過去の全てを肯定するだけで、今とても幸せに暮らせている。
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「ゆえに自己を見るとは愛を見ることだ。 愛そのもので〈在る〉ことだ。 世界の全て、あらゆるものが愛によって生きている。 『好き』の延長にあるものが『愛』なのではない。 むしろ、『愛』の影が『好き』なのである。 なぜなら、真の意味において、愛とは根本原因であり、 いかなる結果もまた愛なのだから。 〈在る〉が全ての全てであるように、愛もまた全ての全てなのだ。 愛とは生命そのものであり、愛とは〈在る〉そのものなのだ。」
—『“それ”は在る』─ヘルメス・J・シャンブ
わたしは、ヒトは誰しもがトラウマや秘密をもっていると思っている。
それは─「だれにもいわず墓場まで持っていくつもりだ」というヒトもいるだろう。
じぶんの中で消化できるヒトもいれば、ヒトをだましているようで逆に苦しくなってしまうヒトもいるだろう。
前者は、ヒトには表と裏の顔があることを本当の意味で理解できているのかもしれない。後者は裏の顔があることを知っていながら、自分自身がそれを認められない故に他者にそれを 認めてほしい 、そんな私でも 受け入れてほしい という承認欲求であるのかもしれない。
わたしには、長年抱えているものがあります。
それはトラウマや後悔はもちろんあるが、人のために言わないでいたほうがいいとおもうがための秘密でもあります。
わたしは、心のことを学ぶまでは、どんなこと(仕事内容)をしてようが人の心(本質)は変わらないと信じたかったヒトです。
だからいまの社会の常識や幸せの定義に耐えることができませんでした。
人を表面でしか見ないヒトや、学歴や経歴で判断するようなヒトを心の中で敵としてみていました。
でもそれって実はわたし自身が、
─変わることを恐れていたから─
よく「 お金を持つとヒトは変わる 」「 権力を持つとヒトは変わる 」というが、ヒトは人の変化を受け容れられないとき、そこには嫉妬や劣等感があるとおもう。
本人たちは気づいていないかもしれない・・・
よく女性同士の会話で「 〜ちゃんって最近変わったよね 」とその子のいない場で噂話をしているときは、いい意味ではない場合が多いような気がする。
わたしも、表立っていうことはなくても、心の中では人を味方か敵かで判断したり、自分自身に厳しくしている部分を、人がしているのをみると「 うわー人としてどうなの? 」とか思っていたりしたのだから。
なんという都合のいい話だ。
でも人は生まれてきてから、常識やルール・反社会的な面に対して「 嫌うのが普通である 」と教えられてきたと思います。
だからわたし自身、噂されるのを避けたかった。
だけど人は変わるものだ。
噂話をする女性たちだって、情報に触れ、
だれかと関わっていたら、みため環境どうこう変わっているはずなんだ。
だけどもこうとも考られる。
本当のところ、ものの見方、価値観、
その人にとっての正義は変わっていないのかもしれない。
というか、常にテレビや情報から
当たり前とインプットされ、それが常識になっているから。
矛盾しているみたいだけど
その時々で陰陽・光と影・善悪の
バランスの比率が違うだけなのかもしれない。
と、心のことを学んでいくうちに思うようになりました。
だから今回書いてみようと思いました。
だけど、書いたからって
自分が すっきり するかというと必ずしもそうではないと思っています。
逆に、後悔しているじぶんも想像できるから。
それでも、いろいろな人が過去を打ち明けたり
乗り越えてきた はなし を見たり聞いたりしていくうちに、わたしも同じように 打ち明けたい と思っていました。
きっと「 受け入れてほしい 」
わたしの 本心 がそこにはあります。
だれか ひとり でもいいから、
受け入れてほしい と思っているんです。
わたしが勇気をもらえたように
・人に言えない秘密がある
・過去のトラウマを浄化したい
・自分を解放したい
・偽りの自分は卒業したい
と、同じように苦しんでいる人がいたら、その人へ響けばいいなって思っています。そんな方が ひとり もいたらわたしも救われます。
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