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「津軽」太宰治 〜親孝行ってなんぞや〜|読書感想文 #5

太宰治の「津軽」の感想を5分で書く、という暴挙に出ている。
なぜこれをしているかというと、一度書いた下書きが気に入らなくて、なんかうまく書けなくてモヤモヤしていたときに、末吉さんの『発信する勇気』を読み直していたら、「5分で書く」というコツが目に留まったからだ。
そんなことを書いているうちに1分経ってしまったので、早く本題に移ろう。

「津軽」は太宰作品の中でも私が特に好きな作品だ(読んだ作品はまだ少ないけど)。
特に、乳母である「たけ」と再会した場面がいい。
太宰は たけ と会った時に、こんなことを感じたと書いてある。

まるで、もう、安心してしまっている。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に一つも思うことがなかった。もう、何がどうなってもいいんだ、というような全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持のことを言うのであろうか。もし、そうなら、私はこのとき、生れてはじめて心の平和を体験したと言ってもよい。先年なくなった私の生みの母は、気品高くおだやかな立派な母であったが、このような不思議な安堵感を私に与えてはくれなかった。世の中の母というものは、皆、その子にこのような甘い放心の憩いを与えてやっているものなのだろうか

(太宰治『津軽』角川文庫 p.196)※太字は記事作成者


ああ、わかる。わかりすぎる。
心の平和なんて、日々の生活の中でほとんど感じたことがない。
毎日何かに怯えて恐怖して、まさに「人間失格」の葉蔵状態。
そんな状態だから、たけに会って心の平和を感じられた太宰の姿に、共感して心があったかくなる。


親孝行とは何か。
「倫理」ではなく「自然な情だ」と太宰は言った。

そうだったら、これは、何をおいても親孝行をしたくなるにきまっている。そんな有難い母というものがありながら、病気になったり、なまけたりしているやつの気が知れない。親孝行は自然の情だ。倫理ではなかった

pp.196〜197


そうか、それでいいんだと腑に落ちた。
無理して自分の気持ちを偽る必要はない。
無理して感謝しなくていい。

感謝したい気持ちはあるけど、いつか心から感謝ができるようになったらよくて、それよりも今は自分自身の心を成長させて守ってあげたいし、心の平和を感じられるようになりたい。
そのほうがよっぽど先だと思う。

ここまで書いて意外と30秒余った。
「津軽」には私が好きな場面がたくさんあるから、次はほかのところも少しずつ記事にしていきたいな。

5分経ったので終わります!!

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