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あなたの世界の正しさについて


おそらく、一般的な価値観についていけないあなた達なら生活の中で時折、「自分がおかしいのか?」と思うことがあるだろう。私もしょっちゅう思う。「俺はこう感じているのに、どうやら世間とやらではそれは通じないらしい」「私はこうだと思うのに、それはおかしいと言われた」

そして、自分が考えていることが認められなかったり批判されると、自分がなにかわからなくなる。俺の世界ってなんだ?

私はたとえばぐにゃっとした食感がイヤで、貝とかきのこが嫌いなのだが、それはそうじゃない人には理解ができない。他人の感覚を理解することは不可能だから。

黒板をひっかく音が嫌いなのは普通なことで批判されないのに、クラシックギターの音が嫌いなのは異常か?そんなことはない。

多数派という立場に安寧して何も考えず他者を批判する行為が嫌いで仕方ない。


普通と普通じゃないを決めているのはなんだ?

それは「多数派」という概念だ。世間とも呼ばれる、私が恐れて止まないもの。

ある対象をAと感じる人とBと感じる人があった時、多い方が”普通”と呼ばれるものになる。そして少なかった方は排除されてしまう。異常と名付けられる。ああ、なんてことだ。


貴方はいつだって正しい。

みんながいいと言っているものを見ても何も感じなかった。正しい。

みんなが嫌いなものを愛している。構わない、正しい。

周りが耐えられることを貴方は耐えられなかった。正しい。


正しさとは貴方の世界である。貴方の世界とは貴方の思考である。感情である。なんらかの刺激を受けて起きた貴方の反応である。

世間が悪とする想いが芽生えたとしてもそれを恥じる必要はない。

世間が善とするものを気持ち悪いと思ったとしても、なにもおかしくはない。

よく聞く意見に全く賛同する気にならないのも何もおかしくない。

貴方が感じたことは絶対に正しいのだ。

貴方が見たことも考えたことも絶対に正しい。

”貴方が考えたこと”はいつでも100%正しいのだ。

そう、周りが言っていたことでも、親に言い聞かされてきた言葉でもどこかで読んだ本の言葉でもなく、正しいのは「貴方の考えたこと」なのだ。

「私がおかしいのだろうか?」と思うことがあるだろう。その時は思い出して欲しい。絶対におかしくなんてないということ。普通とか一般の基準は、たまたまその思考が世に多かっただけということ。少ないことは悪ではないこと。批判されることではないということ。


***


誰かを殺したいと思うこと。誰かを傷つけたいと思うこと。

それすら、正しいと思う。

「見知らぬ人を無差別に傷つけたいなんて、人として間違ってる」のだろうか?それはなぜだ?たしかに、私も痛いのはイヤだし、苦しいのもイヤだ。しかし、それをどうしようもなく欲してしまうことを否定していいのだろうか?

犯罪を肯定している訳ではないのだけど、ただ、言いたいのは「そう思ってしまう」ことを否定はできないってことだ。

そして、それを実行すること。それもおかしいのだろうか。私にはわからない。”人を殺すのはいけないこと”なのだろうか。じゃあ他の動物は殺していいのか?食べるためなら殺していいのか?目的が正当なら命を屠っていいのだろうか?

「なぜ人を殺してはいけないのか」と、長い間考えてきたがわからなかった。自分を納得させる理由が見つからなかった。

「あなたを散々痛めつけて殺したい」

「そんなこと絶対されたくない」

ああ、どちらも正しい。やはり最後は力で勝つしかないのだろうか。私にはどうしてもわからない。もちろん殺されたくないし、そんなことしないでくれと思うけれど、私が”たまたま”殺人衝動を持たない多数派だっただけで、それを否定していいのか。どうしても壊したいと思う人の気持ちは無視されるしかないのだろうか。

少数派の感性は排除されていくしかないのだろうか。わからない。

「悪」の(おそらく)極地である殺人という行為。

ニュースで殺人犯が連行されていた。私はたまたまその人ではなかっただけなのだと思う。私はたまたま殺さなかったし殺されなかった。それだけなのに。少し座標が違っただけなのに。


***


善悪なんてない。多いか少ないかだけだ。そして今の世では「多い方」に合わせて仕組みが作られている。その方が楽だから。そりゃそうだ。

少なかった人間はどうしたらいい。「常識」とやらに寒気を覚える人間はどうしたらいい。「普通に」生きるハードルの高さを理解されない人間は、どうしたらいい。生きたい人ばかりの世界で、死にたいと毎日思う人間のやるせなさはどうしたらいい。

私には、「その感覚は間違ってなんかいない」と言うことしかできない。これが根本的な解決にはならないことは知っているけれど。


***


正しさは貴方の心の中にしかない。

ここで言った全てを「訳わからんし、間違っている」と感じた人がいたら、それすらも正しいんだ。


最後まで読んでいただきありがとうございます。 あなたの心に何か残れば幸いです。