負け犬の遠吠え 大東亜戦争19 ミッドウェー海戦③飛龍の戦い
1942年6月5日午前1時30分。
南雲機動部隊からミッドウェー島空襲部隊が出撃しました。
後続の第二艦隊がミッドウェー島に上陸するのが7日と決まっていたため、それまでにミッドウェー島基地を殲滅しておかねばならなかったのです。
ミッドウェー攻撃隊が出撃してから1時間後、アメリカのPBY飛行艇が南雲機動部隊を発見し、その位置を電報で報告します。
そしてさらに2時40分、ミッドウェー島へ向かっていた攻撃隊もアメリカの索敵機によって発見されてしまいました。
「見つけたもん勝ち」の索敵合戦、軍配があがったのはアメリカの方だったのです。
索敵機の報告によって、日本軍の空襲を予想していたミッドウェー島では、迎撃するために戦闘機26機が上空を警戒していました。
そして午前3時16分、ミッドウェー島に飛来した107機の日本軍攻撃隊を発見し、奇襲をしかけたのです。
多数の艦上攻撃機が被弾しますが、零戦が反撃に出て15機を撃墜し、日本軍はこの空中戦に勝利します。
攻撃隊はそのままミッドウェー島を空襲、重油タンクや格納庫、発電所などの基地施設に打撃を与えました。
しかし滑走路のダメージは少なく、基地にはわずかな航空機しかありませんでした。
ミッドウェー基地の航空機は、既に南雲機動部隊を攻撃するために出撃していたのです。
攻撃の戦果が不十分だと感じた日本軍攻撃隊の友永丈市大尉は、南雲機動部隊に再攻撃の必要性を打電します。
しかしその頃、既に南雲機動部隊は米軍の度重なる攻撃にさらされていました。
ミッドウェー島から飛び立った米軍航空機による攻撃に晒された艦隊は、零戦の迎撃によって事なきを得ましたが、ミッドウェー島再攻撃の必要性を痛感させられる事になり、各艦で待機していた航空機の兵装を、陸上攻撃用爆弾へ転換する事になりました。
午前4時28分、重巡洋「利根」から発信していた偵察4号機から「敵らしきもの10隻みゆ」という電信が送られて来ました。
この知らせに対して南雲機動部隊の司令部は「らしき、ではわからん、艦種を知らせろ」と指示を出しました。
しかしフロートのついた低速の偵察機では、敵簡単に近づくのは自殺行為です。
それでも利根4号機は粘り強く触接し、指示通りに偵察を続けました。
利根4号機からの報告を待っている時間は、南雲艦隊にとって致命的なロスであり、本来ならば最初の報告をうけた時点で司令部はなんらかの対応をとるべきでした。
「〜らしき」という報告の仕方があいまいだった事が、判断を遅らせたという意見もありますが、「らしき」という表現は暗号書にも載っている正式な表現であり、受け取った情報をもとに判断をするのはあくまでも司令部の責任なのです。
さらに、利根4号機の件以外にも、他の偵察機である「筑摩1号機」は、敵の艦載機との接触があったにも関わらずこれを報告しなかったという失態もありました。
このミッドウェー海戦において、日本と米軍の勝敗を分けたのは「索敵」だったのかもしれません。
南雲機動部隊がまごまごしている間にも、位置が特定されている南雲機動部隊は米軍の航空部隊による度重なる激しい攻撃にさらされます。
当然、三隻の空母「赤城」「飛龍」「蒼龍」が狙われますが、零戦の反撃と、巧みな操船により、艦隊は無傷で済みました。
そしてこの空戦の最中、ミッドウェー島を攻撃した第一次攻撃隊が南雲機動部隊の上空に戻ってきました。
空爆を終えて帰ってきた機体は燃料が乏しく、早く母艦に着陸したいところでしたが、戦闘中であったために上空で待機せねばなりません。
そのような混乱した状態で、偵察を続けていた利根4号機から
「敵兵力は巡洋艦5隻、駆逐艦5隻、その後方に空母1隻」
という具体的な艦種の報告が届きます
利根4号機が見た空母は「ホーネット」でした。
しかも、敵機が次々と南雲艦隊の方へ向かっているとのことです。
この報告に南雲艦隊司令部は騒然としました。
上空には燃料の尽きかけた100機の第一次攻撃隊、艦内には陸上用爆弾に兵装転換を終えたばかりの第二次攻撃隊。
本来ならば、すぐさま攻撃隊を出撃させて敵空母を攻撃しなければなりませんが、それを優先させてしまっては、上空で待機している自軍機の燃料がなくなってしまい、100の機体と200人の乗員を危険にさらす事になります。
さらに、現在装備している陸上用爆弾では敵艦を沈める事は困難です。
軍艦を沈めるためには、魚雷で横っ腹を撃ち抜かねばならないのです。
第二航空艦隊司令官である山口多聞少将は、すべてを投げ打ってでも現装備のまま、直ちに出撃すべきだと司令部に進言しました。
山口少将は、2ヶ月前のセイロン沖海戦にて、兵装転換時にイギリス軍の攻撃を受けた経験があるため、戦闘中に兵装転換をする事の無防備さ、危険性を認識していたのです。
しかし南雲司令部は、敵空母がまだ遠くにいた事(実際はもっと近かったのですが)、ただちに出撃しても護衛戦闘機がおらず、爆撃機を危険にさらす事などの理由から、
・上空待機している自軍攻撃隊の収容を優先する事
・艦内に待機している攻撃隊の兵装を、陸上用爆弾から魚雷に転換する事
を方針づけました。
第一次攻撃隊の収容を終えたのは午前6時50分、この頃になると既に南雲機動部隊は、米軍空母から飛来した雷撃隊の攻撃を受けていました。
予想よりも早い敵機の到達に、南雲中将らは不安を抱かざるを得ません。
雷撃機による魚雷攻撃は、海面近くの低空で行われます。
よって、応戦する護衛の零戦も、艦船の見張りの目も、自然と低空域に向けられてしまうのです。
南雲機動部隊の誰一人として、上空に目を向ける者はいなくなっていました。
そして午前7時22分、米軍の艦上爆撃機が戦場空域に到達します。
雲の切れ間から急降下してくる爆撃機に気づいた時には既に遅く、「敵機、急降下!」
の声もむなしく、ドーントレスから放たれた1000ポンド爆弾の四発目が空母「加賀」の甲板を突き破りました。
続いて空母「蒼龍」「赤城」にも爆弾が命中し、各艦とも、艦内には燃料を満タンにして爆弾や魚雷を抱えていた第二次攻撃隊に誘爆し、大炎上を起こしました。
その後、3隻とも沈没し、合わせて2000名近くの搭乗員が戦死しました。
赤城 戦死者221名
蒼龍 戦死者718名
加賀 戦死者811名
日本軍に残された空母は「飛龍」一隻のみとなりました。
飛龍は雲の下に隠れており、撃沈した3隻とは少し離れた場所にいたため、爆撃を免れていたのです。
先ほど、「兵装転換を行わずに直ちに出撃すべし」と具申した山口多聞少将は、この飛龍に乗船しており、独断で進路を変えていたのです。
飛龍の孤独な反撃はここから始まります。
炎上する3隻の空母を遠目に見ながら第一派攻撃隊が発進し、敵空母「ヨークタウン」に攻撃を仕掛けました。
零戦2機と艦上爆撃機12機が撃墜されるも、爆弾3発を命中させ、ヨークタウンを航行不能に陥らせます。
その後、駆逐艦「嵐」が海面に漂っていた米兵「ウェスリー・フランク・オスマス少尉」を救助し、尋問を行いました。
そしてアメリカの出動空母は「エンタープライズ」「ホーネット」「ヨークタウン」の3隻である事を知り、初めて敵戦力の全容を知る事になるのです。
オスマス少尉はその後何者かによって惨殺され、水葬に附されました。
付近に新たな敵空母が存在するという知らせを受け、飛龍からは第二次攻撃隊が出撃しました。
1時間後に攻撃隊は新たな米軍機動部隊を発見します。
友永丈市大尉は、この敵空母を「ヨークタウンとは別の空母、エンタープライズである」と判断し、攻撃を加えます。
しかしこの空母は、先ほど日本軍の攻撃を受けて航行不能に陥っていたヨークタウンであり、復旧作業が進んで自力航行が可能になっていたのです。
友永大尉率いる攻撃隊の攻撃によってヨークタウンは発電機やボイラー室を損傷、再び航行不能に陥ったところを、潜水艦の攻撃によって撃沈しました。
日本軍は、同じ空母を2度攻撃した事に気づいておらず、ヨークタウンとエンタープライズの2隻を撃沈できたのだと誤認していました。
飛龍の副長、鹿江隆は「これで1対1になった」と手応えを感じていたほどです。
しかし、沈没寸前のヨークタウンからエンタープライズへ「飛龍の正確な位置」が打電されており、それを受信したエンタープライズは既に爆撃隊を発進させていました。
飛龍の司令官・山口少将は態勢を整え直して夕暮れを待ち、全兵力を以て薄暮攻撃を仕掛ける予定でした。
17時30分、エンタープライズから飛来した米軍の爆撃隊が飛龍上空に到達、迎撃に当たった零戦との激しい空戦の末、飛龍に4発の爆弾が命中します。
消火不能の火災が発生した飛龍の甲板上では、山口多聞少将によって全員が集められていました。
「皆が一生懸命やったけれども、この通り本艦もやられてしまった。力尽きて陛下の鑑をここに沈めなければならなくなった事は極めて残念である。どうか皆で仇を討ってくれ。ここでお別れする」
と告げると、一同は水盃を交わし、万歳を唱えながら軍旗をおろしました。
部下たちは、山口司令官と加来艦長の退艦を願い、二人を制止しようとしましたが、それを振り切って二人は艦橋へと登り、2度と出てくる事はありませんでした。
生存者が駆逐艦隊に移乗した後、飛龍には雷撃処分がくだされました。
艦と運命を共にした二人の態度は「まるで散歩の途中にさよならを言うかのように淡々としていた」と言われています。