歌を贈ろう
一体、何軒の店に、電話をかけただろう。
「……すでに予約がいっぱいです」
「……その日は、ご予約をお受けできません」
返ってくる返事は、どこも皆同じ。
お正月のレストランを予約するなら、せめて一か月前でなければ無理だ。
そうは思いつつも私は、どうしても諦めることができなくて、思いつく限りのレストランを検索しては電話し、断られ続けた。
「とりあえず、正月には帰るから……」
「……正月は、なんとか帰れると思う」
子どもたち二人の言葉に、私はそれぞれ
「うん、わかった」
と、力強く返事したのだ。
せめて、日頃食べられない特別な食事をさせてやりたくて、それなのに、どこも予約がとれなくて、私は一人、息苦しくなる。
たったそれだけのことで、酷い動悸と吐き気がして、蹲りそうなほどに気分が悪くなる。
上の子どもが深夜に電話をかけてきたのは、一週間くらい前のことだった。
「……終電が、来ない……」
と、半泣きで言う。
残業を終え何とかホームに辿り着いたら「一つ前の駅で人身事故が発生し運転を見合わせている」というアナウンスが流れたらしい。
仕事? こんな時間まで? と私が問う前に、子どもがポツリポツリと話し出した。
後輩が、あり得ないミスをして。
課の全員が、後処理に追われて。
だけど結局、どうにもならなくて。
上長はもちろん、チーフの私の責任も逃れられない。
絶対、評価下がるし。
もう、なんか、いろいろ無理。
「そんな会社、辞めちゃって、今すぐ実家に帰っておいで!」
そう言ってやるのが、あるいは正解なのかもしれない。
でも私には、そんなこと軽々しく言えない。
下の子どもから電話がかかってきたのは、つい先日のことだった。
「ちょっと熱があるけど、忙しすぎて受診できない」
と、半笑いで言う。
論文提出と学会発表。
卒業判定まで、毎日毎日追われて何もできない。
メシ食ってる時間がない。
解熱剤飲んで、乗り切るしかない。
駅まで移動する間の、たったの5分。
電話は唐突に切られて、ちっとも様子がわからない。
「ちゃんと食べて。ちゃんと寝て。病院行って……」
咽まで出かかった言葉を、私は辛うじて飲み込む。
そんなことを言われるのが、一番ウザいだろうな、て思うから。
子どもたちの痛んだ心を、どうやって包んでやったらいいのかわからない。
わからな過ぎて、ただ呆然とするばかりだ。
難しく考えなくていい。
温かくて美味しいご飯を用意するだけでいい。
そうは思うけれど、私はそれを作る自信がないのだ。
かつて一番、仲が険悪だった頃に「美味しいと思って食べたことなどない」と、吐き捨てられたからか。
あるいは随分、後になってから「高校生の頃、無理に食べてはトイレで吐いていたんだ」と、告白されたからか。
二人とも(そして夫も)大皿の料理を取り分けるのが苦手だ。どれだけ取ればいいか、わからないのだと言う。
そしてまた、同じ鍋をつつくのも苦手だ。煮えたかどうか、取り皿に取るタイミングが、わからないのだと言う。
何を作っても、駄目な気がする。
どうしても、マイナスに気持ちが傾く。
怖い。怖い。怖い。
久しぶりに子どもたちが、帰省する。
それが私には、とても嬉しくて、とても怖い。
どうしてこう、シンプルに考えられないんだろう。
カウンセラーに教えられた通り私は、私の中の「小さな私」にゆっくりと話しかける。
「怖かったね」
「怖かったね」
「怖かったね」
そうして、ゆっくりゆっくり自分を「今ここ」に連れてくる。
お店の検索も、空席確認も、電話も、やめて。
あの頃の子どもたちと、今の子どもたちは、きっと全然違う。
そしてあの頃の私と、今の私も、もちろん全然違う。
ようやく私は、大きく深く、深呼吸することができた。
大丈夫。
私は今、私なりに、子どもたちの心に寄り添おうとしている。
不十分でも一生懸命に、子どもたちの味方であろうとしている。
帰ってきたら、いっぱいいっぱい話を聞こう。
そして、一緒になって怒ったり、笑ったりしよう。
子どもたちが少しでも、元気になってくれれば嬉しい。
それぞれの場所へ送り出すことが、私の唯一の役目なのだから。