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㉒何の責任もないことで、罪を背負って生きてきた。

実家を、片付けなければならなくなった。

祖父母の物も、両親の物も、戻って暮らしていた長姉の物も、とにかくものすごい量の荷物が、無秩序に、不衛生に、ただ詰め込まれ、手付かずで放置されていた実家。

私がこの家を出てから、30年近い年月が過ぎていた。

カビと埃と害虫被害で、大半の物は捨てるしかなく、ただひたすら、市のルールに従って分別し、ゴミ処理場へと運び出す作業を繰り返していた。

そんなある日、不意に私は、見覚えのある物を見つけた。

それは、何十年も前の母の日に、私が贈ったバッグだった。

白い本革の紐をメッシュに編み込んだ夏らしいデザインで、ゴールドのチェーンが華やかな真っ白なバッグ。それは箱に入ったままの状態で、荷物の奥の奥から出てきた。一度も使った形跡はなかった。

あの日、受け取った母の表情を、私は今でも思い出せる。少し困ったような、はにかんだような、それでも嬉しそうな表情に、私には見えた。

母が一度も使わなかったのは、バッグそのものをあまり気に入らなかったからなのか、それとも嬉しくてもったいなかったからなのか。
今はもう知る術はない。胸の奥がきゅっと痛んだ。

物心ついた頃から「あんたのせいで、お母さんは病気になった!」と、言われ続けてきた。

確かに、私が幼いころの母は、重い喘息の発作を起こして臥せっているか、瞳に狂気を宿して奇怪な言動をするか、そのどちらかだったし、その契機となったのは、命懸けで産んだ第三子が、またしても女だったからなのだろう。

「あんたのせいで⋯⋯」は長い間、私に重くのしかかり、無意識下の罪悪感となって、心の奥深くに棲みついていた。

だから、母が亡くなった時、「あんたのせいで(あんたの不始末を謝りに行った、その心労のせいで)お母さんは亡くなったのだ!」と、無茶苦茶なことを言われた時も、バカみたいにすんなりと納得してしまったのだろう。

時を経て、片付けるために何度も、何日も、実家へと往き来する中で、不意討ちのように、とうに忘れ去っていた過去が眼前に立ち現れる。そして、思いもよらない気付きが訪れる。

十三参りで日本髪を結った後に、ばっさりと切った、腰まで伸びていた髪。きちんと紙紐で結び、丁寧に和紙で包んで大切に保管されていた。
そんなものが残されていることを、私はもちろん知らなかった。

何人かのお母さんたちと並んで母が、高校の校門で笑顔を見せている写真。
「ちえ入学式、おめでとう」と、裏書きされている。母の生前はもちろん、今に至るまで私は、母が来ていたことさえ知らなかった。

あるいは、突然死する直前まで母が書いていた日記。
数日前の楽しかった思い出や、熱中している園芸のあれこれ、この先の心踊る予定がたくさん書き込まれている。娘の不始末に心を痛めている記述は、どこにもなかった。

「あんたのせいで⋯⋯」と、言い募ったのは一体、誰だったのか?
よくよく考えてみると、母本人からそんな言葉を投げつけられたことなど、一度もなかったのではないか。

私は、何の責任もないことで、とてもとても長い間、罪を背負って生きてきた。

それと同時に、慈しみたいと、大切にしたいと、か弱い手を差しのべていた母の気持ちに気付くことはなく、通常の親子とは違う、冷ややかで他人行儀な態度のまま、残された僅かな時間を過ごした。

私が娘であった日々は、もうとうに過ぎ去った。
そして私が、母親であった日々さえも、今まさに過ぎ去ろうとしている。

娘が私の娘であったことも、息子が私の息子であったことも、もしかすると彼らは、激しい痛みを伴ってしか認めることができないのかもしれない。心の距離は、依然として大きい。

きっと私は、ただ待つことしかできないのだろう。
かつて母がそうしたように、ひっそりと手を差し伸べながら。

これからの私に必要なのは、子どもたちに謝罪することでも、幸せを祈ることでもない。

巣立っていった子どもたちから、彼らの憎悪や嫌悪の、その気持ちのままに、一旦きちんと捨てられることなのだ。

時が流れて、あるいはいつの日か新たな関係性の生まれる時が、訪れるかもしれない。

その日まで、私は、自分の人生を一生懸命生きる。
顔を上げて。しっかりと前を向いて。

そして私は、私を、許そうと思う。

間違っていたかもしれないけれど、歪んでいたかもしれないけれど、少なくとも私は、自分の見栄や、飾りとして、子どもを育てたことなど一度もなかった。自分が褒められるために、躾と称して叱ったことなどなかった。

私は、自分でずっとずっと責め続けてきた私を、今度こそ手放そうと思う。

もう一度、生きなおすために。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。もしも気に入っていただけたなら、お気軽に「スキ」してくださると嬉しいです。ものすごく元気が出ます。