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川のほとりに立つ者は
本日、川のほとりに立つ者はという本を読了しました
何も知らないんだなぁ
そうだ、なにもわかってもいないし知ってもいないんだなぁ
という思いが1番溢れてくる作品でした
私の家族
私の友人
私の弟
お仕事で関わる人達
話し方やしぐさ、行動などその他諸々をを自分の中で勝手に累計して、勝手に
こういう人なんだろうなぁ
こういうの苦手なんだろうなぁ
こういうの好きなんだろうなぁ
水面に映るゆらゆらとした人と思しきものを「その人」だと認識してしまっている
私はどこまでも知らないのです
知らなくちゃいけないわけではないです
ただ、私は他の人を生き物達を知らないことを知っていなくてはいけないと思いました
この作品は私の中にある卑しさを見つめる機会になった本です
作中で、
「できることが増えるのは、ええことかもしれんけど。あれでよかったんかな、と今でも思う。なんやろ、努力ってたしかに尊いけの、努力だけが正解なんかな。近眼の人はメガネをかける。努力して視力をあげなさいなんて誰も言わん。足怪我したら、杖使う。でもいっちゃんは『 努力』を求められる。」
とありました。
遅刻をすること
寝坊をすること
時間配分が難しいこと
忘れ物が多いこと
字が綺麗に書けないこと
その他にも、怠けているだけだろう!と言われてしまうであろうもっとそうならないための努力をしなさいと言われることがあると思います
ただ怠けているわけではない
それらを認識することができなくて、誤解をうけてしまうでしょう
これはきっと『 障害』『 病気』も含まれてくる
安易にたどり着くことが出来ない
いつだって違うことに厳しい
いつだって大抵の人ができることに厳しい
私たちは世界は自分の視点だとどれだけ知っているのでしょう
そして、どれだけ知らないのでしょう
皆様は川のほとりにた立たれたことはありますか?
川底の石たちの様々な様子に気づかれるかもしれませんね
長い文章を読んでいただきましてありがとうございました