思った通りにいかないことからの学び
前からわかってはいたけど、最近改めて学んだことは、世の中自分が思ってるほど思ってる通りにいかないなあということだった。
こんなこと書くとなんか中二病とか、暗いなあとか思われそうだけど別に落ち込んでるわけでもなく元気なので安心してほしい。(小声)
初めて「あ、人生って思ったとおりにいかないのか」って思った瞬間も結構明確に覚えていて、第一志望の高校の受験に落ちたときだった。それまで自分で言うのも何だけど授業はクソ真面目にうけて、テストでもいい点数を取りたいと思っていた私は、勉強を頑張っていた。自分では頑張っている、と思ってたので、なんとなく受験は当たり前に受かるんじゃないかとその時は思っていた。
でも自分が思うよりはるかにあっさり高校受験に落ちた。
大人になった今は別にどこの高校に行こうとも自分次第だと思えるし、人生で本当に大切したいと思える友人達に出会えたので今では落ちてよかったと思うくらいだけど、その頃は地味にすごく落ち込んだことを覚えている。
あまりにもしばらく無口だったもんだから、心配したお父さんに車の中で、十分●●高校でもすごいよってなんかよくわからない励ましを受けたことも懐かしい。
それから随分時がたって、最近またふと同じ気持ちになる瞬間があった。
自分は幸せになりたくて、今よりもっと良い環境に行きたくて日々選択をするし、仕事を求めて転職した。それなのに悩みは形を変えて私の前に現れたりする。
なにか一つを改善するとなにか一つだめになるんだから嫌んなっちゃう。
でもそれと同時に思ったことは、その時は失敗した、うまく行かなかった、と思って落ち込んだことが、実はそうでもないという場合もあることに気がついた。
物事の良い悪いは人の主観によって変わるし、不安定なものだな。
新卒で就職した会社も最初はこの会社でうまくやってけるのだろうか、ブラックな会社に入っちゃったなあと思っていたけど周りが言うほど、ひどい会社じゃなかったし(ごめん)、なんなら実力主義でやる気のある人が集まっていた部分は未だに好きだなと思う。逆にあの頃いいなと思っていた会社たちは案外今はコロナの影響で厳しかったりもする。
そう思うと、まいた種、つまり努力したこと、耐えたことっていつ実になるかわからないもんだなって思った。
多分いつか今悩んでることも、何年後かわからないけど、もしその何年後かに普通に生きてたら、
あのときこれ頑張っててよかったな、って思える日が来る気がしたので、ちょっと勇気がでた。
というわけで、今の私の人生は相変わらずなんでもうちょっとこうじゃないんだろう、とおもうことが沢山あることは事実なのだけど、とりあえずいま全力で良いと思える種をまいておくことにしようと思った。
畑三面分くらい蒔いとこう。
多い方がいいはず。
収穫するの楽しみだな。