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2024/09/28
仕事をした。ほぼ毎日仕事してる。コーヒーはずっと好きだし、喫茶店も好きだから、他のあらゆる仕事をするよりいいと思うけど、少し疲れたなと思う。
給料が入ったので労働時間で割ってみたら時給換算1100円くらいだった。税金とかって高いんだなあ。
この前、意味があると思えることがしたくて小さいノートを買って、iPhoneにメモしてた好きな本の好きな言葉とかを書き写したりしていた。
「人生が思う通りになら
東京の街に出てきました。相変わらず僕は
東京に来て3年ほど経った。こんな私でも生活が続いている。
立ち退きにつき高円寺に引っ越した。
駅前のロータリー。毎夜人が集まって、ギターを弾いたりお酒を飲んだり煙草を吸ったりしている。なんでこんな混沌が許されているのか全くわからないけど、このまま規制なんてされずに、人の姿を見せ続けてほしい。あれは、人がそのまま好き勝手に生きる姿だ。愛しく思う。
ずっと喫茶店ではたらいている。続けられていること
満たされるな。死ね。
苦しんでいる人を美しいと思うようになってしまった。
かつての俺はたしかに、毎夜死にたくて仕方なかった。あれは嘘ではない。いやもしかしたら嘘?日記のあらん限りの呪詛を見る限り嘘ではなさそうだけど、俺を信用するのはよくないと思います。
しかし今はどうだろうか。良い人たちに囲まれ、好きなことをして生きていて、忙しくはあるけれど休みの日には好きな街を一人でぶらぶら歩いて喫茶店に行ったり服を買ったり古本
日記かもしれないなにか
最近は結構本を読んでいて、それで色々考えたので言葉にしてみたいと思いました。事実は小説より奇だったりそうじゃなかったりする。
以下にまとまりはないです。
嫌いな人。自分で考えていなそうな人。常識を第一にしてる人。声がでかい人。音楽を聴かなくても、本を読まなくても生きていける人。あとは自分。
いつか死ぬなということ。この人生全てに意味はないということ。そもそも「意味」なんて概念が要らなくない?
手記。あるいは遺書としての。
いずれ訪れる死のために、いつかわたしが死を選んでしまった時のために、ここに何かを書き記しておきたいと思う。これを私が死んだ後、家族や友人が見つけても見つけなくてもいい。私の意思がここに文章として残っていることが大事なのである。どこかの誰かが読んでくれるだけで、私の何かが救われるかもしれない。さようなら世界。まだ死は選ばないけど。
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まず最初に言いたいのは「あなた方にできたことなど
あなたの世界の正しさについて
おそらく、一般的な価値観についていけないあなた達なら生活の中で時折、「自分がおかしいのか?」と思うことがあるだろう。私もしょっちゅう思う。「俺はこう感じているのに、どうやら世間とやらではそれは通じないらしい」「私はこうだと思うのに、それはおかしいと言われた」
そして、自分が考えていることが認められなかったり批判されると、自分がなにかわからなくなる。俺の世界ってなんだ?
私はたとえばぐにゃっとし
意思ってそんなに意味ないんですかね。
例えば、誰かを助けたいと思いながらも傷つけてしまった人と、誰かを傷つけたいと思いながらも助けてしまった人がいたとして。
その時、どっちが正しいんだろう。善と呼べるのだろう。
私たちは見えてるものしか視えてないし聞いているものしか聴こえない。つまり自分の感じたことを感じてる。その人の行為は見えるけど、心なんて見えない。
だから誰かがあなたをとても嫌っていてもそれを感じさせなければ、あなたにとっ
依存先の分散について
俗にいう鬱状態の改善には、依存先の分散が良いと聞く。一つ折れても大丈夫なように、自分を支える柱をいくつも用意することで倒れにくくするという訳だ。わかりやすい理論だ。
どれくらいからが「たくさんの依存先」になるんだろうか。私は、音楽、少しの友人、映画、美しい文章、煙草、ツイッター、温かい飲み物、おいしいご飯、いつか行きたい場所…などに依存していると思う。これらがなくなったら困るし、自分を支えてくれ