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「読書の態度」芥川龍之介 〜無遠慮に本を読む、無遠慮に生きる〜
おはようございます。
Xで抜粋を見かけて青空文庫で読んだのですが、芥川龍之介「読書の態度」良いですね。ぐっときました。
婦人に何ういふ書物を讀ませたらいゝかといふ事を話す前に、一體、婦人のみに讀ませるといふやうな書物があるかどうか、それを考へて見なければならない。
冒頭から冷静な分析。
おっしゃるとおりです。
成る程婦人といふ限りでは、ジヤン・ダークも、ナイチンゲールも、良婦之友の愛讀者も、共通なのには違ひない。併し、性の上の共通といふ事が、果たして、思想や感情の共通といふ事よりも、重大な影響があるかどうか疑問である。
たしかに、同じ女性だからといって重大な影響があるかは微妙ですものね。
婦人も、婦人たるより先きに、人間なのだから、書物の選擇などに拘泥せず、何んな書物でも、よく讀んでみるがよい。又、實際、現代では、どんな書物でも、讀みつゝあるのだらうと思ふ。
いまは女性とか男性とか関係なく、どんな本でも読む人は読んでいるけど、当時はどうだったんだろう?
僕は、如何なる本を讀むかといふ事よりも、寧ろ大事なのは、如何に本を讀むかといふ事では無いかと思ふ。
ほうほう。なるほど。
では、如何に讀んだらいゝかと言へば、これも、多少人に依つて違ふかも知れないが、兎に角、何者にも累らはされずに、正直な態度で讀むがいゝ。何者にもと云ふ意味は世評とか、先輩の説とか、女學校の校長の意見とか、さういふ他人の批判を云ふのである。讀者自身、面白いと思へば面白い。詰まらないと思へば詰まらない。――さういふ態度を、無遠慮に、押し進めて行くのである。さうすると、その讀者の能力次第に、必ず進歩があると思ふ。
正直な態度で臨む。
私も、他人の感想にけっこう影響されがちだからなぁ…芥川先生のいうとおり、無遠慮に推し進める訓練が必要そう。
締めの一言がスパッとして気持ちがいい。
これは、獨り讀書の上ばかりではない。何んでも、自己に腰を据ゑて掛らなければ、男でも女でも、一生、精神上の奴隷となつて死んで行く他は無いのだ。
そもそもこれは、『良婦之友』に1922(大正11)年に掲載された作品なのですね。
婦人にどういう本を読ませたらいいかという問いに、そもそもこの問い自体が成り立つのかという根本から分析し、何を読むかよりもどう読むか、そしてそれは性別に関係なく人生においても重要なことだと締めくくる。
この書き方が、なんともかっこよくて私はとても好きだなぁと思いました。
自分が感じたことに正直になること。
そうでないと何を読んだとしても、何をして生きたとしても、けっきょく他人の人生を歩むことになるんだろう。
なんだか勇気をもらいました。
いつもは寝ている朝の通勤電車で、思わずnoteを書きたくなった、芥川龍之介の「読書の態度」の読書感想文でした。