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守り人シリーズ外伝短編「浮き籾」という言葉の鋭利さについて

宇宮7号です。普段は絵を描いたり、世界史の解説動画を作ったりしています。上橋菜穂子ファンです。

今回は、短編集『流れ行く者』収録の「浮き籾」の話をします。
「浮き籾」は、幼少期のタンダ視点で描かれた物語です。
文中の端々に、タンダの生きづらさみたいなものが垣間見えて、何度読んでも苦しくなります。折にふれ色々思うところをSNSに叫んだりしていたのですが、ちょっとそれでは我慢ならなくなったので、ここでまとめて語ろうと思います。


『流れ行く者』『夢の守り人』『天と地の守り人』のネタバレを含みますので、ご注意ください。

※以下、正式名称の省略あり
『夢の守り人』を『夢』
『天と地の守り人』を『天と地』
と呼ぶことがある

「浮き籾」という容赦のない言葉

まず、「浮き籾」という言葉の鋭利さに、読むたび心を抉られるので、ちょっとそれについて吐き出させて欲しい。

お義母さんが、よく言ってたよ。あれは浮き籾だってね。実がしっかりはいっていないから、ふらふら浮いちまう。ちゃんと実ることもない、すかすかの籾だって。

『流れ行く者』「浮き籾」1:タンダの母の台詞


村落社会に適応しない人物を評した、この「浮き籾」という言葉は、何回聞いても心にくる。
まず、その言葉のセンスが高すぎて毎度脱帽する。農民の身近な言葉でもって「役立たず」「放蕩者」の両方の意味をあわせ持つ言葉をよく思いついたものだし、あまりにも容赦のないストレートな比喩表現は殺傷力が高すぎる。
(マジで作者のセンス何?)

先の台詞は、親戚のオンザという男について、タンダに母が語ったものだ。
オンザは、農家の長男だったが、畑を兄弟に押し付けて街に出て、祭りの屋台を出したり、笛を吹いたりして遊び暮らしていたという。「踊りオンザ」と呼ばれていた陽気な男で、タンダはそんな彼に懐いていた。
けれど村の者たちは、彼を「浮き籾」として認識していたわけだ。ふらふら浮くし、実ることもないすかすかの籾。すなわち、実直に働いて嫁をもらい子を残すことをしない、役立たずの異端だと。

そしてさらに、母の言葉はこう続く。

おまえも、どっか、ふわふわしたところがあるからねぇ、人さまから、浮き籾だって言われないようにせんと。
おまえは、三男坊なんだから、お天道さまの下で汗水たらして働いて、あれはいい働き手だって言われるようにならなきゃ、いい婿入りの口もめぐってこないんだよ。

『流れ行く者』「浮き籾」1:タンダの母の台詞

うわ。
本当なんなんだ。心が重くなるわ。

タンダはこの頃から、不思議なものが見え、呪術師トロガイになついており、少し変な子どもとして認識されている。
そんな子どもにこの言葉である。
まるで重たい呪いだ。この発想が、里の普通なのだ。悪気が一切ない故に、その普通という呪いは、子から子へ受け継がれていくのだ。
結局、成長したタンダは、トロガイの弟子となり、薬草師かつ呪術師見習いとして生きることになる。そんな姿を里人たちがどう評してきたか、想像に難くない。
きっとタンダもまた、村落社会で“浮き籾”と噂されていたのだろう。

こんな容赦のない刃物のような言葉で読者の心を抉ってくる外伝「浮き籾」。絶対読んだ方が良い。
読むたびに心がずたぼろにされるけど、まあそれも醍醐味というものである。

十四、五にしか思えんよ:『夢』

タンダたち呪術師と村のものたちの複雑な関係は、本編でも垣間見ることができる。
外伝を読んでから改めて本編を見ると、色々なことが読み取れて解像度が上がる。
まずは『夢の守り人』の話をする。


『夢の守り人』は、多くの人々が不思議な花の力で夢に囚われる話だ。
タンダの姪であるカヤという少女もまた、夢に囚われ、目覚めなくなってしまう。

娘に異変がおこり困った長兄ノシルは、呪術師見習いとなっていた弟のタンダを頼る。
ノシルは38歳、カヤは14歳。
この村では、男性は20、女性は14くらいで結婚するのが普通のようで、カヤもまた、すでに嫁入りが決まっていた。

狭い村では、近所付き合いや世間体が何よりも肝要だ。
目覚めない娘の命はもちろん、目覚めないことで彼女の評判に傷がつき、嫁の貰い手が無くなったりするようなことも、ノシルは心配している。

ノシルは、ずっと村の当たり前を受け入れて生きてきた人間だ。20を超えるくらいで嫁をもらい、長男として家を支え、子をたくさんもうけて生きてきたに違いない。作中にも「人望あつい」と書かれている。
村落社会で真っ当に生きてきた彼には、タンダの生き方が理解できないのだろう、彼の言葉や態度には、タンダを蔑むような感情がたびたびあらわれる。

例えば、村落社会の厳しさを理解しない弟に苛立ち、口にしたのが以下の台詞だ。

ほんとうなら、おまえにも、かわいい娘がいる頃だろうに。山の中で、女っけもなく、呪術師やら、渡り者の女用心棒やらとつきあってるからなんだろうなぁ、いくら、えらい呪術師さまだといっても、おれにはおまえが、まだ十四、五にしか思えんよ……。

『夢の守り人』第一章2:ノシルの台詞

里の普通から外れた者への評価は、こうなのだ。
嫁取りもしないでフラフラしている者は、「十四、五くらいにしか思えない」ものなのだ。実を残すこともない、まさしく浮き籾。
長兄ノシルにとって、タンダは、幼い子供のように思えるのだ。

子供の頃は、タンダに共感して「ひどい兄だな」などと心を痛めていたが、大人になって村落社会の様相を感じとれるようになってからは、ノシルを悪だとは思えなくなり、むしろ、その誰も悪くない世界の生きづらさに心が痛むようになった。

まともに生きていないものへの蔑みは、ごく自然に彼の価値観に刻まれている。きっと、彼が特別意地悪だというわけではないのだろう。
流動的でない狭い世間は、異端を嫌う。
繰り返される普通は“正しさ”となって、小さな社会を支配する。それだけなのだ。

上橋作品はそういうところがある。誰も悪くない。
(誰も悪くないけど、ちょっと心の置き所が…)

白い目で見られる親族:『夢』

あんたらは、呪術師の親族だってことで、白い目で見られてるんだろうが、そりゃあ、あんたたちで、なんとかしてもらうしかないことだ。

『夢の守り人』第二章4:トロガイの台詞

続いて村落社会で生きる苦しみの話をしたい。
幼い頃『夢』や「浮き籾」を読んだときは、軽く読み飛ばしてしまっていたけれど、実はばっちり描かれている。
“浮き籾”がいることで、悪く言われるのは本人だけではない。家族もまた、同じような噂にさらされる。

例えば「浮き籾」で取り上げられた放蕩者、踊りオンザは、長男である。ただし、田畑を放棄してふらふらしていたので、その皺寄せは家族、特に弟にいってしまっていたようだ。
彼の弟は、オンザと仲が悪く、兄弟の縁を切ってしまっていた。

オンザは、悪意はないが愚かでものごとを引っ掻き回すタイプの人間なのだろう。勝手に家の田んぼを売り払って街に出て、金を失うなど、色々と馬鹿をやっていた。家に残った弟たちの苦労は察するに余りある。
そんな長男に対する苦言を、弟に言ってくる村人もいたようだ。あまりにも不憫である。
実際に作中でも、「オンザをきちんと埋葬しないから化けて出てきたじゃないか(大意)」と、弟が文句を言われている。

狭い村の中では、何か問題のあるものが出てきた場合、家族までその避難の的になってしまう。


タンダの兄ノシルの立場も、だから、なかなかに大変なのだろう。
家族の中に呪術師になったものがいるというのは、きっと里のなかではかなり肩身の狭いことなのだ。

もともと医者や薬草師は、不思議な存在として、畏怖されつつも遠ざけられることが多い。例えば西洋で魔女と呼ばれ迫害された人々も、そうした医術や薬術等の知識を持つ者たちだったという。

おまえは山家の呪術師にかわいがられてるってじゃないか。この薬も、おっかねぇおばさんに教えてもらったんだろ?この事情を話してよ、祟り祓いをしたほうがいいか教えてもらってこいや。

『流れ行く者』「浮き籾」2:隣家の青年の台詞

これは隣家の若者の台詞である。「おっかねぇおばさん」という言葉に、村人たちのトロガイへの評価が表れている。
(トロガイは性格的にもまあ大胆不敵で「おっかない」んだけど、きっとそういう意味ではあるまい。)

呪術師も薬草師も、村人にとっては不気味な存在なのだ。
タンダの親兄弟たちも、身内にタンダがいるせいで、何かあるたびに「あいつの弟は呪術師だから、弟に頼んで呪っているのではないか」などと疑いの目で見られたりもするのだろう。

ノシル自身が、弟タンダやその師トロガイを気味悪がっているのももちろんだが、長男として、そうした世間的な苦悩も多いに違いない。


そうした情報を読み取ってしまった以上、もうノシルたちを責めることはできない。
『天と地の守り人』で、タンダに戦に出るよう頼んだことでさえ、もう仕方のない選択だと思ってしまう。

次はその話をする。

誰を草兵に差し出すか:『天と地』

『天と地の守り人』で、新ヨゴ皇国は南の大国であるタルシュ帝国と戦になる。各村からも徴兵があり、帝国との緒戦に駆り出されることとなる。
そのとき、タンダもまた、草兵となってタラノ平野に送られる
そのいきさつを思うと、やりきれない気持ちになる。

タンダの生まれた村では、くじで草兵になるものを選んだ。そのくじに、運悪く末弟のカイザが当たってしまったのだ。
末弟は、おそらくタンダより10-11歳ほど年下で、当時は22前後だと考えられる。嫁をもらって娘が生まれたばかりなのだという。
ある夜、タンダのもとに、長兄ノシルがやってくる。
彼は「兄弟みんなからの、頼みだ」といって、青ざめた顔で切り出すのだ。

タンダがそれを断れるわけもなかった。


兄弟たちが「タンダに行ってもらおうや」(※台詞は捏造)と決めたのは、正直わかる。村にいれば、私だってそうするのが一番いいと思うだろう。
男を一人、戦に出すことは、一人ぶんの人手を失うことでもある。しかも、くじにあたった末弟は、娘が生まれたばかりときている。彼が戦に行って、怪我をしたり死んでしまったりすれば、彼の妻や娘は路頭に迷ってしまうだろう。
それよりは、村の人手にもならず、家庭も持たない変わり者の三男を差し出す方が、よっぽど良い。(村のなかの)誰も不幸にならない。

きっと親族で何度も会議を重ねたのだろう。だれだって、戦になんかいきたくない。でも、くじであたった以上、誰も出さないのは村全体の迷惑になる。誰かは出さねばならない。不毛な議論を重ねるあいだ、誰しもの頭の中に、きっと彼の姿が浮かんでいたのだろう。誰かがようやく切り出して、その時には、それに反対するものは、きっと誰もいなかったに違いない。
「タンダに行ってもらおうや」と。
そして、その瞬間、何もかもが決まったのだ。
タンダが断らないやつだということを、皆が心のどこかで分かっていて、だから、彼の名が出た瞬間に、この問題は解決したも同然なのだ。
長兄ノシルが家の代表として、言いにくいことを伝える役割を担うこととなった。彼もまた、不憫な役回りだと思う。

……と、そんな一連の流れは、作中には一言だって書かれていない(本当にただの考察と捏造なので注意してください)。けれど私には、この流れがありありと見えてしまった。台詞まで思い浮かぶほどに。
それはどうしてかというと、『夢』や『天と地』、そしてこの「浮き籾」で、村の人々の在り方が嫌というほど伝わっていたからだ。

村で畑を耕して生きる場合も、そうでない場合も、そこなりの苦労や悩みがある。
村人は、何かあった時に互いに守り合える一方で、他人からの厳しい目線に晒されながら生きていかねばならない。

・ふらふらしている「浮き籾」の評価
・普通から外れた者への軽蔑
・呪術師に対する畏怖と、その家族への疑念
・ぎりぎりの暮らしと選択

それらが全て複合しての、“兄弟みんなからの頼み”なのだ。

正直タンダは「村のことは村でなんとかしろ」と断れば良かったと思う。実際『夢』でトロガイは同じようなことを言っている。

でも、タンダにはそれができなかった
そのあたりも、読んでいて苦しくなるところだ。


きっと、あれはタンダの問題でもあると思う。タンダは親族と離れきれないのだ。

別に兄弟が都合の良い時だけ親戚面してるんではなくて(まあそんな風に悪く捉えたとしても間違いではないのだろうけど)、タンダの方が縁を切らずにいるのだ。

彼は、『夢』の頃から親族の情に弱い。トロガイのように、全てを捨ててこっちの世界に入ったわけではないので、村人との関係が近すぎる。

自分たちと村人の関わりにきちんと線引きをしないから、不要なものまで背負い混んでしまう。そのお人好しという言葉ですらで片付けられない生き方に、読者としてはまた心が重くなるのだ。



というわけで、タンダが戦に行かねばならないのはあんまりだと思うのだけれど、タンダに犠牲になってもらおうと考えた親戚の気持ちもわかってしまうので、怒りの矛先が作れない。

誰も悪くない構造からくる苦しみや問題を丁寧に描くところが上橋作品の魅力だ。でもあまりにも容赦がなさすぎて、読むたびに瀕死になる。
しかもその苦悩全部が「浮き籾」という言葉でもって象徴的に表されるものだから、もうなんなら「浮き籾」のタイトルを見るだけで苦しくなる。

恐ろしい話である。
今回言いたいことはこれに尽きる。
「浮き籾」ほんと恐ろしい。重い。

まとめ:流れ行く者の苦しみ

以上、「浮き籾」から読み取れる村落社会の生きづらさを叫んできたのですが、正直まだ言語化できていないもやもやが沢山あるので、そのうち加筆か続編作成でもするかもしれません。



『流れ行く者』は、守り人シリーズの中では割と淡々とした物語なのですが、感情の掻き乱し具合にかけては随一なので、未読の方や昔読んだきりの方は、ぜひ読んでみることをお勧めします。


ちなみに私は「ラフラ〈賭事師〉」という短編も好きです。"その人がその人である限り選べない道"の存在が静かに描写されていてこれまた冷えたような心持ちになります。

作品のリンクを置いておきますので、気になった方は読んでください。Amazonに飛びます(回し者ではない)(ただのファン)
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上橋作品についてはこのノートでも色々と語っているので、ぜひお楽しみください。

それでは
読んでいただきありがとうございました。

宇宮7号

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