うつ病は「本が読めない」
ここを見ている方たちは、文章や、本を読むのが好きなのだと思う。
勿論、私もそうだ。
うつ病になりフリーターとして生活を始めた私は、「それ」に気が付くのが随分と遅かったかもしれない。朝起きて8時間働き、帰ってお風呂に入る…もう、ギリギリの状態で。健常者からしたら何をそんな、と思うかもしれないけれども、本当に、それだけでへとへとに疲れてしまい、後は憂鬱と不安感で泣いて眠り、だけども不眠なので眠れない…。
本を読む余裕はおろか、文章を書くなんて全く出来なかった。
「それ」に気が付いたのは休みの日。
久しぶりに本でも読もう…と本を開いた私は、とてつもないショックを受けた。
本が、読めない。
全く読めないのだ。
全く知らない言語で書いてある文書を渡された気分、と言えば近いかもしれない。文字だ、ということは認識できるのだけれども、読めない。
たとえば、「あ」は読める。「な」も読める。でも、
「あなたはとても素敵な人で私も恋してしまいそうだわ」
は、読めない。
頭の中がパンクしてしまう。
もうだめだ、と思った。本の虫で、自分も書くのがうんと好きで、私の人生に欠かせないと思っていたものが消えてしまった、と。
でもね、大丈夫。
少しだけ寛解した今、私はこれを書いている。
今日は、武者小路実篤の「友情」を久しぶりに読んだ。
武者小路実篤は祖父も大ファンで、私の母の名前に「篤」の字を入れようとしたほど。
以前に呑みかわしながらその話になって、最後の部分をお互いに暗記していて、二人で暗唱したこともある。
私はまた祖父と文学の話が出来る。本当に嬉しい。
今はとにかく本が読みたいのでこの記事を書くのは後回しにしようと思ったのだけれど、今しか書けないこともあるな、と思って書くことにした。
さあ、本が読めなかった4年間分、これから読んで読んで読みまくってやる。
何百冊だろう。楽しみで仕方がない。