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悩みの先で出会った風景
『小学生の Liberator』
2012年の初めのことだ。
私は当時、アメーバピグライフと言う箱庭農園ゲームをプレイしていた。
ある日、見知らぬ男が突然、私の庭に現れた。
彼の名前はまったく覚えていないが、手に赤い薔薇を持っていたような気がするから、薔薇男と呼ぶことにしよう。
薔薇男は、私が公式コミュニティに投稿した庭の画像を見て興味を持ち、来訪したと言った。
庭が気に入ったので、今後も来たいと言う。
私はそれを、水友になりたいと言う意味だと解釈し、問題ないと返した。
このゲームでは、他のユーザーの庭に水が撒けるのだが、水をもらうと作物の収穫量が増え、イベントの進行が有利になる。
だから毎日、水の撒き合いをして協力し合うのだが、1日に撒ける量には限度があるため、決まった相手とやり取りする人が多かった。
この、毎日水の交換をする相手を、このゲームでは水友と呼んでいた。
私が水友になることを了承すると、彼は、サブキャラでも水を撒くと言い、別のアカウントでやってきて、私に尋ねた。
「何に水を撒いてほしい?」
どの作物に水をもらうかは実は重要で、適当に撒けば良いと言うものではない。
今、振り返ると滑稽な話だが、あの頃、ゲーム内では水のことで揉め事が絶えなかった。
彼は3回水を撒くと、さらにサブを連れてくると言った。
同じ庭には日に3回までしか撒けない仕様なのだが、この回数のことでも年中揉めていた。
水を撒かれたことは履歴に残るのだが、回数までは表示されないため、1回しか撒かない人も当然いたからだ。
「まだサブあるんだけど、次ので来てもいいかな?」
そう言って彼は、続々と別のアカウントで水を撒きに来た。
15アカウントくらいで撒いたと思う。
私は驚き、呆然とそれを見ていた。
アメーバは複数アカウントが禁止されていなかったため、やろうと思えば誰でもできることなのだが、これだけの数になると結構な負担だと思う。
私は彼に、ここまで大量のお返しはできないと告げたが、彼は今後のやり取りについて次のように話した。
「サブの庭は閉鎖してるから、当然サブに水は要らない。水は僕のメインの庭だけでいい。毎日来てほしいけど、水は1回でいい。水は余ってるんだ。僕は毎日君の庭に、全部のアカウントで撒きに来るけど、自分の庭に撒くついでだから気にしなくていいよ」
彼は、私のことが気に入ったから、「特別だよ」と言った。
彼は過去に同じことを他の水友にもしたことがあったが、すると皆、彼に過剰な期待をして要求がどんどんエスカレートし、結局最後には縁を切ると言うことが何度もあったと言う。
私にはそれが、よく理解できた。
この時、私は、彼とは意見が合うと考えた。
「僕はリア友と組んでゲームをしてる。さっき水を撒いた中には、そのリア友のアカウントもある。そこには水は返さなくていいけど、撒きたかったら撒いてもいいよ。それと君が僕の庭に来た際、僕が庭にいたとしても、中身は僕じゃなくリア友の時がある」
アカウントを共有して、時間を分けて担当していると言うことだった。
それは、このゲームの場合、やはりよく理解できた。
150分に1度稼働しないと、イベントがクリアできないと言われていたからだ。
多少の課金ではどうにもできない仕様だった。
そんなわけで、私は彼の話に納得し、彼が私の庭に来た際には喋るが、私が彼の庭を訪問した際は会話しないことを約束した。
こうして、私と薔薇男の付き合いは始まった。
彼は水撒き以外にも、日に何度か私の庭に来て、会えばいろいろ喋った。
主に芸術関連の話で、とても楽しかったし、彼とは趣味が合った。
また、彼はよく気がつく性格で、気遣いも上手かった。
例えば、食事だ。
庭にはテーブルが設置できて、そこに料理を置けた。
それを食べるとランダムで体力が回復するシステムなのだが、各庭で1日1回しか食べれない。
自分の庭で自分の料理を何度も食べることができないシステムなので、食事も提供し合うことが慣例となっていたが、イベントがどんどん厳しくなり、余裕がなくなり、料理が用意できない庭も増えていた。
しかも料理の種類が体力回復成功率に関係があると言われており、これもまた揉め事の原因となっていた。
そう言った事情から、料理の在庫の心配をするユーザーは多く、私もその一人だったのだが、それを読んでか、彼はこう言った。
「僕は料理のストックがたくさんある。だから僕の庭に来た時は遠慮なく食べてくれていい。僕は水友全員にそう言っているし、皆必ず食べてゆくよ。だけど、僕は基本、料理は食べない。サブを動かしたりで忙しいから、食べるのは面倒なんだ。けど、君が庭にいる時に、どうしても食べてほしいって言うなら食べるけど、その場合、料理の種類は気にしないからね」
そんな彼を私も気に入り、私たちは間も無く『ピグとも』になった。
ピグともと言うのは、このピグライフと言うゲームの母体である、アメーバピグでのフレンドだ。
当時のアメーバピグは、仮想空間で現実とは別の生活を持てるような場となっていて、ピグともと言うのは私にとっては、純粋な友達だった。
それは、『ゲームの協力者』とか、『ギルドの仲間』、『SNSでいいねし合う関係』などとはまったく別と言うことだ。
こう言うのはすべて利害関係で、ゲームを引退したり、いいねが続けられなくなった時に、付き合いは終わる。
あの頃の私は、そんな利害関係に嫌気が差していた。
だから彼と友達になれて幸せだったし、その付き合いが永遠に続けばいいと思っていた。
出会ってから一月以上経ち、バレンタインが過ぎた頃だったろうか。
私はふと、ブログをチェックすると言うことを思いついた。
彼のアメーバブログに何が書かれているか、見に行ったのだ。
だが、そこには何もなかった。
プロフも書かれてない。
ゲームしかやっていないんだな、と思った。
その後、今度は好奇心から、彼のリア友さんのブログを見てみた。
やはりブログは書かれていなかったが、プロフは書かれていた。
女性で、主婦で、夫と一緒にピグライフをしているとのことだった。
「なるほど・・・」
彼が言うリア友さんとは、彼の奥さんだと言うことだ。
これから、どうしたものか、考える。
実はちょっと、まずい気がすることが、少々あったのだ。
と言うのは、私はゲームの私設サークルに入っていたのだが、そこの会長と仲が良かった。
付き合いがかなり長かったし、その間にサークルメンバーがどんどんゲームをやめてゆき、残っていたのは会長と私だけだった。
学校の部活で、最後に残った古参二人、みたいな関係だ。
ある時、薔薇男と会長が私の庭で鉢合わせしたことがあった。
私は紹介し、会長は普通に挨拶したが、薔薇男は話そうとしなかった。
そして会長が去った後、薔薇男が妙なことを言ってきたのだ。
「あの男は誰だ?! どう言う関係だ?!」
「サークルに入ってるんだけど、そこの会長だよ?」
「それだけじゃないだろ? 随分親しそうだったじゃないか!」
「普通に友達だけど? 彼とは付き合い長いからねぇ」
「あの男と付き合ってるのか?!」
「・・・いや、あのさ、彼は中学2年生だよ」
「君はそんな若い男が好きなのか?!」
はぁあああ?
なんじゃ、そりゃ・・・。
だが、その直後、薔薇男は平静になり、私が悪い男に騙されていないか心配しただけだ、騙されて泣いた女の子の友達が以前いたとか何とか言い訳し、私も深く気にせず、すぐに忘れたのだった。
そして、当時の私は考えが甘かった。
きちんと奥さんを紹介してもらい、奥さんとも仲良くすれば、彼との関係も上手くゆく、などと考えたのだ。
私は翌日、さっそく彼に、奥さんのプロフを見たことなどありのままに話し
、奥さんを紹介して欲しいと頼んだ。
だが彼は話をそらしてばかりで、既婚者であること自体を認めようとはしなかった。
それでも、話してくれたこともあった。
彼が言うには、私はリア友さん(奥さん)とよく似ているそうだ。
だから心配になるとのことだった。
それを聞いて、私はこう考えた。
「似ていると言うことは、私は奥さんとも気が合うのでは? きっと良い友達になれそうな気がする。もしかしたら、彼よりも奥さんの方が、親しくなれるのでは?」
私は、寂しかった。
だから友達が欲しかった。
気が合う人なら、誰でも良かった。
そして、恋愛とは関わり合いになりたくないと思っていた。
辛い過去を忘れるために、庭ゲームをやっていた。
人間は、自分の都合の良いように、物事を考えるものだ。
私は、時間をかければそのうち奥さんを紹介してもらえると安易に考えたのだ。
だが、その後、事態は悪化することになる。
4月になっていた。
ある時、薔薇男が、私のアバターに意見してきた。
「何だ、その恰好は? そんな服装をしていたら、おかしな男たちが君に興味を持つに決まってる! すぐに着替えるんだ!」
これは、アバターの服装の話だ。
ピグのアバターは、2頭身キャラだ。
当然、唆る服装なんて存在しない。
しかし、それ以前に、そもそも彼には私のアバターに口出しする権利など一切ないはずだ。
「僕の言う通りにするんだ! そうしないと、もう水を撒かないぞ!」
水はどうでも良かったが、揉めたくないので、私は言う通りにした。
「うんうん、やっぱり君にはそう言う服の方がいいよ! これからも僕が君を守ってあげるからね!」
私はもう、彼の言葉を聞いていなかった。
そしてこの時から、私は彼を避けるようになった。
自分の庭にいると彼がやってくるので、作業時以外は、ゲーム内の街へ出て過ごした。
港町のベンチに独り座り、考える。
いつの間にか、とんでもないことになってしまった。
これでは、まるで愛人じゃないか。
私は、彼に囲われているのだ。
それも、『ゲーム内の水』と引き換えにだ!
私は泣いた。
良い友達だと信じていたのに、こんなことになり、絶望した。
水を対価に身売りした状態なのが、惨めだった。
そして私は、抵抗できそうにないと思った。
揉めるのが怖かったし、何と言えばいいのかもわからなかったからだ。
だからこのまま諦めて、彼の言いなりで過ごすしかないと思った。
これからは自由のない生活が続くと思うと、悲しかった。
「幸せになりたくて、このゲームしてたのに・・・」
完全に追い詰められた気分だった。
けれど、私の心の声が、そっと囁く。
「不幸中の幸いは、これは全部ゲームの中のことってことだよ。諦めず、幸せになる方法を考えようよ」
何とかして、以前のような、良い友達に戻れないものかと考えた。
数日後、私は『LIFE311』と言うゲーム内エリアにいた。
そこでは音楽家の坂本龍一さんが、杉の苗木を販売していた。
戦場のメリークリスマスや energy flow を自由に聴くことができ、ゲーム内で最高の憩いの場となっていた。
さらに、そのエリアのクローンは数百あったため、貸切状態で利用できた。
どんな成り行きでそうなったのかは忘れたが、私はそのコラボエリアで、あるピグともに話を聞いてもらうことになった。
彼女は20歳で、キャバ嬢だと言う。
この職はかなり長いそうで、だから若いが人生経験が豊富だと言い、悩みがあるなら聞くと言ってくれた。
彼女とは知り合ったばかりで、付き合いは浅い。
私が現状を打ち明けると、彼女はサバサバと言った。
「なんだ、そんなの簡単じゃん。そんな男、縁切って、ブロックすればいいよ。それで解決」
「できれば縁を切りたくないから、悩んでるんだよ。最初はさ、とても楽しかったんだ」
「え? じゃあ、彼のこと好きなの? だったら今まで通り、仲良くすればいいじゃん! ああ、奥さんのことは気にしなくていいよ。ゲームの中で何しようと、そんなの不倫に入らないし」
何だか話の方向が違っている。
私は彼女に、私は恋愛する気はないこと、だけど彼とはずっと友達でいたいこと、だから恋愛とは関係のない親友になりたいことを話した。
すると彼女は、呆れたように返してきた。
「ねえ、あなた、いくつなの? いくつだとしても、あたしよりは絶対年上よね? いい歳した大人が、何バカなこと言ってるの? 何もわかってないわね」
聞き覚えのある言葉だった。
私はそれまでの人生で、似たようなことを、いろんな人から何度も言われた。
だから、彼女が言うことは正しいのだろうと思ったが、その意味はよく理解できなかった。
そんな私に、彼女は説明を続ける。
「男と女が、ただの良い友達になんて、なれるわけないでしょ! 必ず色恋は絡むし、それ以外ないわよ」
「でも、ゲームの中だよ? それに彼は既婚者だし・・・奥さんがいるなら、他の女性は恋愛対象にならないんじゃ?」
私はこの瞬間まで、本気でそう信じてた。
「ああ、もう本当に、わかってないわね! 男にとって女は、恋愛対象でしかないわ! 既婚とか、ゲーム内とか、関係ない!」
ショックだった。
「だから、あなたが選択できる道は、二つしかないわ。このまま彼と恋愛関係になるか、縁を切るかよ。切りたくないと思うなら、好きってことなんだから、付き合えばいいじゃない?」
「でも、それじゃあ、奥さんがかわいそうだよ・・・絶対、傷つく」
「もう、何言ってるの? 奥さんの気持は考えなくていいのよ。あなたの気持を優先しなよ」
そして20歳の彼女は、おそらく私の心を軽くする目的で、こんなことを話した。
「この仕事やってるとね、お客さんと恋愛関係になるのは、よくあることなの。大抵、相手は既婚者よ。けど、好きなら関係ないと思うわ。相手の家庭を壊さなきゃいいのよ。恋は短くて、奥さんに知られる前に、自然消滅で終わるわ。どうせ終わるんだから、相手が会いに来るうちは、会って幸せを味わえばいいじゃない?」
私には、理解できなかった。
終わるとわかっているなら、私ならすぐに終わりにする。
または最初から恋愛関係にはならない。
だってさ、ただの知り合いでいれば、ずっと会えると言うなら、その方がいいじゃないか。
それにさ、やっぱり、絶対ダメだと思うんだ。
なぜってさ、
「彼は15アカウントで水撒きに来るんだけど、そのうち12が奥さんのアカウントらしいんだ。だから私は、奥さんから水をもらってるようなものなんだよ。なのにその奥さんを傷つけるって、人として間違ってると思う。それに、本当に彼が私と恋愛したいなら、まず自分で作ったサブで水撒きに来るのが筋だよ」
心の中のモヤモヤを、つい、そのまま話してしまったのだが、20歳の彼女は混乱した様子だった。
「ごめん、あたしには、あなたが何考えてるか、わかんない。結局、彼のこと好きなのかどうかも、はっきりしないし。あなたみたいな人、初めて」
自分が異端者だと言う自覚はあった。
そして、20歳の彼女は、普通の人なのだと思う。
ただ、私には彼女が、どこか別世界の人に見えた。
彼女だけじゃない。
大多数の人が、こんな風に、理解し合えない部分が多い。
だからこそ、気が合っていた薔薇男は、私にとって貴重で、失いたくない存在だった。
「でもね、これだけは念を押しておくわ。彼とただの良い友達になるのは、絶対に無理よ。だって彼は、あなたと恋愛関係になろうとしてるんだもの。後は自分で考えてね」
私は彼女にお礼を言った。
理解はし合えないが、友情は感じた。
それからさらに数日後、悩み疲れた私は、庭ゲームではなくアメーバピグの方で過ごしていた。
何かイベントに参加しようと思い、リストを見る。
すべて一般ユーザーが独自に開催するもので、『放置イベント』、『喧嘩イベント』、『主の彼女募集』、『ギフトください』など、様々な催しが開かれていた。
その中に、『悩み相談』と言うイベントがあり、私は行ってみることにした。
入室すると、小さな部屋に、女性が一人、椅子に座っていた。
「相談ですか~?」
声をかけられ、私は頷く。
「遠慮なく、話してね!」
そこで私は思い出した。
稀に悪質なユーザーがいて、相談内容をすべて撮影し、ブログに載せて、
笑いものにすることがあるらしい。
気になったので、私は彼女のブログをチェックした。
すると、そう言う問題はないことがわかったが、当時のアメブロは生年月日が表示されており、それが私の目に入った。
彼女は10歳だった。
「えっと・・・、小学生?」
「そうだよ~。でも、大丈夫だよ! ちゃんと聞くよ!」
どうしたものか・・・。
どう考えても、不倫だの囲われ愛人だのって話を小学生に相談するのは無理がある。
普通に考えて、この場合、黙って去るべきだ。
けれど、相手が子供だからと帰るのは失礼だし、少女は傷つくだろう。
もう来てしまったのだから、とにかく話してみては?
・・・そうだ、小学生が理解できるように話せばいい。
「あのですね」
「うんうん」
「悩みと言うのは・・・」
「うんうん」
「彼氏でもない男が、彼氏ヅラするんです!」
一言で言えば、こう言うことだ。
「なるほど~。それ、ピグの話? 相手はピグとも?」
「はい」
「そしたらね、まず」
「うんうん」
「ピグとも消す!」
「え?! いきなり?!」
「ダメ?」
「いきなり消すのはちょっと・・・」
縁は切りたくないんです、とは言えなかった。
「そしたらね」
「うんうん」
「私、彼氏いるから!って言う!」
「・・・いないことはバレてます」
たとえバレてなかったとしても、私からそれを言い出すのは妙だ。
「そしたらね」
「うんうん」
「私、好きな人できたから!って言う!」
「それは・・・」
「ダメ?」
間違いなく、火に油だ。
「えっとですね、できれば、嘘は吐きたくないんですよ・・・」
「そっか~。そうだよね。嘘はイヤだよね」
「はい」
「う~ん、むずかしいね」
「はい・・・」
私たちは沈黙した。
けれど、私は何だか、とても気が楽になっていた。
軽くなった心に、答えは自然と浮かんだ。
「私、わかりました。結局、良い方法なんて、ないんですよね」
この時、私は、執着を手放したのだ。
薔薇男との付き合いが終わるなら、それを受け入れようと思った。
これ以上、しがみついても、楽しかった頃には戻れないのだと悟った。
その時だ。
「何も役に立てなくて、ごめんなさい!」
私には、彼女のその言葉が、悲痛な叫びに聞こえた。
少女が泣いているのではないかと思った。
慌てて、「そんなことないよ、とても助かったんだよ」と、全力でタイピングする。
こう言う時は、0.1秒でも速くないとダメだから、必死で文字を打った。
そして、これは彼女に直接言えないから、心の中で話した。
『大人になるとね、こんな風に、親身に真剣に話を聞いてもらえることなんて、滅多にないんだ。大抵皆、人の話なんてあまり聞いていない。それに、助言通りにしないと怒られたりするんだ。ちゃんと話を聞いてもらうには、お金を払うのが、大人の世界なんだよ。そんな世界で生きる私の話を、無償で本気で聞いてくれて、本当にどうもありがとう』
私は少女に、深く感謝した。
彼女は、もう時間だからと言って、そのまま落ちていった。
私は彼女の名前は憶えなかったし、もう二度と会えないとわかっていた。
あと1週間程度で、アメーバピグは15歳未満の利用を規制することが決まっていたからだ。
今後はピグ内で子供と出会うことはなくなる。
だからこれが最後の機会で、私はギリギリこの規制前に、経験することができたのだ。
おそらく、この世で最も優秀なカウンセラーは、子供だ。
彼らは答えを教えてくれるわけではない。
ただ、彼らと話せば、自分で解決できるようになる。
私は薔薇男と縁を切ると決めた。
もう、迷いはなかった。
その直後に、彼からメッセージが送られてきた。
最近会えないけど、避けられてる気がする、24時間以内に連絡を寄こさなければ水を撒くのを止めるし、ピグともを消すと書かれていた。
要するに、脅迫状だった。
私は、何と返事すべきか一瞬考えたが、次の瞬間、返事は書かないと決めた。
書きたくないからだ。
それまでの私なら、社会のルールだの、大人としての礼儀だの、人としての義務だのを理由に、無理にでも返信はしただろう。
だが、そんなのは、もうやりたくなかった。
それきり彼は水を撒きに来なくなったし、2日後にはピグともから消えていた。
それを見て、私は心底、ほっとした。
やっと終わったと思った。
終わってみると、何でもないことだった。
結局揉めるようなことはなく、あっけなかった。
私は彼がいなくなって寂しいとは少しも思わなかったし、もっと早く縁を切れば良かったとさえ思った。
だがすぐに、その薔薇男が、再び足跡をつけてきた。
嬉しいとも怖いとも思わなかった。
何の感情も湧かず、バカバカしいので相手にしなかった。
彼は駆け引きでピグともを消したのだろうが、消された瞬間に義務も消滅したため、私はそれきり彼のことは忘れたのだ。
そして、私の庭に、新しい男が現れた。
老けた見た目のアバターだったが、中身は会長だった。
「これ、サブです。年齢は30歳にしてあります(笑)」
規制後は、15歳未満は自分の庭から出れず、誰とも交流できなくなる。
彼は、サブで続けると決めたのだ。
だから私は、彼のサブをピグともに登録した。
ここまで、当時のことをそのまま書いたが、ここからは今現在の私が思うことを少し書こう。
あの頃の私は、年中悩んでばかりで、悩みの原因はすべて人間関係だった。
当時は、自身がLGBTQだと気づいてなくて、そのために苦しんだ。
私は性のことで悩んだことは一度もない。
ただ、精神的に性成熟してない人間と言うのは、異性に対して警戒心を持たない。
親友と恋人が同じようなもので、その差がよくわからなかった。
だから頻繁に誤解を招いた。
そして大人に成り切れないので、未成年のように抵抗力がなく、支配されやすかった。
利用されてばかりだった。
後から振り返って、良い関係だったと思える人の多くは、当時未成年だった人たちだ。
そしてそのことでも悩んだ。
大人に馴染めない自分を、異常だと思ったが、どうしてもついてゆけなかった。
けれども今は、その辺はもう研究し尽くして、すべて納得していて、すっかり整理されている。
私は、あの相談員の少女を、決して忘れないだろう。
私が「嘘を吐きたくない」と言った際、彼女は「そうだよね。イヤだよね」と返してくれた。
「そこは妥協するしかない」とか、「お気持は理解できますが割り切るしかありません」なんて言わなかった。
「嘘を吐きたくない」と思うことを、許してくれたのだ。
人としての自然な心を、肯定してくれたのだ。
社会にとって都合の良い道具になることを、強制しないでくれたのだ。
あの少女は、私を、呪いから解放してくれたのだ。