけながら調和できる道が、この一本のうねの中にあると信じたい。