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PAIN
最近、ご縁をいただいたnoterさんのお一人であるUさん。
先日、こんな記事をアップされた。
この記事に深く心打たれて私は、長く囚われていた私の「後悔」と「不安」に思い当たった。
もう、十年以上前のことである。
それは、ある日突然、はじまった。
子どもがキレて暴れ出し
「お前のせいで俺の人生は生き地獄なんだ!」
「クソ毒親が!」
と手当たり次第に、部屋中の物を殴りつけた。
彼の中では長年、我慢に我慢を重ねていたのだろう。
私の不用意な一言が最後の一滴となり、とうとう溢れ出し爆発した、必然の瞬間だったのかもしれない。
けれども私には、何が起こっているのか咄嗟に理解できないほど、まったく自覚がなかった。
過去に何度も記事にしているので詳述しないが、私は機能不全家庭で生まれ育った。
だからこそ、自分の力で人生を再構築しようと、懸命に子育てしてきたつもりだった。そうしてそれは、多少のでこぼこはありつつも、総じてうまくいっていると、私は信じ込んでいたのだ。
この日から、私の「後悔」と「不安」だけの日々がはじまった。
あの時、ああすれば。
あの日の、あれが間違いだったかも。
あの頃、こんなことがわかっていたら。
考えても仕方ないことを考え続ける。
時を戻すことはできないし、粉々に砕け散った関係性を、元通りに復元することは不可能なのに。
もう一生、憎まれ続けるんだろうか。
この子はこれから先、どうなってしまうんだろう。
もしかすると、死んでしまうんじゃないか。
答えが出るはずもないのに考え続ける。
これから先のことなんてわからないし、訪れてもいない不幸な将来を、どれほど案じても無意味なのに。
その後、何度目かの医療に繋がり、私は私の「過剰な後悔」と「過剰な不安」の正体を知ることになる。
それは「大切なものを失ってしまう恐怖」だった。
ほんの幼い頃から、母が死んでしまうのではないか、と怯えて生きてきたこと。
母が病気になったのはお前のせいだ!と刷り込まれて背負い込んだ、不適切な罪悪感と後悔。
それらはやがて、私の人生そのものを蝕んでいった。
私の子育てにおいて、過不足があったことも、誤りだったことも、たくさんあっただろう。その結果、子どもたちを傷付け、取り返しのつかない痛みを負わせてしまったことも、きっと事実だ。
私は、何度も話を聞き、思いに耳を傾け、直接、心を込めて謝罪した。
そうするうちに、少しずつ、少しずつ、言葉と言葉、心と心とが繋がりはじめた。
そうして私の「過剰な後悔」はゆっくりと「適切な反省」に変わっていった。
子どもの将来が、不安で不安で、居ても立ってもいられない時が、今でもある。ASDやADHDと共に生きていく以上、もしかすると子どもが不幸になるかもしれないし、辛いことや悲しいことだって、きっと起こるだろう。
けれどもそれは、たとえ親であろうとも、本人以外の誰にも替わってやれることではない。
私にできるのは、子どもたちを信じて見守ることだけ。そうして困った時に、いつでも帰ってこれる場所を用意するくらいなのだ。
私の「過剰な不安」は、まだ「適切な心配」に変わったとは言えない。
今も少しずつ自分に言い聞かせながら、信じるという課題に取り組んでいるところだ。
「毒親」という言葉は、ひところほどには聞かれなくなった。
私は、私の両親を「毒親」だとはどうしても思えないけれど、この言葉を知って救われた人も、少なからずいるだろう。
ただし、苦しんだ子どもの側にだけ焦点が当てられ、言われる親の側が同情されることは少ない。
本当は、親の側にこそ、気付いて省みることが必要なのに。どんな「毒親」にだって、そうなった原因がきっとあるのだから。
私たち親子は少しずつ、笑顔で話すことができるようになってきた。帰省の機会も増えた。
「今、ここ」こそが大事だと、私はもう知っている。
「毒」だって、適切に少量、用いれば「薬」にもなるんだよ。
なんて、冗談でも、言えるほど、まだ親子の傷は回復していないけれど。
二度と立てぬ 痛手なのに
受け入れてく 不思議だ人は
追いつけない この悲しみ 後に残して
今日も 明日も
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![うみのちえ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56251769/profile_347f8586d50b52d58e52ce0211294f0c.png?width=600&crop=1:1,smart)