コーフィティビティー、そして雑音の効果について。
ニューヨークのアパートは、ジャックハンマーの音や、クラクションの音、誰かの大声で話す声、オペラの歌声(誰かが部屋で練習している)、すぐそばにある医療センターに出入りする救急車のサイレンなどいつも音にあふれている。
春になるとそこに加わる鳥の鳴き声も、悠長に耳を傾けたくなる長閑なさえずりというよりは、窓のへりにとまり、親の仇!と言わんばかりに叫ぶような声、げ、ちょっと激しすぎやしませんか、と抗議したくなるような猛烈な鳴き声なのです。
というわけで決してしずかではないのに、一人で家にいながら仕事をしようとすると、その無人空間の醸し出す「しずけさ」、緊張感ゼロの緩みきった空気に、どうもタスクイニシエーション=「よし、やるか!と仕事を始める時の最初の一歩」がなかなかうまく出せないのが最大の問題。
それで時々近くのカフェに行き(コロナ以前のことです)、いわゆる図書館効果、周囲の人の気配を背中に感じながら、私仕事バリバリ頑張ってます!とさりげなく見せびらかすというモチベ―チョンによって仕事をはかどらせる、ということをしていたのですが、
そのカフェである日、カプチーノを作る時にミルクを泡立てるスチームパイプ、あれをその下にある水受けのプラスチック容器に満たされた濁った水色の液体にしっかり浸かっていた雑巾のような布で、しかもそれを絞りもせずにぽたぽたと濁った液体を滴らせつつ、ごしごしと拭ってから使っているのを見てしまったのです。(拭った後に綺麗な布で拭きとるなどもせず。)
あれは、あの水色の液体は、いかにも洗剤のように見えるあの液体は、
一体何なんでしょう??
カフェ界の新常識?
ミルクラインクリーナーの原液よりももうちょっと濃い水色ですよ?
毎回その布を使っては液体に戻しまた使う、というのを繰り返し、遂に私のカプチーノが作られる番になり、濁りを増し続けるその水色の液体から取り出した雑巾でスチームパイプをごしごし、パイプから滴る濁った水もそのまま私のミルクの中へとイン。おいおいおいおい、大丈夫なのか、これ。
この水色の濁った液体こそがスチームパイプを清潔に保つための新技術なんですよ、と言われても(絶対違うと思うけど!)、なんか厭。
というわけで、その水色液体事件以来、カフェ仕事を避けるようになってしまいました。何か一つ汚いと何もかも汚いんじゃないかと思ってしまうこの心理。
とはいっても無人空間の家にいては、ついついだらけてしまう、または家事ばかりをして仕事をしない。自分のタスクイニシエーション力の低さに苦しむ日々。家の近くに図書館もないし、どうしたものか。
そんな折、勤務先の大学主催の、不安症の子どもとのセラピーセッションに関するセミナーで紹介されていたのが、Coffitivityというアプリ(無料です)。
このアプリ、とってもシンプルにカフェの音をひたすら再現し続けるというもの。食器のカチャカチャやたくさんの人が同時にバックグランドで話す声の塊(話している内容は聞き取れない程度にざわざわとした音のみ)が再現されている。
色々なカフェの種類を選べ、朝のカフェ、ランチラウンジ、キャンパスカフェ、有料のものだとパリのカフェから、なんとテキサス・ティーハウスまで!はたしてテキサス・ティーハウスで仕事をしたいかどうかは別として。
不安症の人は、静かな部屋でセラピストと二人きりという環境では不安が助長され、セラピーの効果が出にくいということで、このようなアプリを使うことで、随分不安も軽減され集中力も高まるという話(テキサス・ティーハウスでもそうなのかどうかは別として。しつこいですが。)。
なるほど、これなら音によって私の脳をだますことで、カフェ効果を自宅でも、というのも可能かもしれない。と早速試してみると、これが効果あり。あるんです。本当です。(コーフィティビティーからびた一文もらってません。)
そもそもこのコーフィティビティーというアプリ、シカゴ大学の研究者が発表したambient noise(雑音)の研究結果に基づいて作られたもので、特に70デシベル(リビングルームで聴く音楽、テレビ、ラジオくらいの音)が最もクリエイティビティを高めた、という結果を根拠にしているそう。
実際のカフェやレストランの雑音は、60デシベルくらいだそうですが、丁度良い雑音があった方が、完全な静けさよりも創造力が働き丁度よい集中力を発揮させるのに効果があるのだとか。逆にもっとうるさい環境でもダメ。というわけで、今ではすっかりこのアプリに頼って、家でコーヒーを飲みながら仕事をしております。
さて、前述の水色液体事件のカプチーノですが、
口をつけずに仕事をすること三時間あまり、ついに図書館効果だけでは集中力もこと切れ、カフェインの力がなければこれ以上仕事を続けられないよという段階まできて、疲弊した脳が自分の都合の良いように、もう時間たってるし、あの水色の液体成分は底の方に沈殿してるんじゃない?(していたとしてもどうかと思うが)いや沈殿していなかったとしても、一口飲んだくらいで死ぬことはないでしょう、他の人もみんな平気そうだし、これを飲むことで仕事終わらせられるなら、水色液体事件は見なかったことにして飲んじゃう価値ありかもよ、などなど自分を洗脳し始めた。
迷うこと数分。仕事はもう全く進まないし、あともう少し終わらせなければならない仕事があるのだ、と恐る恐る手を伸ばして一口。
そのカプチーノが、今まで飲んだカプチーノ中でもトップスリーに入る美味しさだったのです。とっくに冷めていたのにもかかわらず!
疲れた脳が求めていたものを与えられ、そのように錯覚してしまったのか。
それとも、もしや、あの濁った水色の液体が、美味しさの…?
世界って不思議だね。