生活はできそう?
仕事が終わり、帰り道の牛丼屋で一人牛丼を食べ、タバコを一本吸い、帰宅する。その時、僕は確実に満たされている。半年ほど前の心の大波はどこへやら、穏やかな気持ちで店を出てイヤホンをさす。
片道1時間の通勤。長いけど、まあ急ぐような人生じゃない。ゆっくり行こう。幸い、読みたい本は世界にごまんと溢れている。少しずつ読んで、音楽を聴いて、Twitterを見ていればすぐ最寄駅だ。駅から家までの時間、友達と通話する。そっちはどうだい。こっちはちょっとしんどいけど楽しいよ。自分で道を選んでいてすごいね、自分にはできない。いや、逃げただけだよ。誰にでもできることじゃない。それしか選べなかっただけだ。すごいなんて言わないでくれ。認めないでくれ。俺を、満たさないでくれ。
東京に住みたかった。椎名林檎の歌う街に、暮らしたかった。報酬は入社後平行線なのかな、東京は愛せど何もないのかな。人が一番集まる場所で生きてみたい。知らない世界が一番広がっているのはここだろう。その程度の理由だ。
喫茶店のアルバイトをしている。こんな状況だけど、人はそこそこ来る。私は世の中のことがわからない。ニュースもみないし、新聞も読まないから。でも、好きな喫茶店に好きな時にいくことが許されない世の中なんていらないと思う。忙しいなって感じる時はある。帰りたいなって。けど、ふとした瞬間、自分の立っている場所の美しさを目の当たりにする。いろんな人が来る。本を読む人、お酒とご飯を楽しむ人、何やらお仕事をしている人。何時間でもいていい。暗くて、茶色くて、コーヒーが美味しくて、ケーキが食べられて、本が置いてあって、いい音楽が鳴っている。それ以上のことなんてない。私が思い描いていた生活がここにある。
本の話を仕事先の人とした。趣味が合うので楽しい。本を読んでいてよかった。暇な時にコーヒーを飲んだり、お菓子を食べたりする。
充分だ、と店を出る時に思う。すこし、日々は寂しいけど。
生きていたいと思える場所にいられることの幸福を知っている。
繰り返すことが、誰かの穏やかな時間につながっている実感がある。
自分の好きなことをできている感覚がある。
できることが増えていく。知らないことが知っていることになっていく。知りたかったことを学べる。それを嬉しいと思う。なんて普通なんだ、と絶望する。
私は自身の満たされなさこそを愛してしまっていた。そんなのは健全ではないと知っていたが、死にたいと思わない生活の苦しみのなさは自分を不安にさせる。おかしいね。
駅で眠るホームレス。見えるのに見えないように過ぎ去る人々。私もその一人。いつかあそこに加わるかもしれない。自分がそうならない理由なんてひとつもない。ちいさな座標とタイミングの違いが人の場所を分ける。なんて理不尽なのだろうか。
生きる場所を探すことは、死ぬところを探すことと同義だ。どこで生きたいかは、どこで死にたいのかと一緒だ。
今このまま、ここでなら、生活はできそうだ。生きて、いけそうだ。
古本屋で生きる。
古本屋で死ね。
他にできることもない。
他にしたいこともない。
頁をめくる音で息をしろ。
誰かが生きた時間で己を生かせ。
誰かが死なないために、古本屋で死ね。
http://20db.hatenablog.com/entry/2020/07/22/004321
「古本屋」の部分を自分に当てはめる。それは、喫茶店、とか、珈琲屋になると思う。
あなたが死なないために、私は喫茶店で死にたい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。 あなたの心に何か残れば幸いです。