「女の決闘」太宰治 〜心のなかにある事実/真実とは?〜|読書感想文 #6
最近、マインドフルネスを学んでいます。
心に浮かぶさまざまなことを、判断せず、ただ気づいていく。
いかに私は日々自分の言動に、思いに、「Judge」を下しているかが少しずつわかってくるようになりました。
判断すると、苦しい。
常に自分のなかで「あれはいい」「これはだめ」が繰り返され、あたまでっかちになって、動けなくなる。
休日に、何をしたらいいのかわからなくなって、部屋の床でうつ伏せになって、意味もなくスマホを見たり、ごろごろしたりして、気づけば夕方になる。
最近は、自分のなかに湧いてくる、いろんな思いも、ひとつひとつ大切にしてあげたい、気づいてあげたい、と思うようになりました。
そんななかで読んだ、太宰治の「女の決闘」。
森鴎外が翻訳した作品を読者といっしょに読みながら、「原作に足りないところ」を太宰が「少し補筆してゆき、いささか興味あるロマンスに組立ててみたいと思っています」という作品です。
読んだらわかりますが、「少し」どころの補筆じゃないです。
いつのまにか太宰ワールドが目の前に広がり、なかに引きずり込まれていきます。危ない。
この作品、とてもおもしろくて、書きたいことはたくさんあるのですが、特に印象的だったところを抜き出します。
人の心には、いろいろな考え、思いが浮んでは消え、浮んでは消えていく。
ネガティブな感情が生まれても、それ自体悪いことではない。
ただ、そういう感情が浮んだだけ。
それは、ただの事実である。
自分の心がすべて、ネガティブな思いでだけできているわけではない。
うれしいときもあるし、希望にあふれるときも、たまにはある。
まさにマインドフルネスで学んだことです。
そのなかから、何かを「真実」として拾い出さないといけないときがあるのなら、自分が何を選ぶのか。
わたしは、自分で「選択」して生きていけばいいのだと感じました。
小説は、心の学びになりますね。DAZAI先生。