吃音とわたし
僕は言葉が
うまく言えない
はじめの音でつっかえてしまう
大事なことを
言おうとすると
こここ言葉が
のののどにつまる
これはハンバートハンバートの「ぼくのお日さま」
という「吃音」を持つ人の曲です。
初めて聴いた時のあの不思議な感覚を覚えています。
わたしは幼い頃から吃音を持っています。
人によって様々ですがわたしの場合、日常の中で吃音が出ることはあまり多くありません。
自分から言わなければきっと他人には知られることはないと思います。
だからこそ吃音の辛さは当事者にしかわからないことだと思っていたけれど、歌にして寄り添ってくれることってあるんだと思って嬉しくなった。
おふたりが吃音を知って歌にしてくれたことが嬉しかった。
はじめの音を繰り返してしまったり言いたい言葉がうまく出てこなくなります。
その時の状況によってですが「吃音が出るかも」と思うと吃ることが多いです。
小学校の頃は「ことばの教室」に通っていました。
おばさん先生と一対一でことばを言ったり、遊んだりする時間でした。
意味はあったのかな?と今は思います。
不思議なことに仲良くなると吃りは出ないし、ただただ遊んでいたように思います。
学生の頃は音読の時間が苦手でした。
文字がありその通りに読むことは吃音が出やすくなります。
吃ったこともあったと思いますが、なるべく吃らないように工夫して隠して過ごしていたと思います。
高校では野球部のマネージャーをしていました。
アナウンスをやりたかったのですが、どうしても言いたい言葉が出てこなかったり試合の妨げになることがあったので途中で諦めました。
もちろんやりたかった。
でもできなかった。
悔しかったな。
同じマネージャーに吃音をふざけながらいじられて、本気で怒ってしまったこともある。
短大に入り保育の勉強をしました。
言葉や障害児保育の勉強をする中で吃音に出会いました。
それまで吃音という言葉を知らなかったし、自分の症状に名前がついていることに安心した。
わたしひとりだけじゃないんだって思ったと同時に、今自分が抱えていることは結構重いものなんじゃないかって思った。
学校では吃音は親に甘えられてなかったり、親子関係が良好ではないと出ることがあると学んだ。
確かに家では夫婦喧嘩が絶えなかったし、よく怒られていた。
妹が生まれた時に親に甘えられなかった記憶だってある。
今考えても辛かった。
保育の勉強をすればするほど、自分の育った環境が良くないことを知らされる。
その時は親を責めたい気持ちもあったしわたしは悪くないって思っていたから、一度だけ母に言ったことがある。
「いつも言葉が詰まったりして嫌なんだよね」と笑いながら言ってみた。
すると母は「全然気にならないよ」って言った。
そういうことじゃない。
もしわたしが吃音になった理由を調べていたとしたのなら、ごめんねって言ってくれるんじゃないかと思ってた。
期待していた言葉は返ってこないまま、吃音の話はあれからしていない。
社会人になった今でも不便なことは多いです。
会話はもちろんですが、絵本の読み聞かせや電話対応で吃音が出ることがあります。
悩まされることは少なくなりましたが、やっぱり吃音がない方が楽だと思います。
吃音はどうしても生きづらさには繋がります。
でも吃音を持っているからこそ最初に話したハンバートハンバートの曲を誰よりも愛せている気がするし、同じ吃音を持つ方の気持ちに寄り添うことができる。
わたしは少し前から吃音の人を助けたり寄り添ったりできる仕事がしたいと思い始めました。
わたしを救ってくれたこの曲のように、人の辛さに寄り添ってその辛さが少しでも減らせるのなら、そのお手伝いがしたいと思う。
またいつか親にこの気持ちも伝えたいと思う。
あの頃みたいに責めたい気持ちじゃなくて、吃音だから同じような人たちに寄り添うことができてるよっていうことを伝えられたらいいな。
吃音とわたし。
共に、まだまだこれから成長していける気がする。